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【長野/下諏訪町】岡本太郎が「こんな面白いものみたことがない」と絶賛した万治の石仏

旅人間はらぺこライター

はらぺこライターの旅人間です。今回は長野県の下諏訪町にあるユーモラスな風貌が特徴の万治の石仏について紹介しましょう。

この石仏は、大阪万博(EXPO'70)の「太陽の塔」や「芸術は爆発だ」の言葉などで知られる芸術家・岡本太郎が「世界中歩いているが、こんなに面白いものは見たことがない」と絶賛したことで有名になったといわれている。

諏訪大社下社春宮から砥川(とがわ)を上流に向かって数分歩いた先に「万治の石仏」は鎮座している。

巨大な自然石に仏頭を置いたようなアンバランスさ、真正面から、左右、後ろからもグルリと見れば本当に個性的な形だと目を奪われる。

万治の石仏

高さは2.6Mと大きい。幅3.8M、奥行き3.7Mもある。写真で見るとそれほど大きく見えないが、実際には見上げるサイズ感だ。

安山岩をそのまま胴体とし、その上に高さ約65cmの仏頭のっている。

石仏の胸には逆卍(ぎゃくまんじ)や雷、太陽・雲・月などの記号や絵が彫られ、その手は浄土宗の弥陀(みだ)定印(じょういん)を結んでいる。

これは密教の曼荼羅(まんだら)で、弾誓上人(たんぜいしょうにん)に始まる浄土宗の一派による「同体異仏」(一体の仏像に阿弥陀如来と大日如来を共存させる)の表現なんだそう。

まるでミステリアスな暗号のようにも見えてくる。

ところで、この石仏の名前と逆卍は何か関係があるのだろうか?万治(まんじ)と卍(まんじ)、少し気になったので調べてみたが特に関係は無いらしい。

下諏訪町の方にも問い合わせてみたが、「万治の石仏」という呼び名自体は最近のものだという。由来は、胴体正面向かって左側に「万治三年」の銘が刻まれていることに因んでいるのだとか。

それにしても、どの角度から見ても、実に興味深い。

不思議な伝承

この石仏には、不思議な話が残されている。それは明暦3年(1657年)、諏訪高島三代目藩主忠晴が、諏訪大社下社春宮に大鳥居を奉納しようとした時のこと。石工がこの地にあった大きな石を加工しようとノミを打ち入れたら…

なんと!血が流れ出たというのだ。

驚き恐れた石工は大鳥居の造作を止め、あらためてこの不思議な石に阿弥陀様を刻み、この石仏を建立したと伝えられている。

「万治の石仏」お参りの仕方

また、お参りの仕方にも注目したい。現地の案内には一礼し手を合わせ、「よろずおさまりますように」と心で念じ、願い事を心で唱えながら石仏を時計回りに三周し「よろずおせめました」と唱え一礼して終える手順が書かれている。

「よろず」とは「全てのこと」を意味し万事ともいう。万事→万治。何だか語呂合わせのようにも感じるが世の中には不思議なことが色々とある。

偶然なのか必然なのか分からないが、やはり”信じる者は救われる”だろう。手順通り、きちんとお参りをして帰りたい。

岡本太郎が絶賛したと伝わる万治の石仏は、その後に小説家の新田次郎が『万治の石仏』でも話題になっている。それはイースター島の石人の頭部を日本にもたらしたというストーリだそうだが…。

確かに、モアイ像に似ている。

やはり、世の中は興味深いモノで満ちている。

ちなみに、過去には「首が伸びる石仏」としてテレビ番組で紹介されたこともあるそうだ。その原因は支柱に水がたまり、凍結することで霜柱のように頭部が押しあがる現象によるものだったという。

色々と注目を集めてきた石仏、機会があったら長野県の下諏訪町まで足を運んでみては如何だろうか。

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万治の石仏
住所:長野県諏訪郡下諏訪町社133
地図(外部リンク)

はらぺこライター

旅行好きのライター。各地に伝わる伝説や民話、古くから地元で大切にされているモノを親しみやすく紹介したい|地元で人気の食堂やレトロな喫茶店巡り|”思わずクスッと笑ってしまうような”珍スポット探し|目標は個性的でヘンテコな旅本の出版|フォローして頂けたら嬉しいです。

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