“歌・舞・演”で蘇る“奇術師”の本領(その2)〜オペラ「眠れる美女」を予習する
keyword 2:オペラという表現手段
オペラは、演劇と音楽によって表現される芸術形態だ。
“作品”を意味するラテン語が語源になっていることを考えると、古代ギリシャで発展した舞台劇ではすでに歌と芝居は“出合いもの”として認められていたことがうかがえる。
現代につながるオペラが形成されたのは、16世紀末の古代文化復興をめざしたルネサンス後期のことで、18世紀にかけてイタリアのナポリを中心に大きな発展を遂げた。
18世紀後半に古典派が台頭すると、モーツァルトをはじめとするドイツ語のオペラも確立し、イタリア・オペラとは距離を保ちながら発展していく。
そして、イタリアにおいてはヴェルディ、ドイツにおいてはヴァーグナーを生んだ19世紀に、そのピークを迎える。ヴェルディの「アイーダ」「オテロ」、ヴァーグナーの「トリスタンとイゾルデ」「ニーベルングの指輪」といったロマン派の作品が、今日の一般的なオペラのイメージを象っているのはそのためだ。
一方で、19世紀後半の国民主義の台頭などに見られる音楽スタイルの多様化に伴い、オペラにも古典に拠らない作風が取り入れられるようになっていく。
20世紀に入ると、ヴァイルの「三文オペラ」のような“時事オペラ”と呼ばれる、心理描写よりも筋立て(エピソード)を重視するスタイルも出現したが、オペラの役割自体はレヴューやミュージカルに代わられていったと言えるだろう。
その原因は、主に古典オペラの言語主義にあった。つまり、イタリア語やドイツ語を用いないオペラを認めない風潮が連綿と続いていたことが、オペラへの偏見と心理的障壁を生んでいたことになる。
逆に言えば、こうした旧弊を排し、新たなマテリアルを取り込むことで、魅力的な作品を生み出しうる状況にあるのが、21世紀のオペラの“立ち位置”とも考えられる。
レヴューやミュージカル、そして映画というフォーマットまで間口を広げてもなお、音楽と演劇的要素を総合的に融合させる手段として、オペラが築いてきた“器の大きさ”にはかなわない、と判断できるから……。
オペラ「眠れる美女〜House of the Sleeping Beauties〜」の初演時の記録映像
<続>