哀れ花山天皇。が、それよりまひろと道長の展開が速くないか。「光る君へ」第10回
ロミオとジュリエットのようなまひろと道長。ただしまひろが冷静
「生きてることは悲しいことばかりよ」(まひろ)
大河ドラマ「光る君へ」(NHK 脚本:大石静 演出:黛りんたろう)第10回「月夜の陰謀」は陰謀とラブロマンスの極地だった。
(ネタバレありますので、ご覧になってからお読みください)
決行は6月23日丑の刻。花山天皇(本郷奏多)を出家させる大作戦が動き出す。
安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)の占いによって、兼家(段田安則)にとって最も運気隆盛のときを狙うことになった。
「道綱、命がけでつとめを果たせよ」と兼家は、道綱(上地雄輔)も作戦に巻き込む。
猶予はわずか2時間。寅の刻までに実行しないとならない。
まず、道兼(玉置玲央)が、出家する気になっている花山を焚き付け、23日を強く勧める。
道長(柄本佑)は、作戦がしくじった場合、何も知らなかったふりをして家を守れと、「おまえだけは生き残れる」と兼家に言われて、複雑な気持ちに。
長男・道隆(井浦新)は「あちらがわの者」と考えている兼家。家族といってもビジネスライクというかとてもクールな関係性なのだ。
このとき道長は直秀(毎熊克哉)が亡くなったことを思い出す。散楽の人たちが思いがけず重い刑で処分されてしまったことも、藤原家の政治的なことと関わりがあったりして。
散楽の人たちは藤原家をはじめとして貴族批判をしていたから。そういう者たちと道長が懇意にしていることを兼家は警戒していたのかもしれない。
いとと為時
まひろと道長
さて、開始10分ほどで、いったん政治パートから、恋愛パートに移る。
その晩、家でまひろ(吉高由里子)が怨念を感じるような音色の琵琶を弾いている。と、為時(岸谷五朗)は高倉の女のもとから帰らないのかもしれないと、いと(信川清順)が気を揉む。
「殿様はあきらめます 高倉にくれてやります」と言ういとに「父上はいとのことも大切に思っているわよ」とまひろが返す会話にびっくり。
いとが妙に強気で家のことに口を出すなど、薄々そうなの?と感じる場面も過去にあった。やはり、いとは為時の女になっていたということなのだろうか。正妻のちやは(国仲涼子)が亡くなって長いし、外にも女性がいるにしても、家でも……。
SNSではそう感じた人たちもいれば、いとが勝手に大騒ぎしているだけと思っている人もいるようだ。
まひろが高倉の女がどんな人が偵察に行く。貧しく病弱な女性であった。
いとや高倉の女をモデルに「源氏物語」の、見た目が地味な末摘花や、儚げな夕顔が誕生するのだろうか。
道長は、和歌をまひろに送り、まひろは漢詩で返す。何度か往復しあうが、ぐいぐい押す道長に対して、まひろは漢詩で道長の熱を冷ますような返事をする。やや説教臭い感じもする。
もやもやした道長が行成(渡辺大知)に相談すると、和歌は気持ちを見るもの聞くものに託し言葉にするもので、漢詩は志を言葉に託していると言われる。
まひろの気持ちを理解するヒントにはなったものの、藤原詮子(吉田羊)から源倫子(黒木華)と源明子(瀧内公美)のふたりの源氏を妻にしろ(詮子の言葉では「掴んでおく」)と勧められた道長は「なんということを!」と困惑する。なにしろ、まひろのことで心がいっぱいなのだから。
詮子は、作戦が失敗し父が失脚したときのことを考えて準備しているのだ。
兼家にも詮子にも何かのときには任せると、重荷を背負わされながら、ようやくいつもの廃邸でまひろと会うことに。光源氏は廃墟で夕顔と会う。様々なまひろの体験が、やがて「源氏物語」になっていくのだろう。
この時代の女性は1回の恋文ではなびかず、何度か冷たくするものらしい。
さんざん焦らされた道長はいきなりまひろをバックハグ。そして口吸い。このとき、まひろにまったくためらいや恥じらいは感じられず、積極的に身を委ねているようにしか見えない。
なぜ? 文の交換によって熱が高まったのか? もしや、すでに境界を飛び越えていたのではと疑ってしまった。だとしたら、いつ。どこで。
それは、のちに、「だから帰り道、私も、このまま遠くに行こうと言いそうになった」とまひろが言う場面。そこで「だから私も」のあとに間を意味深にとったので、鳥辺野の帰りに、お互いの感情を確かめあっていたのかなと想像してみた。吊り橋効果。いずれにしても、あの悲劇はふたりの仲を一気に縮めたことは確かであろう。
すっかりまひろに夢中な道長は「一緒に都を出よう」「藤原を捨てる。おまえの母の敵である男の弟であることを辞める〜〜」とぐいぐい迫る。
このままだと、藤原家を継がされる可能性があるという焦りもありそうだ。
だがまひろは「あなたが偉くならなければ 直秀のように無惨な死に方をする人はなくならないわ」ととても冷静なのだ。まさに、情緒の和歌の道長と、志の漢詩のまひろとの違いがここに出ている。文学的志向で登場人物の個性を表す。作家・紫式部リスペクトだなあと感じる。
「ロミオとジュリエット」のように若く情熱的なまひろと道長だが、ロミジュリの場合、「名前を捨てて」というのはジュリエットのほうだ。
ふたりとも猪突猛進だったロミジュリと違って、まひろが冷静だったため、ふたりが若くして命を落とさずに済むのだが、ロミジュリもまひろ道長も、手綱を握っているのは女性で、まひろも「名前を捨てる」と自ら言う道長に、志のためにいまの地位を捨ててはならないと説得する。
お坊ちゃんの道長が都を出たら何もできないことがまひろには容易に想像できてしまうのだ。道長には家の地位を利用してもらうしかない。この大人びた知性は、やはり大作家になる所以であろうか。
余談だが、「光る君へ」はシェイクスピアのようなところが散見される。
散楽の人たちは「ハムレット」の旅芸人のようだし、鳥辺野の場面も「ハムレット」の墓掘りの場を少し思い出す。
いま、ちょうど、段田安則と玉置玲央が舞台「リア王」に出演しているが、王様と3人の娘は、兼家と3人の息子と重なるし、自らの体に傷をつけ他人を欺く人物は道兼を彷彿とさせる。
プラトニックじゃなかった
一緒に遠くに行くことは難しいが、廃邸のなか、月の光の粉が降るなかで、結ばれるふたり。
最高に美しい黛りんたろう、演出。
道長「振ったのはおまえだぞ」
まひろ「人は幸せでも泣くし、悲しくても泣くのよ」
道長「これはどっちなんだ」
まひろ「どっちも。幸せで悲しい」
「光る君へ」ではまひろと道長は”ソウルメイト”という触れ込みだったので、プラトニックなままかと思っていたけれど、まひろのはじめての人が道長だからこそ、忘れられないということとしたようだ。
確かに何もなかったらその後、お互い、別の人たちと結婚することになるし、それによって薄らぐことのない濃密な感情は、このような肉体の思い出があってこそなのかもしれない。
そして、32分頃、再び、政治パートへ。
作戦の日、道兼が大活躍。
「大鏡」にも記された、花山天皇の出家の一件。女装して脱出は「鎌倉殿の13人」の源頼朝(大泉洋)を思い出すが、「大鏡」に描かれた「寛和の変」を意識しての行為だったのか。あるいはこの時代、人目を憚るポピュラーな行為だったのか。
「私はこれにて失礼します」と剃髪した花山を置いて、去ってしまう道兼。
ひどい。でも、このときの玉置玲央の表情が最高だった。
表情といえば、作戦が成功したあとの藤原家それぞれの表情もみごとに違っていて興味深いし、新たに摂政になった兼家と蔵人の頭になった道兼に憮然となる藤原実資(ロバート秋山)の表情もじつに鮮やかだった。
大河ドラマ「光る君へ」(NHK)
【総合】日曜 午後8時00分 / 再放送 翌週土曜 午後1時05分【BS・BSP4K】日曜 午後6時00分 【BSP4K】日曜 午後0時15分
【作】大石静
【音楽】冬野ユミ
【語り】伊東敏恵アナウンサー
【主演】吉高由里子
【スタッフ】
制作統括:内田ゆき、松園武大
プロデューサー:大越大士、高橋優香子
広報プロデューサー:川口俊介
演出:中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろう ほか