列車本数が少ないと本当に不便なのか? 考え方を変えてみると・・・
北海道知事が新人に代わり、JR北海道が新しい時代を迎えようとしています。
国から与えられたJR北海道改革のための時間は2年間。
JR北海道はこの限られた時間の中で、求められる成果を出さなくてはなりません。
でも、JR北海道はここ数年の経営危機で「人もモノも金」もありません。
そういった中で、利用促進をどうやって実現したらよいのでしょうか。
先日、北海道新聞のコラムの読者からの投書で、「列車本数が少なすぎるから、乗ってみようと思っても乗ることができない。」というような記事を見かけました。
利用者が減少する→列車本数が減る→不便で利用できない→さらに利用者が減る→さらに減便→そして廃線。
国鉄時代からこういうことが繰り返されてきたのが田舎のローカル線です。
最近では田舎ばかりではありません。かつての「〇〇本線」と呼ばれるような路線でさえ、このままで行ったら将来が危うい状況にあります。
だとしたら、やり方を変えなければなりません。
国鉄時代から40年以上にもわたってそのやり方でやって来て、ダメになっている現状があるのであれば、同じやり方を繰り返しても良い結果が出るはずはありません。この辺で考え方を変えてみなければならないのは、鉄道会社だけでなく私たち国民にも問われていることではないでしょうか。
かつてのローカル線を振り返ってみると
このコラムの表紙の写真は1978年(昭和53年)の交通公社の時刻表です。
今考えると、だいたいこのころから日本全国のローカル線はおかしくなって来て、国鉄民営化、つまりJRになるときに日本全国で80以上のローカル線が廃止されました。
その時に歩んだ道が上に述べた
「利用者が減少する→列車本数が減る→不便になる→さらに利用者が減る」
というサイクルで、その延長線上に多くの路線が廃止になってしまいました。
当時、一番列車本数が少なかったのは福島県の日中線という路線でした。
磐越西線の喜多方から熱塩というところまでわずか11.6kmの短い支線でしたが、1日の列車本数は3往復だけ。
これが1978年当時の時刻表です。
列車は車両基地がある会津若松を5:17に出て喜多方から日中線に入ります。
始発列車は喜多方を6:12に出る621列車で熱塩には6:41着。
折り返しの622列車は熱塩を7:02に出て喜多方7:38着です。
これが朝の通勤通学列車ですね。
当時の需要を考えると朝はおそらく熱塩方面から喜多方、会津若松方面への一方通行。
この列車が1本あれば、とりあえず地域の足になっていたということでしょう。
その次の列車は喜多方16:04発で熱塩折り返し16:51発の623・624列車。
朝の列車から10時間近く列車がありません。
日中線という名前なのに日中時間帯には列車が走らないなどと揶揄されていたことを思い出しますが、この16時台の列車が通学生の帰宅列車で、喜多方を18:32に出て熱塩折り返し19:15発の625・626列車が通勤のお客さんを乗せて帰って来る最終列車です。
この時刻表には出ていませんが、626列車は喜多方に到着後、回送列車となって会津若松へ戻り、1日仕業が終了するというダイヤになっていました。
国鉄ですから国民のためにあるという大義名分がありましたから、朝1本、夕方1本、夜1本という1日3本の列車を走らせれば、国民の最低限の生活の足にはなるだろうという考え方だったのかもしれません。
写真は筆者の友人の青森恒憲さんが昭和49年7月に撮影したSL時代の日中線の列車。
時刻表に詳しい方ならお分かりになると思いますが、列車番号が3往復ともすべて数字のみの表記ですから、日中線の列車は3往復とも機関車が牽引する列車でした。(列車番号の数字の後にMが付くと電車、Dが付くと気動車・ディーゼルカーの列車です。)
ではなぜディーゼルカーではなくて機関車が引っ張っていたかというと、この日中線は貨物の取り扱いもしていました。
ところが、わざわざ貨物列車を走らせるほどの量でもありませんから、客車の後ろに貨車を連結するという貨客混合列車と呼ばれるスタイルで走っていましたので、機関車が引く必要があったのです。
この写真もそうですが、上のカラー写真でも客車と貨車が連結されているのがわかります。
今では宅配便全盛時代になりましたが、当時は田舎の町に荷物を届けたり、田舎の産物を都会へ運ぶのもまだ鉄道が担っていましたから、地域の足というのは人の輸送と貨物の輸送の両方だったのです。
福岡県の矢部線では1日6往復の列車が運転されていました。
矢部線は鹿児島本線の羽犬塚駅から内陸の黒木を結ぶ19.7kmの支線で、大女優の黒木瞳さんは終点の黒木のご出身ということで同郷の五木寛之氏が命名したことは有名ですが、筆者は数年前にニッポン放送のラジオ番組で黒木瞳さんと対談したことがあります。
「いすみ鉄道は国鉄時代のローカル線が第3セクターとして今でも走っている鉄道です。」
筆者がそう申し上げると、黒木瞳さんは、
「わあ、なつかしい。私も学生時代にローカル線で通っていたのですけど、もう廃止になっちゃいました。」
とおっしゃられました。
実は筆者と黒木瞳さんは1960年生まれで同い年。この時刻表は1978年のものですから、黒木瞳さんが高校3年生の時に羽犬塚にある八女高校に通学していた時の時刻ということになります。
黒木6:56発、羽犬塚7:32着の424D列車が、おそらく彼女が通学に使っていた列車だと思います。
日中線の片道3本から比べると、矢部線は倍の6本ありますからかなり恵まれた環境にあったとは思いますが、つい40年ほど前まではこのように日本の田舎というのは列車の時間を中心に人々が生活をしていたということが、当時の時刻表を見るとよくわかります。
そういう時代に「モータリゼーション」の波が押し寄せてきて、人々は自家用車で自分が好きな時間に行動できるようになりました。
鉄道の時刻に合わせた生活リズムをしていた人たちにとってみたら、1日の行動時間や行動半径が大きく広がったのですから、日常生活の中で鉄道が占める割合というのが急激に狭くなっていきました。
これはバスもまったく同じで、「鉄道を廃止してバスにしましょう。そうすれば便利になりますよ。」というスローガンで全国各地のローカル線が廃止されてバスに転換されて、確かに本数は倍に増えたかもしれませんが、本質はそういうところにあるのではなくて、日常生活を交通機関の時間に合わせることそのものが、人々の生活に合わなくなっていったわけですから、たとえバスにして本数が倍になったとしても、あるいは列車本数を倍にしたとしても、日常生活の中で交通機関の時間に合わせるということそのものが日本人にとって苦痛になってきたのです。
例えば筆者が40年前の高校生の時に通学で利用していた都営三田線は6分間隔での運転でしたが、「都会の電車で6分間隔は長いなあ。」と思っていましたし、6分でも長いのですから15分に1本、あるいは30分に1本という運転間隔では「とてもじゃないけど使えない。」という人も出てくるでしょう。鉄道会社がどれだけきめ細やかなダイヤを作り、利便性を供給しても、「不便でしょうがない。」という人は出てくるのです。
1日3本は本当に不便なのか
では日中線が1日3本しかなくて、利用者が減って廃止されたからと言って、本当に1日3本だと不便なのでしょうか。
私たちが日常利用している交通機関で1日3本なんていくらでもあると思います。
日本航空の羽田-釧路線。
1日3本です。
これを見て「釧路は不便だ。」と思われるでしょうか。
釧路は全日空も飛んでいますから、合わせれば6往復になります。
6往復ということは黒木瞳さんが通っていた矢部線と同じですから、決して便利ではありませんが、釧路へ行こうという人は不便だと考えているでしょうか。
こちらは日本航空の羽田-三沢線の時刻表。
羽田-三沢間は全日空など他社は飛んでいません。日本航空だけ、1日3本。全く当時の日中線と同じです。
では、不便で、お客様は利用しないのでしょうか。
羽田-山形線では1日2本しか飛んでいません。
航空会社は線路を所有しているわけではありませんから、利用者がいなければすぐに路線見直しをして、その路線から撤退するようなビジネスです。その航空会社が1日2本や3本の路線をきちんと維持しているということは、お客様が乗られているということを示しています。
使用する機材を調整したり、時間を調整したりと、いろいろ手は打っているとはいえ、1日2本や3本の路線にきちんとお客様が乗られているということは、いったいどういうことなのでしょうか。
交通がシステムとしてきちんとデザインされているかどうか
飛行機の場合、空港というどちらかといえば人間の生活圏から距離があるところに行かなければ利用できません。
鉄道は駅を発着しますが、駅というのは基本的には人間の生活圏にあるものです。
この点では飛行機は鉄道に比べると不利な乗り物です。
その不利な部分を克服するために、ほとんどすべての空港には市内から連絡バスが設定されています。
その連絡バスは飛行機の時間に合わせてダイヤが組まれていて、飛行機が到着するとその15分ぐらい後に市内行連絡バスが出ますし、市内からの連絡バスは飛行機出発時刻の40分~1時間ほど前に空港に到着するように運転されています。
これは交通がシステムとしてデザインされていることを示します。
鉄道は人々の生活圏に密着している、あるいはかつては人々の生活圏に密着していた駅を発着するために、意外にもこの連携ができていないところが多くあります。
自宅から駅まで、あるいは駅から目的地までの移動がデザインされていませんから、なかなか交通としてのシステムが出来上がっていないのが原因です。まして、旅行者ならともかく、日常の交通機関として利用しようと考えた場合、駅を降りてからのいわゆる二次交通がデザインされていない鉄道は利用したくても利用できない存在になっていますから、1日あたり何本走っているかというフリークェンシー(運転頻度)の問題以前に、考えなければならない問題があるのです。
限られた資源をどう使うか
JR北海道の話に戻します。
JR北海道は経営危機で人もモノも金も極限状態にあります。
そういう会社は、列車を増やしたくても、車両も無ければ運転士もいない状況ですから、やりたくてもできない状況にあります。
また、たとえ無理して列車本数を増やして、例えば倍にしたとしても、すでに人々のライフスタイルは鉄道から離れてしまっていますから、営業的な成果は得られないでしょう。
でも、飛行機なら1日2本でも3本でも利用してくれる現実も一方ではあるわけです。
これは何を意味するかというと、交通機関の運転時刻に合わせて自分たちが行動するというマーケットが存在するということです。
日常生活の中で、会社へ行ったり買い物へ行ったりするような日常の地域需要は、今の時代は交通機関の時間に合わせて行動するという範疇ではありません。
これに対して出張へ行ったり、旅行へ行ったりというある程度事前の計画性が求められる移動需要であれば、人々は交通機関の時間に合わせて行動するということが言えるのです。
そして、そういう需要は交通がシステムとしてデザインされていれば、お客様に選択していただけるのです。
1日2本の山形便も、1日3本の三沢便も、どちらも新幹線との競合路線です。
新幹線に比べればはるかに運転本数が少なく、空港という離れたところを発着するという不便さがあり、どちらも新幹線の所要時間では3時間以下。一般的に言われる「4時間の壁」をはるかに切っていて新幹線が絶対的に有利であるにもかかわらず、航空路線が維持されているというところに筆者は注目しています。
これからの時代は人口減少の時代です。
日本全国の地方都市が、今そこにいる人たちの需要、顕在需要では成り立って行くことができませんから、交流人口を増やす必要がある。交流人口を増やすとは、つまり観光客に来ていただくことが求められています。
そして、観光客というのは、しっかりと事前に交通機関の時刻を調べて、あるいは予約をして、その時刻に合わせて行動する人たちです。
彼らにとって大切なのは、何分ごとに電車が運転されているという頻度の問題ではなく、交通というものが途中で途切れることなく、しっかりとつながっていることです。
地元の人にしてみたら「乗ろうと思っても本数が少なくて不便でしょうがない。」と言われるJRですが、前もってきちんと計画を立てて乗る出張利用者や旅行者であれば、無理して列車本数を増やさなくても、今のダイヤで乗っていただけると筆者は考えます。
そして、そのために大切なのは、シームレスな交通のデザインであり、鉄道が他の交通機関ときちんと連携していること。
そのつながっている交通が「検索」できちんと出てくる必要があります。
ということは、田舎の行政がやっているコミュニティーバスのような、地元では当たり前だけど、外部の人は誰も知らないような交通機関は、「検索」しても出てこなければ走っていないのも同然ですから、そういう田舎のコミュニティーバスのような交通機関も、出張者や旅行者など地域外の人たちがしっかりと事前計画して利用できるようにすることが、鉄道会社だけではなく、地域の皆様にとってもやらなければならない必要なことだと筆者は考えます。
これからの時代は、鉄道路線と並行して長距離バスを走らせる時代ではなくて、鉄道の列車に二次交通としてのバスがきちんと接続することが大切です。そういう基本的なシームレスサービスを交通システムとしてデザインすることができれば、将来へ向けてのドライバー不足が懸念される地方の交通機関でも無理なく対応することができると筆者は考えます。
問題なのは、現状のJRには地域住民や地域事業者と連携を取るコミュニケーションスキルや、そのための窓口がないことです。あるいは共通の言語すら備わっていないということもあるようですが、人もモノも金もない状況であるならば、知恵ぐらい出さないと、あっという間に2年というタイムリミットが来て、時間切れになってしまうと筆者は懸念しているのです。
コンビニの24時間営業が見直される時代です。電車の時間やお店の営業時間など何でもかんでも自分の都合に合わせるライフスタイルが日常生活者であるとすれば、事業者側の時間に合わせていただけるマーケットというのも確実に存在しますから、そういう潜在マーケットを見つけて、そういう方々にお客様になっていただけるような戦略が、現状の「人もモノも金もない」なかで、取りうる方法ではないかと筆者は考えています。
※本文中、特にお断りのない写真は筆者撮影です。
時刻表は筆者のコレクションから抜粋して引用したものです。