絶対に食べておかねばならない 福岡の豚骨ラーメン「基本」3軒
人気店がひしめき合う福岡のラーメン界
全国屈指のラーメンの街として知られる福岡には、博多ラーメンをはじめとする豚骨ラーメン店が数多く集結している。福岡県民にとって日常食でもあるラーメンといえば豚骨のこと。県外や海外に進出している豚骨ラーメンのほとんどは福岡生まれと言っても間違いないだろう。
今や福岡に行かずとも日本全国、あるいは世界各国で博多ラーメンが食べられる時代になった。しかしながら、福岡でなければ食べることの出来ないラーメンもある。豚骨ラーメンや福岡のラーメンを語る上で、絶対に食べておかねばならない「レジェンド」が存在する。福岡人の生活に密着したラーメン店の中でも、最優先で食べておくべき「基本」の3軒をご紹介しよう。
細麺と替え玉の発祥『元祖長浜屋』(1952年創業)
「博多ラーメン」が日本はもとより海外にも知られているのに対して、同じ福岡の豚骨ラーメンである「長浜ラーメン」はあまり知られていない。白濁した豚骨スープに細麺という組み合わせは同じで、福岡でも博多ラーメンと長浜ラーメンの明確な差異はなくなっているのが現状だ。しかしながら、そのルーツは全く異なる。
長浜ラーメンとは博多漁港に面する長浜で生まれたラーメンのこと。1952(昭和27年)に開業した屋台『元祖長浜屋』(福岡県福岡市中央区長浜2-5-25)がその発祥と言われている。競りなどで忙しく時間がない魚市場の人たちのために、素早く提供出来るように麺を細麺にして茹で時間を短縮。細麺は伸びやすいため、麺の量は少なくしてお替わりが出来る「替玉」を考案するなど、元祖長浜屋から始まり長浜ラーメンや博多ラーメンに取り入れられたシステムは少なくない。
あっさりとした豚骨スープは、朝でも夜中でも毎日でも食べられる味わい。豚骨は濃厚というイメージを持つ人からすれば、驚くほどに軽くて食べやすいことに気づくだろう。注文時に麺の茹で加減や油の量などの好みを伝えることが出来る。「カタ」(麺硬め)「ベタナマ」(油多め麺超硬め)などの符丁が言えるようになれば本物だ。
濃厚な豚骨『元祖赤のれん 節ちゃんラーメン』(1946年創業)
博多ラーメンの誕生は長浜ラーメンよりも古い戦前のこと。1940(昭和15)年に創業した「三馬路」が博多初のラーメン屋台と言われているが、そこで出されていたラーメンは現在のような豚骨ラーメンではなく、あっさりとした醤油味だったという。
現在の博多の豚骨ラーメンの源流と呼ぶべき店が『元祖赤のれん 節ちゃんラーメン』(福岡市中央区大名2-6-4)だ。1946(昭和21)年に東区箱崎で創業した『赤のれん』の嫡流で、赤のれん創業者の津田茂さんを祖父に持つ三代目が今も暖簾と味を受け継いでいる。
創業者が奉天(現在の中国瀋陽市)で出逢った豚骨スープをもとに改良を重ねて生み出したスープは、老舗とは思えないほど濃厚な味わい。そこに合わせるのは平打ちの細ストレート麺。この店から巣立った人は数多く、福岡市内には「赤のれん」の名前を掲げる店がいくつもある他、東京にも暖簾分け店がある。
伝統の平打ち麺『博龍軒』(1946年創業)
『赤のれん』と並ぶ、博多豚骨ラーメンの源流の一つが『博龍軒』(福岡市東区馬出2-5-23)。創業は1952(昭和27年)と、70年近い歴史を誇る博多ラーメン界のレジェンドとも呼べる老舗だ。実は前述した『赤のれん』の創業者と『博龍軒』の創業者である山平進さんが、共に豚骨ラーメンを開発して、1946(昭和21)年にラーメン屋台を出していた。のちに山平さんが『博龍軒』、津田さんが『赤のれん』をそれぞれ創業することになり、博多に豚骨ラーメン店が生まれたのだ。
小ぶりの丼になみなみと注がれた豚骨スープは、白というよりも茶褐色で醤油の色合いが強く出たもの。豚骨と醤油のやや甘めな味わいで骨髄感もある。自家製の麺は平打ちの細麺で茹で加減はやや柔らかめで、現在の博多ラーメン店にはまず見られない「大盛」がある。替え玉は長浜ラーメンの文化であり、元来の博多ラーメンにはなかったものだ。長浜ラーメンとの自然な融合によって、麺は細くなりスープも白くなっていったが、源流の二軒は当時の博多ラーメンの姿を色濃く残している。
いずれも福岡のラーメンを語る上で欠かせないレジェンド。福岡でラーメンの食べ歩きをする時には、まずここからスタートしてほしい。そうすることでラーメンがどのように進化、変化していったかを体感することが出来るはずだ。
※写真は筆者によるものです。
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