その善意、メサイアコンプレックス?善意は時には仇になる 西日本豪雨に際し現地に負担をかけない支援とは
西日本豪雨の被害が甚大となっている。範囲も広範だ。岡山県総社市(そうじゃし)には、片岡聡一市長の呼びかけにより、高校生のボランティアが1,000人も集まっている。市長のお人柄や、これまで地道に積み上げて来られたことが、高校生にも伝わっているのだろう。
被災時には下着や衣類が必要になるということで、下着のグンゼやZOZOTOWNで有名なスタートトゥデイなど、企業からの支援物資も届き始めている。
個人の物資支援は時には支援が仇になる
被災地から支援を呼びかけて、それが届き、支援物資を集めて送り、それが必要なところへ届く・・・となると、タイムラグがある。自然災害の時にはいつもそうだが、被災地の状況は時間単位で変わっていくので、個人で集めた支援物資が届く頃には、もう要らなくなっていることもある。
筆者は3.11の支援をきっかけに会社を退職して独立した。退職後、セカンドハーベスト・ジャパン(フードバンク)の広報を3年間担当した時、被災地から「これ、要りませんか」と、支援物資の食品が送られてきたことがあった。被災地では使われなかったそうだ。使われない支援食品は、結局、現地で食品ロスになってしまう。
熊本市長は「物資は今は混乱を招く」
熊本地震でも、支援物資が、後にだぶついてしまったことを関係者から伺っている。熊本市長の大西一史氏は、個人の支援物資は時としてハンドリングに混乱を招くと、自身の公式Twitterアカウントで書いている。
岡山県倉敷市は繰り返し「個人からの支援物資は受け付けず」
岡山県倉敷市は、公式Twitterアカウントで、個人からの支援物資を受け付けていないことを表明した。困惑しているようで、繰り返し、Twitterに投稿されている。(川辺橋前に置かれ、通行の妨げになっていた支援物資は、2018年7月9日18時15分時点で解消された)
支援経験者からも「物資よりお金の寄付を」
Twitterでは、需要と供給のバランスが崩れることについて、支援経験者から指摘の声が上がっている。
メサイアコンプレックスとは
以前、心理学の専門家が書かれたハラスメント関連の書籍を読んでいたら「メサイアコンプレックス(Messiah complex)」について説明されていた。メサイア(あるいはメシア)とは「救世主」の意味。自分は救世主である、という思い込みのもと、満たされていない自分を満たすために偽善を行うコンプレックスを指す、というのが趣旨だった。
他者に重きを置いているわけではなく、自分が満たされることが目的なので、時には支援がちぐはぐなものになる。
熊本での災害の時にあった話だが、個人レベルで食料を集めて現地で配布をした方がいた。たくさんの食料を集めるまでに月日がかかった。だが、3.11の時と異なり、津波の被害はなかったため、食料が届く頃にはすでに現地の商店が復興しており、かえって営業の邪魔になったという。だが、送った当人は、「支援をした」ことで大満足。いったい、支援って、なんなんだろう。
被災地にこれ以上負担をかけないよう、ゴミを出さないよう
2011年の3.11の時もそうだったが、個人からの支援物資は、例えば衣類一種類、ではなく、いろんなものが混ぜこぜで送られて来ることも多い。
そのまま被災地に送ると、ただでさえ復興作業で大変な被災地に仕分け作業を強制することになり、多大な迷惑をかける。
2018年7月10日の朝6〜9時に放送されたラジオのJ-Waveの「TOKYO MORNING RADIO」で、ハフポストの吉川慧(けい)さんは、次のような趣旨を語っていた。
吉川さんは、関連する記事をハフポストで発信している。
豪雨被害の倉敷市、個人の救援物資が「自衛隊の妨げ」に。いま、できる支援は?
被災地に負担をかけないよう、自己満足に陥らない支援を心がけたい。