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クローン病と闘病するベイカーが、全米水泳にて女子100m背泳ぎの世界新記録を樹立!

三尾圭スポーツフォトジャーナリスト
全米水泳選手権にて女子100m背泳ぎで世界新記録を樹立したキャサリン・ベイカー

 大谷翔平が所属するロサンゼルス・エンゼルスの本拠地から車で15分ほどの距離にあるアーバイン市。大谷が住むそのアーバインにて、7月25から29日(日本時間26から30日)まで全米水泳選手権が開催されている。

 全米水泳選手権4日目に当たる28日(日本時間29日)。筆者は「世界新記録」が樹立される予感がして、同じ時刻に始まるエンゼルスの試合ではなく、全米水泳選手権を先に取材して、エンゼルス戦には途中から行くことを決めた。

 予想通り、全米水泳選手権4日目に「世界新記録」は作られた。

 予想に反してたのは、400m、800m、1500m自由形の世界記録保持者で、これまでに14回も世界記録を更新してきた『世界記録樹立マシーン』のケイティ・レデッキーがリオ五輪で出した400m自由形世界記録の3分56秒46を塗り替えると思っていたのだが、世界新記録を出したのはレデッキーではなく、100m背泳ぎのキャサリン・ベイカーだったことだ。

女子400m自由形で200mまでは世界記録を上回るペースで泳いでいたが、記録更新はならなかったケイティ・レデッキー(中央)(三尾圭撮影)
女子400m自由形で200mまでは世界記録を上回るペースで泳いでいたが、記録更新はならなかったケイティ・レデッキー(中央)(三尾圭撮影)

 女子100m背泳ぎの世界記録はカナダのカイリー・マスが昨年のブダペスト世界水泳で8年ぶりに記録を塗り替えた58秒10。

 リオ五輪とブダペスト世界水泳で銀メダルを取ったベイカーは、今年の全米水泳で「世代交代」の挑戦を受けていた。

 午前中の予選を59秒09の1位で通過して決勝の第4レーンを勝ち取ったのは16歳のレーガン・スミス。15歳のフォービ・ベーコンは59秒12で予選2位。21歳のベイカーは59秒27の予選3位での決勝進出だった。

 

 0.50秒のリアクションタイムで好スタートを切ったスミスだが、0.56秒のリアクションタイムのベイカーが水中でリードを奪いトップに出ると、50mの折返し地点を27秒90の首位でターン。そのままスピードを保って、世界記録を0.10秒更新する58秒00でゴール。左手を高々と天に突き上げて世界記録更新を喜んだ。

左手を天に突き上げて世界記録樹立を喜ぶキャサリン・ベイカー(三尾圭撮影)
左手を天に突き上げて世界記録樹立を喜ぶキャサリン・ベイカー(三尾圭撮影)

 女子400m自由形決勝で、レデッキーが200mまで世界記録を上回るペースで泳いでいたとき、屋外プールに建てられた特設スタンドを埋め尽くした観客は、異様な雰囲気で盛り上がっていた。だが、最後の200mでレデッキーが失速して、「平凡」なタイムで優勝したとき、プールサイドには失望感が漂っていた。

 レースが行われたメインプールの隣にあるウォームアッププールで、100m背泳ぎの準備をしていたベイカーは、コーチのデビッド・マーシュから「キャサリン、観客は今夜、世界記録が出ることを期待しているようだね」と言われると、素直に「はい」と答えた。

 ベイカーは11歳だった2008年の全米水泳を観戦に訪れている。そこで、ナタリー・コフリンが自らが持つ100m背泳ぎの世界記録を塗り替えたのを目撃して、自分も五輪に出場するという夢を誓った。

 8年後にリオ五輪に出場して銀メダルを獲得。リオでは400mメドレーリレーの一員として金メダルにも輝き、同じメンバーで挑んだ昨夏の世界水泳では世界新記録も樹立している。そんなベイカーが次に掲げた目標が、100m背泳ぎでの金メダルと世界新記録だった。

 携帯電話の画面に58秒10と設定して、毎晩8時になると58秒10の文字が携帯画面に表示されて、彼女が破るべきタイムを教えてくれた。

 58秒00の世界新記録を出したベイカーは、「レースに勝ったかどうかを確認するために電光掲示板を見たら、58秒00と出ていたので身体が震えた」と記録を出した瞬間の喜びを口にした。

 後半の50mを30秒10の好タイムで泳げたのは、「この夏はスタミナ強化と200mの練習を重点的にしていたので、100mが簡単に感じた」とその理由を語る。

100m背泳ぎで58秒00の世界新記録を出したキャサリン・ベイカー(三尾圭撮影)
100m背泳ぎで58秒00の世界新記録を出したキャサリン・ベイカー(三尾圭撮影)

クローン病との戦い

 アスリートにとってスタミナ強化は必要不可欠な要素だが、ベイカーにとっては簡単にできるものではない。

 ベイカーは13歳の誕生日を迎える前に難病のクローン病を発症。身体中の消化器官に炎症を起こすクローン病は、潰瘍性大腸炎と同じ炎症性腸疾患で、日本では厚生労働省が特定疾患に指定している病気である。

 クローン症も潰瘍性大腸炎も正確な原因は判明しておらず、まだ根治する治療法は発見されていない。栄養療法や薬物療法で症状を抑えることで、日常生活を問題なく過ごせるようにしていく。

 腹痛や下痢が頻繁に起こり、発熱、嘔吐、体重減少、関節痛などの症状を伴うことが多い。

 教室で授業を受けているときに座っているだけなのに身体がダルいと感じて医者に行き、いくつもの検査を受けた結果、クローン病を発症していることが判明した。

 「世界で最も悲しい気持ちになった」と当時を振り返るベイカーは、「世界で一番好きな水泳を取り上げられたと思った」と続けた。

 当時のベイカーは、年齢別のアメリカ国内記録を作るなど、将来を期待されたスイマーだった。

 インターネットで「クローン病」を調べてみると、日常生活を普通に送るのも難しいなど「悲しくなるような情報がたくさん出てきた」そうで、水泳を続けるのも困難に思えた。

クローン病に打ち勝って、オリンピックでも金メダルを獲得したキャサリン・ベイカー(三尾圭撮影)
クローン病に打ち勝って、オリンピックでも金メダルを獲得したキャサリン・ベイカー(三尾圭撮影)

 14歳のときには体重が4.5キロも減り、それ以上体重を減らさないために毎晩チーズバーガーとチーズケーキなど高カロリーのものを食べ続けた。

 仲の良かった姉は、「妹とは歳も近かったし、同じ水泳というスポーツもしていたけど、水泳の才能は妹の方が断然高かった。妹が病気だと分かったときには、妹の代わりに私が病気になればよかったと何度も思った」とニューヨーク・タイムズ紙の取材に答えている。

 自分に合う治療法を見つけたキャサリンは、プールに戻ってくるようになったが、練習は他の子たちが朝と夕方の2回練習をする中で、1日1回に限定された。 

 「プールの中での練習は1日1回にしているけど、週に3回はウェイトルームで体力作りに励み、ヨガもしている。水泳が大好きなので、他の選手たちが1日2回練習をしている中で、わたしは1回しかできないのは寂しいけど、自分の体調に合わせた練習に専念している。身体の調子が良いときには、1日2回練習することもあり、そんなときは2回目の練習は量ではなく質を重視して、技術的面を磨く。その日の体調によって練習メニューを臨機応変に変えているのだけど、それを可能にしてくれているコーチ陣にはとても感謝している。体力的に追い込んでしまうと、そこからの回復がとても大変なので、追い込み練習には非常に気をつける。水泳での疲労とクローン病からの疲労は違うので、毎日自分の身体を確認して、不必要な負担をかけないようにしている」

 今でも「毎日が病気との戦い」と言い、食生活には気を使う。体調が優れないときには生の野菜や果物を食べるのを控え、必要なビタミンはドリンクから補給するようにしている。

 リオ五輪のメンバーに選ばれたときには、「同じ病気と戦っている人たちに勇気を与えたい」とクローン病であることを公表。

「わたしが子供のときに同じ病気を持ちながら活躍するスポーツ選手はほとんどいなかったので、クローン病でもスポーツで活躍できることを知って欲しかった」

 日本にもクローン病や潰瘍性大腸炎と戦っている人たちは多いが、「常に自分自身の可能性を信じて、支えてくれる人たちを周りにおいてください。私も家族や素晴らしいコーチ、お医者さんの協力があるからこそ、水泳を続けることができている。病気だから、大好きななにかをできないのでなく、病気でも大好きなことを続ける方法を模索してみて欲しい」と日本の患者さんたちに向けてメッセージを送ってくれた。

「自分自身の可能性を信じて」と日本人の患者さんに向けてメッセージを送ってくれたキャサリン・ベイカー(三尾圭撮影)
「自分自身の可能性を信じて」と日本人の患者さんに向けてメッセージを送ってくれたキャサリン・ベイカー(三尾圭撮影)

 「今まで以上に水泳が好きになったし、泳げることが当たり前のことではなく、特権であり感謝している」と病と付き合うことで水泳に対する感謝の気持ちがさらに深まったベイカーは、「レース前には緊張感を取り去るためにも、笑顔でいることを意識している。大好きなことをしているのだから、自然と笑顔になるし、笑顔で楽しみながら泳ぐことが好タイムを生み出す。集中し過ぎて緊張すると、身体の動きも固くなってしまうから」とレース直前の秘密を打ち明けてくれた。

 身体の疲労を早めに取るために睡眠にも気を使っており、12時間寝ることもあると言うベイカー。そんな彼女は、イギリスの教育誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション」の世界で最も評判の高い大学ランキング2017年度版で6位にランクインした名門大学、カリフォルニア大学バークレー校の学生でもある。

 大学では「健康と病」を中心に独自にカリキュラムを組んで勉強をしている。

 「水泳と勉強の両立はとても大変で、大学に入ってから初めの2年間はとくに大変だった。練習後の休息と回復の時間も大切なので、時間のマネージメントに苦労した。今はスケジュールの組み方のコツも分かってきて、自分なりのルーティンを作ることができて、体調を整えるために睡眠時間の確保を優先しながら、勉強の時間を見つけ出している。大学での勉強は大きなチャレンジだけど、私だけでなく多くのアメリカ人水泳選手も同じチャレンジに挑んでいるので、お互いに励まし合っている」

 男子の100m背泳ぎ世界記録保持者のライアン・マーフィーは大学のチームメートだし、レデッキーとリオ五輪100m自由形金メダリストのシモーネ・マヌエルは超名門のスタンフォード大学で優秀な成績を残している。

 クローン病を抱えながら、水泳で世界新記録を出し、勉強でも世界有数の名門校で学んでいるベイカーから学ぶべき点は多い。

東京で開催するパンパシフィック選手権で金メダルを狙う

 文武両道のベイカーは、8月9から12日に東京の辰巳国際水泳場で開催されるパンパシフィック選手権にも出場する。マスやオーストラリアのベテランスイマー、エミリー・シーボーム、そして日本の酒井夏海、小西杏奈らと激闘を繰り広げる。

 ベイカーは世界新記録を樹立した100m背泳ぎ以外にも、200m背泳ぎと200m個人メドレーでも全米チャンピオンになっており、パンパシフィック選手権の個人種目ではこの3種目を泳ぐ。

 「200m個人メドレーは50メートルごとに泳法が変わるので、泳いでいてとても楽しい。1つの泳法で疲れたと感じても、辛いと感じる間もなくすぐに別の泳法に変わる(笑)」と言う200m個人メドレーでは、昨年の世界選手権女王の大橋悠依が待ち受ける。チャンピオンの大橋以外にも、寺村美穂と渡部香生子が控える日本勢は手強いライバルとなるが、「他の選手のことは気にしないで、自分の泳ぎに集中したい。(全米水泳では)平泳ぎが良かったので、日本でも平泳ぎで良い泳ぎができるようにしたい」と自分の泳ぎだけに集中すると言う。

 世界新記録を手にしたベイカーの次の目標は、まだ手にしていない「メジャー大会」での水泳個人種目での金メダルを取るためにパンパシフィック選手権で表彰台の真ん中に上ることだ。

パンパシフィック選手権ではまだ手にしたことのない「ビッグ大会」での個人種目金メダルを狙うキャサリン・ベイカー(中央)(三尾圭撮影)
パンパシフィック選手権ではまだ手にしたことのない「ビッグ大会」での個人種目金メダルを狙うキャサリン・ベイカー(中央)(三尾圭撮影)
スポーツフォトジャーナリスト

東京都港区六本木出身。写真家と記者の二刀流として、オリンピック、NFLスーパーボウル、NFLプロボウル、NBAファイナル、NBAオールスター、MLBワールドシリーズ、MLBオールスター、NHLスタンリーカップ・ファイナル、NHLオールスター、WBC決勝戦、UFC、ストライクフォース、WWEレッスルマニア、全米オープンゴルフ、全米競泳などを取材。全米中を飛び回り、MLBは全30球団本拠地制覇、NBAは29球団、NFLも24球団の本拠地を訪れた。Sportsshooter、全米野球写真家協会、全米バスケットボール記者協会、全米スポーツメディア協会会員、米国大手写真通信社契約フォトグラファー。

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