車椅子でもステージに立つ 頭脳警察PANTAの闘い
伝説のバンド頭脳警察のPANTAさんが「オルレアンの少女−ジャンヌ・ダルクー」(シラー作、深作健太演出、夏川椎菜主演)に出演し、19歳のときに作って半世紀以上歌っている「さようなら世界夫人よ」の生演奏を行った。大阪公演3ステのみの特別出演。病を押して車椅子に乗っての演奏と歌唱。なぜ彼はそこまでして歌ったのか。
「オルレアンの少女ージャンヌ・ダルクー」とは
15世紀―英仏百年戦争、神の声に導かれ、故郷オルレアンを救うため戦場に身を投じた少女・ジャンヌの物語にドイツの作家・シラーが独自の改変を加えたものを、深作健太演出、夏川椎菜主演で2022年10月上演。演出の深作健太はパンフレットで「〈戦争〉について、考える演劇」であると語っている。
「さようなら世界夫人よ」とは
ヘルマン・ヘッセが1944年、敗戦間近のドイツを想って書いた詩。これに感銘を受けたPANTAが曲をつけて半世紀以上、歌い続けている。
PANTAとは
69年から頭脳警察として活動、反体制な言動によって伝説を数多く残す。過激で挑発的なワイルドな曲と文学的な深い思索的な曲と振れ幅が広く、音楽のみならず映画や演劇界のクリエイターたちとも交流をもち、若い世代のアーティストたちともコラボするなど、開かれた活動を行っている。
ガラクタのようになった世界でも大地にへばりついてでも生きていこう
――「オルレアンの少女」に出演したご感想をお聞かせください。
PANTA「深作監督にこんな機会をいただいてほんとうにもう感謝感謝なんですよ。ほんとにやりやすくて気持ち良かったです」
――衣裳はどういうコンセプトですか。
PANTA「自前です。監督に黒でお願いしますと言われたこともあって、ふだんほとんど自分も黒だから、じゃあ、私物でと。ほんとはね俺、甲冑がくるかなと思って覚悟してたの(笑)。今度はぜひ甲冑を用意してほしいね」
――ギターは。
PANTA「トニー・ゼマイティスっていうイギリスのギター職人がハンドメイドで作っていたものを日本の神田商会がモデル展開しているもの。10年くらい前から使っています。最初はハートのホールがすごく恥ずかしかったんですけど音がいいから(笑)。今日は音響も良かった。西川(裕一/演奏担当)くん最高だよ。最初は、架空の演劇の世界に生の演奏が入ったときの落差が心配だったけれど、監督の演出でうまく融合できた気がします」
――出演するきっかけは何だったのでしょうか。
PANTA「監督が頭脳警察を中学時代から聞いていてくれて、『さようなら世界夫人よ』を使いたいと申し出てくれたんです。それも最初に聞いたセカンド・アルバムの音を使いたいということで。自分としては若い頃のへたなものよりも、新しく録ったバージョンのほうがいいと思ったけれど、監督が最初に聞いたインパクトが凄かったと聞いてね、それは大事にしなくちゃねということだったんですよ。そのあと、出演のオファーも来て、ほんとうにやっていいのかなと思って、でも嬉しかったですよ」
シラーの「オルレアンの少女」に「さようなら世界夫人よ」が流れる演出を考えた深作健太さんは、PANTAさんに劇中で歌ってもらうことが長年の夢だったと言う。
深作「僕の映画監督デビュー作『バトル・ロワイアルII 【鎮魂歌】』(03年)が戦争を扱った作品だったから、そのときもずっと『さようなら世界夫人よ』が頭のなかで響いていて。そのお話をPANTAさんとお会いしたときにして、いつか劇中で歌ってもらったらと言ったら、じゃあ、今度歌うよって言ってくださって。さっそく夢がかなってしまったんです」
PANTA「17歳のときにたまたまヘルマン・ヘッセの詩集に出会って、勝手に曲をつけた歌がね、いまになってこうやって生きてきて、シラーの書いたジャンヌ・ダルクにぴったし流れが合ってくるわけですよ。詩の解釈はいっぱいありますが、ガラクタのようになった世界でも大地にへばりついてでも生きていこう、大地に咲いた一輪の華のようにね、そういった生きる活力を感じる歌だと自分は思っています。それがシラーのジャンヌ・ダルクにも合っている。監督がこの曲を選んだ意図がひしひしと伝わってくるわけですよ」
――ヘッセの詩に出会った当時、どういうお気持ちでしたか。
PANTA「当時の本屋さんには詩集がいっぱい並んでいたんです。リルケだハイネだって。それがね少女ふうの可愛い装丁で手にとることがはばかられたけれど、自分も詩を書いていたらから勉強のためにはこういうのも読まないといけないかなとたまたま手にとったのがヘッセだったんです。そしてたまたま開いたページが『さようなら世界夫人よ』というタイトルで、こんな世界があるんだとカラダじゅうに電流が走ったような思いで。うちに帰って勝手に曲をつけて。もちろん本はちゃんとお金を払って買いましたよ。ただ当時は著作権の意識がないものだから勝手に三番の歌詞を作ってしまって。ヘッセさんごめんなさいって感じで。翻訳された植村敏夫さんにはレコーディングするまえに挨拶に行きました」
政治や宗教に翻弄される人生ではない別の人生があったかもしれない
――ヘッセはPANTAさんの詩の世界の原点ということでしょうか。
PANTA「そういうわけではないけれど、その頃『イージーライダー』(69年)という映画がありまして、主題歌『Born to Be Wild』を作ったステッペンウルフはヘッセの『荒野のおおかみ』からとったもので。当時ヘッセに影響を受けていたひとたちは少なくなかったんです。わたくしごとになりますが、いま、来年4月発売を目指して制作中のアルバムも“狼”がテーマになっておりまして。それは復讐劇なんですけれど、監督の今回の『オルレアンの少女』もジャンヌ・ダルクを歴史から飛び出させたシラーの復讐劇だと自分は思うんですよ。ちょっと前にね『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(19年)という映画があって、大傑作でした。それは1969年8月9日に起きたシャロン・テイト殺人事件について描いたもので。亡くなったシャロン・テイトのように被害者は語る言葉を持たないわけですよ。それをタランティーノが復讐劇として撮ったのが『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』なんです。復讐劇というのは、ほんとうだったら被害者には違った人生があったのではないかということで、ジャンヌ・ダルクも、政治や宗教に翻弄される人生ではない別の人生があったかもしれない。実際の歴史のことは歴史学者に任せて、おれたちは舞台でも映画でも音楽でも、違う人生が作れるよねってことを言いたい。いま、それに燃えています。たまたま、『オルレアンの少女』を上演したCOOL JAPAN PARK OSAKA TTホールのある森ノ宮の近くの玉造がゆかりの地である細川ガラシャも悲劇の最期を遂げたけれど、彼女にも違う人生があったはずだよねと思う。次のアルバムにガラシャの曲もあるんです」
深作「PANTAさんと最初にお目にかかったとき、宮沢賢治の話をされていて。ほかにもジュネとかPANTAさんのもっている言葉の引き出しは多彩ですし、いろいろな人達の生き方がPANTAさんの生き方に影響を及ぼしているんだなと思います」
PANTA「監督だっていまどきこのシラーの芝居をちゃんと公演できるのはすごいよ。パワーとエネルギーがほんとに恐れ入ります」
――シラーといえば、PANTAさんにも「歓喜の歌」という同じタイトルの曲があります
(ベートーヴェンがシラーの「歓喜に寄せて」をもとに「歓喜の歌」をつくった)。
PANTA「ちょうど9枚目のCDだったから第九に引っ掛けたんです。シラーの詩も鮮烈に覚えていますよ。シラーの詩にいろいろなアーティストが曲をつけているけれど、やっぱり、一番有名なのがベートーヴェンの『歓喜の歌』ですね。これは余談ですし、よく言われていることですが、ベートーヴェン以前、音楽はBGMだったのが、はじめてベートーヴェンが、おれの音楽を聞け!とやったんですよ。貴族や宗教家のために書いた音楽ではなくて、自分の音楽にしたんです。ベートーヴェンはロックですよ」
深作「演劇で古典を解釈して再生していくことはロックのカバーとすごく似ています。考えたら、平和や非戦という思想は、元をたどるとシラーやカントに繋がるのかなと思いますし、いまPANTAさんのお話を聞くと、ベートーヴェン、ヘッセ、ステッペンウルフ、PANTAさんに繋がり、途中でジョン・レノンにも枝分かれして、僕たちに繋がり。そういう人たちの思いの繋がりが国境を超えることはすてきですね。戦ってきた人たちの思想を、繋げていきたい気持ちがシラーの作品になり、そこにPANTAさんに出ていただけたことがうれしいです」
PANTA「リンクしちゃってるんだよね」
へんな役ばっかりやってるんです
――PANTAさんはこれまで演劇に出演したことはあるんですか。
PANTA「『寺山修司―過激なる疾走』(07年)では『毛皮のマリー』の稽古中の美輪明宏さん役をやっています。そのときも骨折していて車椅子での出演だったんですよ。ちょうど寺山修司ぽくていいやと思ってそのまま出ました(笑)。今回は、胸を患っていまして、車椅子を押してもらって出ましたが、これはこれで作品に合っていてよかったと思っています。……演劇出演ではほかには、三田佳子さん主演の『秘密の花園』(06年)で野口医師というへんな役をやりました。映画では、マーティン・スコセッシ監督の『沈黙−サイレンス−』(16年)は大きな経験でした。ほかに、ネットフリックスの『彼女』のお父さん役や『ナミヤ雑貨店の奇蹟』(17年)とかね。へんな役ばっかりやってるんです。役者じゃないから。自分にできることならやるよっていう。『オルレアンの少女』でもあくまでPANTAとして出ているけれど、監督の指示もあってドーンとセクションが入るまではぜったいに動くまいとかね、どこか役者のような気持ちもありましたよ。そういう意味でいろいろな役を演じる役者さんはほんとうにすごいと思います。今回だって、皆さん、三役も四役もやっていて、すごいですね。主演の夏川椎菜さんはもちろんすばらしいし愛原実花さんもすばらしかったですが、男の俳優さんたちもみんなすばらしかったですよ」
――映画音楽といえば『鉄砲玉の美学』(73年)があります(頭脳警察の音楽が冒頭から入ってインパクトがある)
PANTA「あのときは、荒木一郎さんの紹介で中島貞夫監督に会って、曲を書いてくれと頼まれて、じゃあ、画を見せてくださいと言ったら、まだ撮ってなくて曲を書いたら合わせるからって言うんですよ。それから延々、鉄砲玉とは何かっていうことを朝まで語られましたよ。鉄砲玉の世界を知らなかったからいい勉強になりました。何かやるたびに経験になっています。今度は深作監督と映画のほうでもおつきあいしたいなあ」
PANTAさんは、制服向上委員会ともライブを行って、そこでも「さようなら世界夫人よ」を歌っている。「自分にとって衝撃的な詩だったから、19歳で頭脳警察をつくっていま72歳でずっと歌っていますよね。音楽は老けないですよね。それと、ライブで知らないひとが多いと燃えるんです、知らない人のなかで歌うことがものすごくうれしいです」と語ったPANTAさん。深作さんは「PANTAさんの『さようなら世界夫人よ』、誰よりも若く、少年のように歌ってくださって、それはほんとうにもう突き刺さりました」と感慨無量の様子だった。ステージでは車椅子でも70代でも高い声が出て、それが希求の光のようだった。カーテンコールでは車椅子から立って一礼していた。たくさんの人や言葉や音楽と出会いまみれ糧にして成熟しながら、十代のときの鋭い感性をPANTAさんは失っていない。
PANTA
ロックボーカリスト、ギタリスト、作曲家、作詞家。1950年、埼玉県生まれ。1969年、関東学院大在学中、頭脳警察を結成。75年に解散後、ソロ活動を経て77年にPANTA&HALを結成、81年に解散、再びソロ活動に。90年、1年の期間限定で頭脳警察を再開。19年、新メンバー4人を迎え活動再開。解散と再開を繰り返している。最新アルバム「会心の背信」、DVD「頭脳警察 結成50周年1stライブ ~ 初の水族館劇場野外天幕に挑む『搖れる大地に』」発売中