【大阪市北区】ピカソはなぜあのヘンな絵を描き始めたのか。謎を解明?「ピカソとその時代」展
皆さん、パブロ・ピカソはお好きですか。筆者は大好きです。画集も持っています。そこで気になるのは、ピカソはなぜあのヘンな絵を描くようになったのか。いつから画風が変わったのかということ。ちょうど今、ピカソやクレーなど4巨匠の名作がそろう展覧会「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」が「国立国際美術館」(大阪市北区)で開催されています(5月21日まで)。
筆者は観てきましたが、ピカソに関してはつくづく突拍子もない絵が展示されていました。じっと眺めながら、なぜこんな変わった絵を描き始めたのか。いろいろ調べてみました。
76点が日本初公開、ピカソの愛人ドラ・マールを描いた作品も
まずこの展覧会、どんな内容なのかと言いますと――
ドイツ出身の美術商ハインツ・ベルクグリューンの収集品を収めるベルリン国立ベルクグリューン美術館の所蔵品97点に、日本の国立美術館所蔵・寄託作品を加えた計108点、そのうち76点が日本初公開となっています。
ピカソは初期の「青の時代」から晩年まで40点以上。第2次世界大戦中に愛人ドラ・マールを描いた「緑色のマニキュアをつけたドラ・マール」(日本初公開)や「黄色のセーター」(日本初公開)、「大きな横たわる裸婦」などが見どころとなっています。
他に、アンリ・マティス、パウル・クレー、アルベルト・ジャコメッティの作品も。
4巨匠の名作の数々は訪れる人の感性を強くゆさぶることでしょう。
ピカソはなぜあのヘンな絵を描き始めたのか。いつから?
さて、筆者が最も気になるのは、ピカソのあのヘンな絵ですね。
調べたところ、ピカソは1907年「アヴィニョンの娘たち」で突然、“変”な絵を描き始めたようです。
それまでは旅芸人などを、しっかりした写実的でものさびしい雰囲気で描写し、それなりの評価を得ていたというのに。
でもね、この「アヴィニョンの娘たち」はコレクターや友人の画家たちにも初めはまったく評価されなかったようです。
なぜ急に画風を変えたのか?
この「アヴィニョンの娘たち」はアフリカ彫刻に興味を持ち表現した作品なのですが、モノには見えない向こう側が存在し、見たまま描く必要はないと、気づいたからだそうです。ナルホド、彫刻には裏側もありますからね。
残念ながら最初は不評で、裏返しの状態でアトリエに10年以上も放置されていたらしいですが……。
この変わったスタイルは「キュビスム」と言われ、立体をいろいろな方向から見て、一つの平面に再構成したもので、その後はキュビスムの絵をどんどん描き始めるのです。
■キュビスム
キュビスムというのは、モノを多方面から見て、幾何学的にとらえ、平面上に合成したものです。対象物をいろんな角度から見て、モチーフを単純化・抽象化して立体の組み合わせで表現。1907年の「アヴィニョンの娘たち」はキュビスムの最初の作品。それ以降にキュビスム作品が続々登場し、これらは原始的な彫刻の影響を受けているとされ、変な絵はこの頃からです。
筆者は国立国際美術館の展覧会でピカソの絵を見て、いろいろ感じるものがありました。
もちろん素晴らしいと思いました。
興味ある方は、会場へどうぞ。
展覧会概要
会期:2023年5月21日(日)まで
会場:国立国際美術館
住所:大阪市北区中之島4-2-55
時間:10:00〜17:00
※金・土は20:00まで(入場は閉館30分前まで)
休館日:月曜日
※5月1日(月)は開館
観覧料:一般 2,100円
大学生 1,300円
高校生 900円
※中学生以下無料
TEL:06-6447-4680 (代)
アクセス:京阪中之島線渡辺橋駅から徒歩約5分