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5人で南極点を目指した、スコット隊の軌跡

華盛頓Webライター
credit:unsplash

20世紀初頭、多くの探検家が極地への到達を目指していました。

その中でスコット隊は南極点到達を目指していたのです。

この記事では南極点を目指したスコット隊の軌跡について紹介していきます。

土壇場で一人増やしたスコット

アムンセン隊が南極点への到達を果たし、すでに帰路につき始めた頃、スコット隊はまだ氷河を登り切れずにいました。

アムンセンが犬ソリでスムーズに進んだ険しい氷河を、スコットたちは12人の隊員が4人1組で引き、ようやく12月22日に氷河を登り切ったのです

労力をかけ、ようやく辿り着いた高地にデポを築き、4人を基地に戻して残る8名で進行を続けました。

年が明け、1912年1月4日、スコット隊は緊張の中で大きな決断を迎えました

8名の隊員の中から南極点へと進む4人を選ばなければなりません。

全員が極点への到達を望んでいることを知りつつも、スコットは4人を選び、他の4人には引き返すことを命じました。

しかし、その選択は一瞬の迷いからか予期しない変心を招きます。

彼は選抜するはずだった4人ではなく、5人で極点を目指すことに急遽変更したのです。

その追加された1人がバワーズでした。

選出された隊員たちも、選ばれなかった者たちも、その判断に困惑したのです。

この増員は予想外の危険を伴いました。

食料も燃料も、往路のデポに残してきたものはすべて4人分しかありません。

さらにバワーズにはスキーがないため、他の4人が滑走する際には、彼だけが雪原を走らねばならなくなったのです

こうして、スコット隊は必要な装備や物資の不足を抱えたまま5人で極点へと進むことになりました。

この決断の理由は、今もって霧の中に包まれています。

アムンセン隊が5人で出発した際には、効率を考え8人編成を縮小していたのに対し、スコットは、食糧や燃料が4人分と計算されている中で、最後の局面で1人増員という冒険に出ました

おそらくスコットの中には、誰よりも疲れ知らずの行動力のあるバワーズを加えれば、ソリの速度が上がり、アムンセンに追いつけるかもしれないという期待があったのでしょう。

スコットは、すでに競争に敗れていることを知らず、アムンセンの姿を想像して焦りを募らせていたに違いありません。

スコットが極点まで仲間を1人でも多く連れていきたかったという話もあります。

彼は軍人であり、探検家としての柔軟さよりも誇りと仲間への思いが重かったのかもしれません

だが極地探検は、柔軟で冷静な思考を必要とするアムンセンのような人物向きであったのでしょう。

後に基地へ戻った隊員の1人は、スコットが「仲間を極点に連れて行きたいという心情があったのでは」と記したものの、詳細は未だ明らかではありません。

スコットの決断が真の意味で理解される日は来ないかもしれません。

彼の南極点への旅は、探検と同時に軍事的な意味合いも持っていたものの、それが後に全隊員を待ち受ける悲劇的な結末へと繋がっていきます。

参考文献

アプスレイ・チェリー=ガラード著・加納一郎訳(1993)「世界最悪の旅 悲運のスコット南極探検隊」朝日文庫

Webライター

歴史能力検定2級の華盛頓です。以前の大学では経済史と経済学史を学んでおり、現在は別の大学で考古学と西洋史を学んでいます。面白くてわかりやすい記事を執筆していきます。

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