藤原為時が「紫式部が男の子だったらなあ・・・」と嘆息した理由
大河ドラマ「光る君へ」は、のちに『源氏物語』で名を馳せた紫式部を主人公とする。ドラマの中で、藤原為時が「紫式部が男の子だったらなあ・・・」と嘆息する場面があったが、これは事実である。なぜ、為時はそのように嘆いたのか、考えてみることにしよう。
紫式部の父の藤原為時は、漢詩や和歌に通じた大学者だった。その高い学識は、儒者の大江匡衡(952~1012)から大絶賛されたほどである。
為時までのレベルに至らなくとも、当時の官人にとって学問、漢詩文、和歌に通じることは必要な条件だった。それゆえ官人の子は、幼い頃から学問に親しみ、厳しいトレーニングを受けるのが一般的だったのである。
藤原為時が「紫式部が男の子だったらなあ・・・」と嘆息したことは、紫式部による『紫式部日記』に書かれている。為時は男子(紫式部の兄か弟)に漢詩文を教授していたが、物覚えが悪く、忘れることが多かったという。
ちょうどドラマの中でも、太郎なる紫式部の兄が落ち着きなく、うろうろしているシーンがあった。一方で、側で聞いていただけの紫式部は、あっという間に漢詩文を暗記してしまった。これには、さすがの為時も驚くと同時に、思わず嘆いてしまったのである。
『紫式部日記』によると、為時が「〈口惜しう、男子にてもたらぬこそ幸なかりけれ〉とぞ、つねになげかれはべりし」と述べたという。
現代語訳するならば、「ああ、なんて残念なことだ。お前(紫式部)が男子ならば良かったのに。男子として生まれなかったのは、大変な不幸だった」ということになろう。
当時、公家の女性が宮中(有力な公家)に仕えることはあっても、今のようにさまざまな職業に従事することはなかった。もちろん、女性が官人になって、役所に勤めるなどありえなかった。
皮肉なことに、当時は女子がいくら学問に優れていても意味がなかったので、為時は残念がったのである。逆に言えば、不甲斐ない男子のことを嘆いたことにもなろう。
とはいえ、この頃に紫式部が父から「耳学問」で学んだ漢詩文、和歌などの才覚は、のちの宮中における務めや『源氏物語』の完成につながった。その文学的な才能や素養は、父からの影響なのだろう。
ただし、いかに学問、漢詩文、和歌に優れていても、必ず官職にありつけるとは限らなかった。為時は大学者だったが、なかなか官職に恵まれず苦労した。つまり、官職を得るには、姻戚関係を含めた人間関係も必要だったということになろう。
主要参考文献
角田文衛『紫式部とその時代』(角川書店、1966年)
今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985年)
沢田正子『紫式部』(清水書院、2002年)
山本淳子『『源氏物語の時代』一条天皇と后たちのものがたり』(朝日選書、2007年)