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新国立競技場に賛成できない最大の理由

杉山茂樹スポーツライター

生まれ変わろうとしている国立競技場。さよならイベントは5月末にすべて終了した。当初の予定では7月から解体工事が始まることになっていた。しかし、いまなおそれは始まらない。解体に手を挙げるゼネコンがなかなか現れず、現れたら現れたで、発注元の日本スポーツ振興センターとの間に談合疑惑が浮上。国会でも追及されることになった。事は順調に進んでいない。国立競技場はどんなに早くても12月中旬までは、現在の姿を残すことになると言われている。

現国立競技場は不思議なもので、巨大なスタジアムであるにもかかわらず、思いのほかひっそり佇(たたず)んでいる。取り壊しを待つ身だからではない。従来からそうだった。

スタジアムはいわばコンクリートの塊だ。昔のスタジアムは特にそういう傾向がある。国立競技場も例外ではない。だが、威圧感を覚えるのは、バックスタンドの背後にある青山門付近から眺めた時ぐらいだ。何より、その外観全体を仰げる場所が限られている。多くの樹木にさえぎられているからだ。

国立競技場のある場所は、ご存じの通り神宮外苑と呼ばれる。内苑は原宿駅の裏手に広がる明治神宮。両者が対の関係にあるのは言うまでもない。神宮外苑は別名、「神宮の杜」と言われる。首都東京のド真ん中にありながら、豊かな緑に包まれたスケールの大きな公園風のスペースになっている。鮮やかな紅葉で知られる銀杏並木、そして聖徳記念絵画館をぐるっと囲む周回道路は、都内指折りのランニングコースとして知られている。

神宮球場もその一角にある。こちらもそのコンクリートの塊は露わになっていない。威圧感の低い造りになっている。グラウンドが掘り下げ式なので、建物自体の高さを低く保つことができているのだ。公園の中にバランスよく綺麗に収まる、まさに明治神宮野球場という正式の名前に相応しい佇まいを維持している。

それは秩父宮ラグビー場にもあてはまる。そのバックスタンドの外観は、背後に控える銀杏並木の景観を、少しも阻害していない。

青山門付近から眺める国立競技場のバックスタンドが、公園内における唯一の違和感。そう言っていい。その高さは地上27.76m。ビル1階分の高さを3.5mとすれば、それはおよそ8階建てのビルに相当する。

新しく生まれ変わる国立競技場は、様々な問題点を抱えているが、最も分かりやすいのは、その建物の高さにある。高さは70mにも及ぶ(当初の計画では75mだった)。現在の国立競技場の照明灯の高さが52.32mなので、それを基準にすれば、70mという高さがどれほど威圧的なものであるか、イメージできると思う。これでは神宮の杜は杜ではなくなる。

奇抜で斬新な建物の形状も輪を掛ける。コンペで選ばれたイギリス人、ザハ・ハディッドさん設計の宇宙的でバブルっぽささえ抱かせる建造物が、明治神宮外苑の神聖で厳かな雰囲気にマッチするかと言えば、完全にノーだ。違和感の塊。景観破壊そのものになる。日本橋の真上に首都高速道路を架けてしまったのと同じ愚を犯すことになる。東京の名所をひとつ潰すことになる。神宮外苑の公園としての魅力、価値は激減する。

神宮外苑は、東京の名所であると同時に、世界に対しても胸を張ることができる総合スポーツパークだ。人口1000万超の首都の、そのド真ん中に、これほどの好環境と、アクセスの良さを併せ持つナショナルスタジアムを構えている国は他にない。

僕はこれまで世界各国の何百というスタジアムを訪れた経験があるが、それに基づけば、神宮外苑は奇跡的な空間、スポーツパークだと断言できる。国立競技場を世界のベストスタジアムのひとつに挙げることができる。

これほど気分よく観戦できるスタジアムも珍しい。神宮の杜が放つ絶妙な空気感を、スタジアムの中にいても共有できるからだ。神宮球場、秩父宮ラグビー場もしかり。スタンドの外から入り込んでくる、何とも言えない良い「気」を感じながら、開放感に浸り、ナチュラルな気分で観戦することができる。施設は古いが今日的。高い精神性を兼ね備えた、お洒落でモダンなスポーツ施設だと言える。

スタジアムとその周辺に漂うこの快適な空気感、文化的な香りこそ、世界に向けて宣伝すべき一番のものではないか。

神宮の杜を利用して五輪を開催することに何ら異論はない。だが、その貴重さ、言い換えれば自分自身の魅力に気付いている人は思いのほか少ない。新国立競技場のコンペを主催した日本スポーツ振興センター、その選考に当たった委員、五輪開催に積極的な政治家、メディア関係者もしかりだ。実際、五輪招致のスピーチの中で、その魅力に言及した人は、僕が知る限り誰もいなかった。灯台もと暗しとはこのことだ。

神宮外苑の空気感にいかにマッチさせるか。新国立競技場のコンセプトは、その点に立脚していなければならない。

東京はそもそも2020年夏季五輪開催を通して、今後の世界にどんなメッセージを発信しようとしているのか。スタジアムはメッセージをこめやすい建造物と言っていいが、ザハ・ハディドさんの新国立競技場案から、それとの関連性は見えてこない。むしろ、いま世の中が求めているものとは正反対のものに見える。

ダメもとを承知で言えば、考え直すべきだと思う。現国立競技場を取り壊す前に。(続く)

(集英社・Web Sportiva 10月25日掲載原稿)

スポーツライター

スポーツライター、スタジアム評論家。静岡県出身。大学卒業後、取材活動をスタート。得意分野はサッカーで、FIFAW杯取材は、プレスパス所有者として2022年カタール大会で11回連続となる。五輪も夏冬併せ9度取材。モットーは「サッカーらしさ」の追求。著書に「ドーハ以後」(文藝春秋)、「4−2−3−1」「バルサ対マンU」(光文社)、「3−4−3」(集英社)、日本サッカー偏差値52(じっぴコンパクト新書)、「『負け』に向き合う勇気」(星海社新書)、「監督図鑑」(廣済堂出版)など。最新刊は、SOCCER GAME EVIDENCE 「36.4%のゴールはサイドから生まれる」(実業之日本社)

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