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【京都市東山区】花街祇園の真ん中に静かに奉られる崇徳天皇 白峯神宮や乙訓寺にも 街中になぜ?

HOTSUU地域ニュースサイト号外NETライター(京都市)

 保元の乱(1156)に敗れた第75代崇徳天皇は、京都の繁華街・祇園の中心に、「崇徳天皇御廟」として奉斎されてます。2023年5月28日に訪ねてみました。

 東山通安井を一筋上がって、如月小路を西へ二筋、突き当たる万寿小路、祇園花見小路甲部歌舞錬場(GION corner)の東側にある楠の巨木の元に御廟はひっそりと鎮座しています。毎月21日には崇徳天皇の月命日として月次祭を白峯神宮の神職が奉仕し、祇園の女将さんを始め崇敬の思い篤き方々も参列して月次祭が斎行されます。

 崇徳天皇は、讃岐国(今の香川県)に配流の悲運に遭いました。血書をもって京都への還幸を願いますが、無念の思いを残して、長寛2年(1164)に46歳にて崩御したと言われます。そのまま四国の白峯山陵に奉葬されました。建礼門院徳子の女房として知られ、天皇の寵愛が厚かった阿波内侍は、この場所に一塚を築き、その遺髪を納め、鎮魂したと伝承されています。

 幕末、風雲急を告げる時代となって、121代孝明天皇は、崇徳天皇の御霊を慰め、かつ未曾有の国難にご加護を祈らうとし、幕府に下命して、現在の香川県坂出市の「白峰山陵」から京都に迎えようとしましたが叶わぬままに崩御します。明治天皇は父帝の遺志を継承し、和歌や蹴鞠の宗家として知られる公卿「飛鳥井家」の邸宅地跡に、慶応4年(明治元年)9月6日、白峯神宮を建立しました。

 崇徳天皇の供養塔は長岡京市の乙訓寺にも奉斎されています。奈良時代の末から平安時代以降、天変地異や疫病、国難などは、特に中央の政界で政争に敗れ、無念のうちに没した人たちの怨霊が禍をもたらす元凶と信じられていました。その怨霊を鎮魂する慣行は明治時代まで続いていたことが伺えます。

 7月には、祇園祭が開催されます。元々、疫病や天災鎮魂のための御霊会として始まりました。歴史ロマンあふれる京へお越しください。

 「崇徳天皇御廟」京都市東山区祇園町南側

地域ニュースサイト号外NETライター(京都市)

 「YAHOO!ニュース ベストエキスパート2024 地域クリエーター部門 特別賞」を受賞 京都をこよなく愛する地域ニュースサイト号外NETの京都市担当タウンクライヤ―です。四国から大阪の元地方紙記者。観光ガイドをしながら京都時空観光案内2024(観光ガイドのための京都案内マニュアル)全19巻や「やさぐれ坊主京を創る 前田玄以の生涯」(京都文学賞一次審査通過)はじめ、京都を題材にした小説なども執筆しています。

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