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国会審議の形骸化は目を覆うばかり

田中良紹ジャーナリスト

去年の臨時国会以来、国会審議の形骸化は目を覆うばかりである。特定秘密保護法や日本版NSC法を成立させた臨時国会では野党の質問に政府がまともに答えず、議論が噛み合わないまま成立に至った。今国会での集団的自衛権を巡る審議でも全く議論はかみ合わない。

形骸化が顕著になった理由は、去年の参議院選挙で「ねじれ」が解消したためである。与党は国会内で衆参共に多数派を形成しすべての法案を成立させる事が可能になった。そこに「民主主義は多数決」などと世界の常識にない民主主義論を振りかざすメディアと、それを信ずる低レベルの国民が存在するためそれが促進される。

「民主主義は多数決」の論理に従えば、多数与党は野党の要求に耳を傾けて法案を修正する必要がない。自分たちの考えを言いたいだけ言って野党の要求を無視し、時間稼ぎさえすれば「慎重審議をした」との言い訳が成り立つ。そして「民主主義的な手続き」によって法案を成立させたと主張することが出来る。

しかしこんな議論を平然と行う民主主義国はない。同じ議院内閣制のイギリスはマニフェスト選挙を行って国民に政策を選ばせ、過半数の議席を得た政党が内閣を組織する。従って内閣の政策は国民の多数の支持を得た政策である。それを実現するのが民主主義ならば、議会は必要ない話になる。

しかしイギリス議会は機能する。なぜなら多数の支持を得た政策が正しいとは限らない事をイギリス人は知っているからである。従って議会は、国民の多数の支持を得た政策を、野党の主張も取り入れて修正し、より良いものに仕上げる作業を行う。「民主主義は多数決」ではなく「少数意見の尊重」こそ民主主義の基本なのである。

さらに法案を貴族院がチェックする仕組みもある。国民の選挙で選ばれない貴族院は、国民から選ばれた下院が可決した法案を否決する事は出来ない。しかし法案の施行を遅らせる事ができる。つまり貴族院は国民に熟慮の機会を与える。国民の多数で選ばれた政党や政策をストレートに政治に反映させない仕組みを持つ。それがイギリス民主主義である。

アメリカはマニフェスト選挙をやらない。国民は政党の政策ではなく候補者個人を選ぶ。従って選挙で選ばれた議員は所属政党の政策に縛られない。議員は議会の議論を聞き、選挙区の有権者の声を聞いて投票する。だから最後の最後まで法案の行方は分からないのがアメリカ政治である。イギリスに比べ「民主主義は多数決」的な仕組みとも言えるが、大前提は党議拘束がない事である。

議院内閣制のイギリスと大統領制のアメリカはこのように政治の仕組みが異なる。しかし国民の多数に迎合する政治を「民主主義の敵」と考える意識は共通する。イギリスもアメリカも議会のテレビ中継を最近まで禁止してきた。国民を意識し、迎合する政治家が増えれば民主主義は死滅すると考えるからである。

複数政党があり、選挙で選ばれた議会があり、平和主義の憲法があっても、国民の圧倒的人気でヒトラーが誕生した歴史を彼らは知っている。ヒトラーは民主主義が生み出して民主主義を死滅させた実例である。だからメディアを利用して国民を扇動する政治家を彼らは最も警戒する。

その視点が日本人には欠落していると思う。「ねじれ」が解消した途端に麻生副総理が「ナチスに学んだらどうか」とポロリと本音を言い、周辺国の脅威を煽って選挙公約にない政策が次々に登場しても、「民主主義は多数決」という論理がまかり通る。

28日に行われた衆議院予算委員会での安倍総理と民主党の岡田克也議員の論戦はかみ合わない議論の典型であった。岡田議員は安保法制懇の報告書の内容ではなく、安倍総理が記者会見で説明した邦人救出について、なぜすぐに集団的自衛権の発動と結びつくのかを質した。真剣に救出に努力するなら他にも様々な方法を考えるのが政府の仕事ではないかとの質問である。

ところが安倍総理は誰かから刷り込まれた「個別的自衛権では対応できないから集団的自衛権だ」との答弁を関係がないのに長々と説明する。一方で集団的自衛権の発動は武力行使を意味するのに、「国連の集団安全保障には参加しない」という話と混同させて、「武力行使を目的として他国で戦闘する事はない」と言い募る。こじつけだらけで全くすれ違いの議論を見せられた。

昔の自民党には「言語明瞭、意味不明」の答弁もあったが、それでも野党との合意形成に努力する姿勢が見られた。野党の要求を入れて修正するやり方が一般的で必ず野党のメンツを立てた。一方でアメリカの要求が国益にならないと思えば野党に反対させ、それを口実に受け入れを拒否した。そのため絶対に野党の議席は減らさないように按配した。

その頃、国会審議を形骸化させたのは野党である。NHKのテレビ中継を意識して政策論よりスキャンダル追及に血道をあげ、東京地検特捜部に摘発させて国民の溜飲を下げさせ、肝心の政策から目をそらさせる役割を果たしていた。

「55年体制」にはいろいろ問題もあったが、アメリカの要求をかわしながら「一億総中流」の経済大国を実現した政治と比べると、野党との合意形成に重きを置いていたその時代の方が、今よりずっと民主的だったと思う。多数派が「勝ち組」で少数派が「負け組」と見られるような政治は民主主義の名に値しない。

ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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