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選手権大会ベスト8は過去の栄光か―朝鮮高校サッカー部に今、求められているものとは(前編)

金明昱スポーツライター

 毎年夏を迎えると、「そろそろ選手権大会の予選が始まるな」と思い出したかのように、母校である大阪朝鮮高級学校サッカー部の動向が気になり始める。

 もちろん、大阪だけでなく、東京、神奈川、京都、神戸、広島の各地域の朝鮮高級学校(以下、朝鮮高校)の予選結果も同じく気がかりになる。

 高校サッカーの大舞台と言えば、夏のインターハイと冬の高校サッカー選手権大会、そして各地域で行われている高円宮杯U-18サッカーリーグ(プリンスリーグ)。だが、朝鮮高校にとってはもう一つ、夏に大事な大会が控えている。

 年に1回開催される朝鮮学校に通う学生たちのスポーツの祭典、在日朝鮮学生中央体育大会だ。

 新聞やテレビでは朝鮮高校の無償化問題が揺れていた。

 大阪朝鮮高校を高校授業料無償化制度の適用対象から外した国の対応の是非が問われた訴訟で、大阪地裁が学校側の請求を全面的に認め、国の処分を取り消し、無償化の対象とするように命じた。

朝鮮高校サッカー部だけの全国大会

 そんなニュースを目にしながら、母校のサッカー部のことが気がかりになった。自然と足は東京・小平市にある朝鮮大学校に向いていた。

 ここで8月11~13日まで在日朝鮮学生中央体育大会の高級部サッカーの部が開催された。いわゆる“朝鮮高校サッカーの全国大会”だ。

 今年は東京、神奈川、愛知、大阪、京都、神戸、広島、茨城・東京合同の各地域の朝鮮高校サッカー部8チームが参加した。今大会の結果は決勝戦で大阪朝鮮が、茨城・東京合同チームを1-0で下して連覇。同大会の過去10年の結果を振り返ると大阪朝鮮が優勝7回と強さが際立っている。

在日朝鮮学生中央体育大会・高校サッカーの部で優勝した大阪朝鮮高サッカー部
在日朝鮮学生中央体育大会・高校サッカーの部で優勝した大阪朝鮮高サッカー部

 大会関係者によると「8チームが集まったのは10年ぶりくらい」のことだという。

 というのも、これまでは9月初旬に開催されていたが、日程的には全国高校サッカー選手権予選が始まる時期。そのため参加チームが少なかったり、Bチームを参加させたりと大会そのものの“存在意義”が問われていた。

 それはなぜなのか。

 大阪朝鮮高サッカー部の康敏植(カン・ミンシク)監督と東京朝鮮高サッカー部の姜宗鎭(カン・ジョンジン)監督はこう口をそろえる。

「我々の目標は選手権、インターハイ、プリンスリーグの3つで結果を残すこと」

 朝鮮高校もまた、日本の高校と狙うタイトルは共通していた。朝鮮高校にとっても、高校日本一のタイトルは悲願でもある。

 ただ、元々は年に1回開催される「朝鮮高校サッカー部だけの全国大会」が、最大の目標である時代があった。朝鮮学校には高体連主催の公式戦に長らく出場できなかった時代があり、明確な目標を見いだせないままサッカーを続けたという朝鮮学校のOBは多い。

大阪朝鮮の選手権ベスト8が最高位

 日本の高校スポーツの頂点を決めるインターハイに出場できるようになったのは1994年。さらに全国高校サッカー選手権大会に出場できるようになったのは96年からだ。

 Jリーグが誕生したのが93年だ。そんな時代だからこそ、プロサッカー選手になる夢を持つ人もそこまで多くなかった。20年以上も前のことだ。

 朝鮮学校が日本の高校と同じ土俵に立てるようになってからは、朝鮮高校だけが集まるこの“全国大会”は年を重ねるにつれて蚊帳の外に置かれてしまった。そうなると“消化試合”となり、各チームや選手のモチベーションは当然、低下する。

 今年はそうした状況を解消しようと日程をずらし、すべての朝鮮高校サッカー部が集まれるようになったわけだ。

 朝鮮学校だけのサッカー大会とは、一見、狭い世界なのかもしれないが、各地域の朝鮮高校サッカー部にはこれまで培ってきた伝統とプライドがある。

 大阪朝鮮高はインターハイに2度、選手権には3度(05年度ベスト8)の出場を果たしている。広島朝鮮高は01年のインターハイ、京都朝鮮高は03年度の選手権に出場した。東京朝鮮高は97年の選手権大会都予選で決勝(vs帝京高校)まで勝ち進んだが、全国の切符をつかめずにいる。

大阪朝鮮対茨城・東京朝鮮合同チームの決勝戦
大阪朝鮮対茨城・東京朝鮮合同チームの決勝戦

朝鮮高出身者からJリーガー

 さらに、各朝鮮高校サッカー部出身者からは、多くのJリーガーが誕生している。

 もっとも有名なのは、朝鮮民主主義共和国(以下、北朝鮮)代表として南アフリカW杯でプレーした清水エスパルスFWの鄭大世。彼は愛知朝鮮高サッカー部出身(その後、朝鮮大学サッカー部)である。

 ベガルタ仙台で10番を背負う梁勇基は大阪朝鮮サッカー部でプレーした。梁は99年インターハイでチームの司令塔として、同部をインターハイ初出場へと導いている。

 また、北朝鮮代表として南アフリカW杯に出場した安英学は東京朝鮮高サッカー部出身。彼は今年4月、スパイクを脱ぎ、アルビレックス新潟のホームスタジアムであるビッグスワンで引退セレモニーを行った。現在は全国各地の朝鮮学校を回りながら、後輩たちにサッカーの指導と夢を与える活動を展開中だ。

 さらに、朝鮮学校から初のストレートでJリーグ入り(サンフレッチェ広島)を果たした李漢宰(FC町田ゼルビア)は、広島朝鮮高サッカー部出身。

 いずれの選手たちも「朝鮮学校だけの全国大会」の経験者。彼らがこの大会を通じて、得たものも少なくないだろう。

 日本の公式戦に出られるようになった今でも、そういう意味では大会の存在意義はあると思う。(後編につづく)

スポーツライター

1977年7月27日生。大阪府出身の在日コリアン3世。朝鮮新報記者時代に社会、スポーツ、平壌での取材など幅広い分野で執筆。その後、編プロなどを経てフリーに。サッカー北朝鮮代表が2010年南アフリカW杯出場を決めたあと、代表チームと関係者を日本のメディアとして初めて平壌で取材することに成功し『Number』に寄稿。11年からは女子プロゴルフトーナメントの取材も開始し、日韓の女子プロと親交を深める。現在はJリーグ、ACL、代表戦と女子ゴルフを中心に週刊誌、専門誌、スポーツ専門サイトなど多媒体に執筆中。

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