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政権与党による深刻な言論介入-日本の言論・表現の自由はいま、危険水域にある。

伊藤和子弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

自民党のメディア聴取

自民党が4月17日、テレビ朝日とNHKの経営幹部を呼んで、「報道ステーション」「クローズアップ現代」の番組の内容に関する事情聴取をしたことが報じられている。

が、これは政権による言論への介入として、極めて深刻な問題をはらんでいる。

もっと大きく問題にされ、深刻な議論が展開されていいはずだ。

翌日の朝日新聞は「自民、政権批判発言に照準 テレ朝・NHK聴取」と題して、以下のように報道した。

「二つの案件とも真実が曲げられて放送された疑いがある」。17日、自民党本部で開かれた党情報通信戦略調査会。国会議員やテレ朝とNHKの幹部を前に、調査会長の川崎二郎・元厚生労働相は語った。

一つは、テレ朝の「報道ステーション」でコメンテーターが菅氏を名指しし、「官邸のみなさんにはものすごいバッシングを受けてきました」などと発言した件。もう一つは、NHK「クローズアップ現代」で「やらせ」が指摘されている問題だ。

自民の狙いはテレ朝の「報ステ」だ。この日の事情聴取は、テレ朝の約30分に対し、NHKは15分。調査会幹部の一人は「NHKはどうでもいい。狙いはテレ朝だ」と話す。

出典:朝日新聞「自民、政権批判発言に照準 テレ朝・NHK聴取」

報道ステーションで官邸の圧力に言及したコメンテーターの発言に焦点が絞られているのは明らかである。

このようなコメンテーターの一言一句をとらえて「真実がねじ曲げられた」として政権党がテレビ局幹部を聴取するようなことがまかりとおれば、萎縮効果は計り知れない。現場が萎縮し、政権批判を含む発言がほとんど封殺されてしまう危険性をはらんでいる。

しかし、政権与党にとって聴取はあくまでステップにすぎないようだ。朝日新聞によれば、

自民は、テレ朝の社内検証が不十分だと判断した場合、第三者機関の放送倫理・番組向上機構(BPO)に申し立てることも検討する。

出典:http://www.asahi.com/articles/DA3S11710894.html

という。調査会会長の川崎次郎議員は、調査会の後に、

「事実を曲げた放送がされるならば、(放送法などの)法律に基づいてやらせていただく」と語った。また、BPOの対応に納得がいかない場合を念頭に、「(政府には)テレビ局に対する停波(放送停止)の権限まである」と踏み込んだ

出典:朝日新聞4月18日「自民、BPOや放送法言及」

というのだ。これは異常な話である。これが圧力・介入でなくて何であろうか。

さらに、自民党は「放送倫理・番組向上機構」(BPO)について、政府が関与する仕組みの創設を含めて組織のあり方を検討する方針を固めたという。

「放送法」を持ち出すような話なのか?

そもそも遡って考えてみよう。

ここで問題となっている古賀さんが、「官邸のみなさんにはものすごいバッシングを受けてきました」などと発言した件。

私は特にこの方の意見を支持してるわけではない(というより、残念ながら報道ステーションの時間に帰宅できないことが多く、何を発言されているのかあまりよく知らない)し、自分の降板について突然話し始めたのをYoutubeで見たときには、脈絡がないため驚いた。

しかし、政権が「放送法」を持ちだすような話ではなかろう。

古賀さん個人に圧力があったかどうかはわからないが、あったとしても別に不思議とは思わない。

圧力というのは陰に陽に、直接的にも間接的にもかけられるものである。

オフレコのメディアとの懇談で、古賀氏を批判し「放送法」を持ちだしたことを記載したオフレコ・メモもあるという。

http://lite-ra.com/2015/03/post-986_2.html

折も折、自民党が報道ステーションを名指しして「公正中立」を求める要請文を出していることも最近明らかになった。 

テレビ朝日が衆院解散後の昨年11月24日に放送した「報道ステーション」でのアベノミクスに関する報道に対し、自民党が「公平中立な番組作成」を要請する文書を出していたことが分かった。自民党は要請を「圧力ではない」と説明している。

要請書は昨年11月26日付。自民党の福井照報道局長名で「アベノミクスの効果が大企業や富裕層のみに及び、それ以外の国民には及んでいないかのごとく断定する内容」と批判。意見が対立する問題は多角的に報じることを定める放送法4条に触れ、「番組の編集及び解説は十分な意を尽くしているとは言えない」と指摘した。

出典:http://www.asahi.com/articles/ASH4B3SDNH4BUTFK004.html?iref=reca

自民党が要請を「圧力でない」と言ったとしても、受け取ったメディア側からすれば圧力と感じるのが通常であろう。

これには、民放で働く労働者で作る民放労連が「圧力以外の何物でもない」と強く抗議している。

ところが、自民党はこうした都合の悪い事にはあまり触れない。

いずれにしても、公表されている事実関係を見る限り、事実をねじ曲げた、というのは政権側の逆切れのようなものであり、政権側が「事実をねじ伏せる」ために圧力をかけているのではないか、との感想を禁じ得ない。

問題にすべきは、「要請」「放送法」の名のもとに、報道に圧力をかけている政府・自民党の側であるのに、論点をそらし、「圧力があったというのは事実誤認だ」として圧力をかけているのが現状である。

そもそも、放送法4条は

一  公安及び善良な風俗を害しないこと。

二  政治的に公平であること。

三  報道は事実をまげないですること。

四  意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。

と規定するが、放送業者が自主的に取り組む責務として解釈されており、放送法4条を根拠とする国家による介入は本来想定されていない。

そしてコメンテーターの発言は「報道」ではないのであり、コメンテーターの発言に誤りがあるからと言って「報道は事実をまげない」に該当するとはいえないであろう(失礼ながら、テレビのコメンテーターが大なり小なり間違った発言をしているのはよく見受けられるのだが、そんなことにいちいち政府が詮索・介入したらどうなるのだ)。

ちなみに、放送法4条には「政治的に公平であること」とある。

しかし、この「公平」は誰が決めるのか。政府からみた「公平」と反対政党から見た「公平」は全く異なる可能性があるだろう。

「公平」を政府見解とはき違え、政府見解から容認できないものは「公平でない」などとして干渉することになれば、政府見解と異なることは言えなくなり、報道機関は政府のプロパガンダ機関と化してしまう。

表現の自由への挑戦

そもそも、政府が威嚇の手段として持ち出している放送法であるが、第一条はその目的として

一  放送が国民に最大限に普及されて、その効用をもたらすことを保障すること。

二  放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによつて、放送による表現の自由を確保すること。

三  放送に携わる者の職責を明らかにすることによつて、放送が健全な民主主義の発達に資するようにすること。

を掲げている。

また、第三条は、

放送番組は、法律に定める権限に基づく場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。

と規定する。

政府・権力からの干渉・介入は許されないことは明らかである。

確かに放送法上、放送事業は総務大臣の許認可・更新を受けることになっている。しかし、四条に合致しているかを総務大臣が審査して更新をしないなどということはよほどのことがない限り認められないことは憲法上明らかである。

放送法は、日本国憲法21条の保障する言論・表現の自由のもとにある。

憲法21条

1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。

2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

日本国憲法は、戦前に表現の自由が弾圧をされたまま、反対意見が言えずに雪崩を打って戦争に至った歴史への反省のもと、表現の自由を最大限に尊重する憲法として誕生している。

米国と同様、表現の自由には最大の価値が置かれる憲法体系のもと、表現の自由を制約することが合憲と認められるためには大変厳格なハードルが課されている。

他者の人権を保障するために必要やむを得ない事情がある場合にのみ規制が正当化されるが、規制は最小限度でなければならず、他により表現の自由を制約しない方法がある場合、表現の自由すべての剥奪(ここでいう許認可を更新しないなどの措置)のような措置は許されない。 

特に表現の内容を公権力が審査・規制することは極めて例外的でなければならない、とされている。

このような憲法の制約からみれば、古賀氏の発言を理由とする放送停止、などというのは明らかに違憲であることが明らかなのであって、そのような言及を持ちだすこと自体、政権与党の見識が疑われる。明らかに違憲な、言論への干渉をするぞと脅して、威嚇しているのである。

停波などという放送事業者の生殺与奪を弄び、萎縮させるようなやり方は憲法が保障する言論・表現の自由への明らかな挑戦であり、現政権・政権与党の人権感覚が疑われる。

また、BPOという自主的な取り組みを変えて政府が関与をするというのは、明らかに一線を越えている。

言論の自由はいま危ない。

過去にも言論への政権与党の介入はあったが、ここまで露骨な介入に踏みこんだのは尋常ではない。

このようにして、第四権力であるメディアを震え上がらせて沈黙させた後は、行政をチェックするはずの国会議員や司法にまで圧力をかけて、三権分立も骨抜きにする危険性が待っていると懸念される。

最近、福島瑞穂議員が質問で使った「戦争法案」という発言を弾圧する動きが問題となっているが、これはその端緒というべきではないだろうか。

自分と見解が違う少数意見は全部封殺してしまってよいとなったら国会はどうなるのだろうか。

安倍首相が「価値観が異なる」と敵視している、中国などの言論抑圧構造に近づいてしまっていく危険がある。

日頃、独裁国家の人権状況をモニタリングしている私としては、日本の言論の自由は大変気になる水域に入ってきたと感じている。

軍事クーデターもないまま、いつのまにかみんなが迎合・沈黙してしまう、歴史上繰り返されてきたある種の言論抑圧体制に、放っておけば雪崩を打ったように進んでしまう危険性がある。 

戦わないメディアの現状

ところが、次々と繰り出される政権・与党からの攻勢・圧力にメディアの及び腰は目を覆うような有様だ。

特に、自らは標的とならなかったメディアが他人事のように沈黙したり、中にはバッシングに積極的に加わる様には驚くほかない。

昨年の朝日新聞バッシングでは誤報を理由に「国賊」「国益に反する」などの言葉を新聞他社が使って朝日新聞を攻撃する姿勢が見られた。

今年に入り、後藤氏の殺害事件の直後にシリア入りした朝日新聞の取材に対し、政権および他紙からのバッシングが続いた。

後藤氏の殺害後にパスポートを取り上げられ、再申請したパスポートに『シリアとイラクの入国制限』をつけられたフリー・ジャーナリストの件についても、メディアがわがこととして問題視したり、積極的に報道をする姿勢は見られない。

そして、今回の自民党による聴取や「放送法」に関する圧力に対しても、残念ながら、連日メディアが猛反発してキャンペーンを展開してはねのける、という構えには全く見えない。

昨年11月のテレ朝への自民党の要請文の件についても、民放労連という労働組合だけが声明を出したようだ。

本来、

民放連   http://www.j-ba.or.jp/

新聞協会  http://www.pressnet.or.jp/

といった業界団体が真っ先に対抗し、抗議をすべきはずである。

90年代にこれらの業界団体の幹部に会った際は、私からみても戦闘的すぎるほど、強固に表現の自由を守る姿勢だったのを覚えているが、いつから変わってしまったのだろうか。

自分の社に関係ないということで黙っていたり、率先してバッシングをするような状況は、実は自分たちの首を絞めているということに気が付かないのであろうか。

政権から目の敵にされているメディアが孤立し、凋落する、それで商売敵が減るという考えもあるかもしれないが、そんな作戦が成功すれば、次は他社が少しでも気骨のある報道をすれば、攻撃対象になるかもしれない。まるでいじめの構図と同じである。

エリート集団となってしまい、第四権力ともいわれるメディアのなかには、いざ表現・言論が危機に立たされた際に戦う気骨がなくなってしまったのだろうか。一緒に連帯する気概がなくなってしまったのだろうか。

憲法違反の恫喝や、乱暴なバッシングを恐れて萎縮し、換骨奪胎とさせられてしまうなら、権力監視というメディアの存在意義は無になる。独裁国家の放送局と変わらないことになるだろう。

メディアも社説で問題視するなどしているものの、微温的に自民党をたしなめたりする論調が多く、主要メディアと言われる媒体、そしてメディア総体としての抗議の仕方はおとなしすぎると感じる。

2013年の秋から冬にかけての特定秘密保護法反対の際には、少なくとも多くの言論人・メディアが連帯して論陣を張ったはずだ。

日本の表現・言論の自由が危ない、まさかの時代に突入する危険がある。メディアが沈黙したり、迎合している場合ではないはずだ。

日本国憲法にはこのように書かれている。

第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。

言論・表現の自由は所与のものではなく、勇気をもって行使し、求め、対抗し、勝ち取るものであり、そのことを忘れれば、私たちの自由はとても危うい。多様な言論の機会が奪われれば、民主主義そのものが危機に陥る。

政府の許容範囲から少しでも外れる言論は攻撃され、圧殺される、言うこと自体が萎縮させられる、それが常態化すれば、権力の暴走に歯止めがきかなくなる危険性がある。

メディアには今こそ踏みとどまって、毅然と抗してほしい。

そして、私たちももっと問題にしていくべきだと痛感する。

自民党には意見をいう窓口などもあるし、https://www.jimin.jp/voice/

ネットを始め、様々な媒体がある。身近な選挙も近々ある。

意見が言えなくなってからでは遅い。その前に、表現の自由を行使しましょう。

弁護士、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ副理事長

1994年に弁護士登録。女性、子どもの権利、えん罪事件など、人権問題に関わって活動。米国留学後の2006年、国境を越えて世界の人権問題に取り組む日本発の国際人権NGO・ヒューマンライツ・ナウを立ち上げ、事務局長として国内外で現在進行形の人権侵害の解決を求めて活動中。同時に、弁護士として、女性をはじめ、権利の実現を求める市民の法的問題の解決のために日々活動している。ミモザの森法律事務所(東京)代表。

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