終戦記念日に考えたい 「戦争もの」名作アニメの意義
15日に79回目の終戦記念日を迎え、テレビや新聞では戦争をテーマにした番組・記事が増える時期です。アニメでは「この世界の片隅に」や「火垂るの墓」など、戦争や平和について考えるための名作があります。しかし、最も注目されそうな終戦記念日のタイミングで、あまり露出がないことが気になります。
戦争を知る大正・昭和初期の人たちが次々と亡くなって、戦時中の話を聞くことが減っています。そこで戦争の悲惨さを伝える時に役立ちそうなのが、戦争での悲惨さを描き、平凡な日常の幸せを教えてくれる「戦争もの」のアニメです。戦争を体験していない世代にとって、戦争を学ぶためのハードルが低く、かつ言葉の壁も越えやすい利点もあります。
何かしらで戦争を扱ったアニメは、いくつもあります。ただしそうしたアニメの多くは、視聴者が見て楽しめるエンタメ要素がメインで、主人公は大筋として英雄のような活躍をするもの。しかし戦争についてより深く考える時、英雄の活躍などがあると、どうしても戦争の悲劇性が顧みられづらい一面があります。
戦争に真正面から切り込む内容のアニメは、作品の性質上、どうしても見終わった後に視聴者の心をざわつかせますし、モヤモヤが残ります。「この世界の片隅に」であれば、主人公の人生を変えてしまう展開に戦争の理不尽さを思わずにいられないし、「火垂るの墓」では兄妹の運命に考え込んでしまうわけです。
そして現在は、ネットで膨大な映像を視聴できますし、ゲームなどテレビ以外に多くの娯楽があふれています。テレビが「戦争もの」のコンテンツを放送しても、視聴率で苦戦することは容易に理解できるでしょう。「火垂るの墓」はかつては20%以上の視聴率を取っていたのですが、2018年の放送時は7%を切っています。もともと視聴率は低下傾向にありますし、視聴率を度外視しても放送するべきこともありますが、さりとて無視するわけにもいきません。難しい時代です。
・「映画『火垂るの墓』放送禁止」は都市伝説か現実か?…戦争特番を取り巻く「リアルな背景」(現代ビジネス)
要するに、視聴者が自由に「メディア」を選択できる現在、「戦争もの」のアニメは、扱いが難しく、時代との相性があまり良くないのではないでしょうか。ネットの特性は、利用者が見たいものを優先的に表示し、興味のないものを“排除”するシステムです。テレビや新聞のように、啓蒙する意味でのコンテンツ(戦争もの)をプッシュするわけではなく、消費者が意識して探さないと「気づき」すらありません。どうにもならない面があるのです。
ただ、面白い動きもあります。約40年前に公開された核戦争をテーマに老夫婦の日常を描いたアニメ映画「風が吹くとき」が今月リバイバル上映されています。接触機会を増やす良い試みで、このように地道に、何かしらで戦争について考える機会を少しでも作っていくことが重要なのでしょう。
若い世代も戦争に無関心というわけではありません。しかし戦争に関することについて、「暗い話題にふれたくない」という意見もあるわけで、そこは仕方のない面があります。
ちなみに4年前、戦争について考えられるマンガの記事を書いたのですが、驚くほど他の記事と比べて読まれませんでした。
・「アドルフに告ぐ」「はだしのゲン」 戦争について考える四つのマンガ(河村鳴紘)
メディア側の視点に立つと、記事が読まれることを優先するのであれば、「戦争もの」の記事は、避けられると思います。特にアクセスの増減に敏感なネットメディアは、その傾向がより強いといえます。
ですが、戦争について考え続けることは、我々にとって必要なことでもあるはずです。多くのカンボジアの人が殺されたポルポト政権下で、離れ離れになった親子の物語を描いた「FUNAN」もそうですが、「戦争もの」のアニメは、戦争・圧政の悲劇、平和の大切さを改めて感じさせてくれるのです。
時の流れがある以上、戦争の風化は避けられないのだと思います。それでも「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉もある通り、歴史(コンテンツ)に触れて、心がざわついても考え続けることは、やはり必要だと思うのです。「戦争もの」のアニメがその一助になり続けることを願っています。