日本とキューバ外交樹立90年「カリブ海の誇り高き島国」最新ルポ
10年前、初めて行ったキューバで私の目の前に広がっていたもの、それは世界のどこを訪れても見たことがない、だけど懐かしい感じがする原風景だった。
半世紀前にタイムスリップしたかのようなボロボロの建物、無数のクラシックカー、閑散とした商店、陽気に弾む音楽―― 。あふれ返るほどのモノに囲まれた忙しない日常に戻ると「あれは夢か幻だったかな」、ふとそんな気持ちになる。
世界遺産のハバナ旧市街、葉巻、ラム酒、革命家チェ・ゲバラやフィデル・カストロ、野球、『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』、ヘミングウェイ...などで有名な、カリブ海の誇り高き島国、キューバ共和国。
1959年の革命以降、社会主義国として独自の道を歩んできた。医療や教育の無償化、土地や企業の国有化、食料や物品の配給制度を推し進めてきた。しかし、61年に国交断絶したアメリカによる経済封鎖と91年のソ連崩壊による孤立で窮地に陥り、極度の物資不足になった。
スペイン風の美しい街並みは老朽化が進み、人々の暮らしは貧しい。しかし、制限された生活を謳歌しながら人々は生きている。幸せや心の充足はお金では測れないと気づかせてくれた思い出深い旅だった。
この10年で大きく歴史が動いた。共産圏ながら自営業規制の緩和(2010年)、フィデル・カストロの死(16年)、「キューバの雪解け」でアメリカと国交正常化するも(15年)トランプ政権による経済封鎖で再び関係が悪化(17年)。
一方、日本との繋がりでは、16年に安倍首相が日本のトップとして初訪問し、今年は対キューバ外交関係樹立90周年。キューバ国内では、革命60周年やハバナ市誕生500周年(11月16日)が大きなエポックだ。
10年ぶりに訪れたキューバの今
人々の暮らしはどのように変わったのかを確かめるべく、再び海を渡った。4月29日から5月8日までの10日間の旅だ。
米マイアミから首都ハバナまで飛行機でたった1時間15分で到着したが、飛行機を降りるとそこは「まったくの別世界」。10年前と同じくレトロで、物資が極端に少なく、いまだマクドナルドやスターバックスのない景色が広がっていた 。
メーデーの熱狂
社会主義国にとって特別な日がメーデーにあたる「プリメロ・デ・マヨ」だ。ハバナの革命広場では5月1日の早朝、ラウル・カストロ中央委員会第一書記やミゲル・マリオ・ディアス大統領ら政権幹部が貴賓席で見守るなか、数十万人の労働者が会社単位で集まり、大パレードを行った。
朝6、7時台にしてこの熱気。太鼓/鉦の音が日本の祭りを想起させた。
10年で移り変わったもの
国としての発展という点では、世界から大きな遅れを取っているが、それでも一歩ずつ前進している。十年ひと昔で以前との違いは明確だった。
私の「肌感覚」では、店やモノは以前より多少増えていた。
センスのよい店(オシャレな蜂蜜専門店や茶葉店、小洒落たカフェ、高級ブランド店)がオープンしていた。観光客向けだと思っていたら、現地の人も利用するそうだ。
クラシックカーは種類も数も少なくなったと感じた。一般人の車は、ヒュンダイやジーリーの中古車にシフトしている印象。大型車両や渡船からバスルームまで、中国産が浸透。
変化は私の気のせいではなかった。とあるレストラン経営者も「今のようになったのは5年前くらいから」と同意。アメリカ人観光客が増えた頃は景気がよかったが、今はギリギリの経営だそう。
キューバは外貨獲得のために観光業に力を入れている。街中では近代的なホテルの建設が始まっていた。ハバナ生誕500周年プロジェクトの一環で、革命博物館や旧国会議事堂などのランドマークや、中心地の老朽化した建物もいよいよ修復工事に。数年後に訪れたら、この街はさらに違う顔を見せてくれそうだ。
そのほか(インフラ、日本人観光客etc...)
インフラ面は以前より多少便利になった。10年前、断水を経験しシャワーを浴びれなかった日もあったが、今回の滞在中は一度も断水がなかった。WiFiも限られた場所で繋がるようになっていたし、夜は相変わらず暗かったが、灯りが多少増えていた。
また以前は見なかった日本やそのほかアジアからの観光客を、今回は観光スポットで見かけた。2軒の日本食レストランも(写真下)。
アートが各所にちりばめられた街に
バレエや音楽など豊かな芸術文化は、依然世界トップレベル。今回の旅では、ハバナ・ビエンナーレの期間中で、街中の至るところで素晴らしい現代アート作品と触れ合えた。
ただし、これらのアート作品は観光客や海外のコレクター向けのようだ。地元の人が優雅にアート鑑賞を楽しむ時代になるまで、あと何十年かかるだろう?
変わっていないもの
人懐っこい性格や明るい笑顔など、キューバ人の魅力に変化は感じられなかった。
日本では会場内でエンターテインメントを鑑賞するが、キューバでは道を歩いているだけで質の高いパフォーマンスと遭遇する。音楽やダンスなどのストリートカルチャーや、夏祭りかと見まごうほどの街の活気は健在だ。
キューバ人は現状をどう見ているのか?
社会主義国では政治的な内容に繋がる話題は避けるべきなので、あくまでも「生活や暮らし」にフォーカスして人々に話を聞いてみた。
ある女性は「要人に話を聞いても政治的に有利なコメントしか出ないから、庶民に話を聞く方がいい」と助言してくれた。別の男性は「答えることは問題ない。ただし誰に聞かれるかわからないので」と、周囲に気を配りながら用心深く、言葉を選びながら答えてくれた。
さまざまな人に話を聞いた結果、誰一人として自国をけなす人はいなかった。総じて「祖国を愛している」という意見だった。
愛国心はある。生活への不満を言い出したらキリがないので多くは語らない。ただし、唯一口をそろえるのが「この国はお金に関することがいつも問題だ」ということ。
「今は革命以来の大変な時期です」と話すのは、マイアミから里帰り中の30代のキューバ系アメリカ人。キューバは国外に医師を派遣しているが、昨年11月にブラジルへの派遣を中止した。医師の報酬のほとんどをキューバ政府が搾取していることをブラジル政府が問題視し、それに反発した形だ。「大変な時期」のもう一つは、キューバが後ろ盾となっているベネズエラのマドゥロ政権を締め付ける狙いで、アメリカがさらに圧力を強めていること。
「物資不足はモノだけではない。医薬品も圧倒的に足りない」という。
旧市街地のバーでウェイトレスをする20代の女性は、「1日12時間働いて、昨日の稼ぎはたったの4CUC(440円)だった」とぼやいた。30代の男性は銀行に週6日勤務。給料は月40CUC(4,400円)だが「ベターザンノッシング」(何もないよりまし)。
通信系エンジニアの60代男性は配給では足りないため、退職するつもりはない。「大卒の私が8時間働いても、日給はせいぜい16.66CUP(69円)、年金を引かれて手取りは月447CUP(1,850円)」と、流暢な英語で詳しく教えてくれた。市場では、流通業やディストリビュートが個人事業で行われるようになり値段が10倍に高騰した。「キャベツの値段を知っているか? 1玉20CUP(83円)以上だ。丸1日働いても買えない」。
外国に出稼ぎに行くにしても、パスポート代と書類で260CUC(2万8,000円)もかかる。普通の人は貧困のルーティーンから抜け出すことができない。
「豊かな生活を求めて国外に移住するには、国際結婚しか道がない。知り合いが何人も外国人と結婚した」と言うのは、飲食店で働く20代の男性。
滞在先のイギリスから里帰り中の別の20代の男性は「イギリス人女性と出会い、彼女のサポートで留学ビザが取得できた。今はロンドンで英語を学びながら、ダンスの講師として生計を立てている」。
女子旅中の20代スイス人女性は、4週間の滞在中だった。1月に出会った彼に再び会いに来たという。「改憲案への国民投票と言っても、ノーの選択肢が実質ない。路上で寝ている人も見かけるし、こんな場所から救うために彼を呼び寄せたい。遠距離恋愛は大変だもの」。
30代のパン職人は、「(月収600CUP = 2,500円の現状に)満足も何も、僕はここで生まれ育ったからねぇ」と多くを語らず。「アメリカは好き、オバマもオーケー。でもトランプは横柄すぎるから嫌い」と断言した。「でも政治のことはあまり話したくないなぁ。俺たちはよくこう言うんだ。アオラ・エストイ・ディスフルタンド!(今が楽しければそれでよし)」。そう言いながら、ダンスイベントで朝まで楽しむとビール片手に去って行った。
キューバ人の給料はいくら?
同国統計局によると平均月収は、2008〜15年が494.4CUP(2,055円)、それ以降は687CUP(2,856円)。微増はしているが、私たちの感覚からするとかなり低い。
国内1,000人以上を対象とした月収に関する米系企業の調査では、50ドル以下は27%、 50〜100ドルは34%、101〜200ドルが20%、201〜500ドルが12%、500ドル以上が4%、1,000ドル以上が1.5%。(Miami Herald紙の記事)
平等な給与制度が廃止され(08年)、自営業規制が緩和されたため(10年)、個人事業主が激増。外国人向けの飲食店や民宿の経営者と、現地通貨給料の人との格差が広がった。経済自由化拡大のツケとして、貧富の差が今後さらに大きくなりそうだ。
10年ぶりのキューバ、まとめ
この国は私たちにさまざまなことを気づかせてくれる。普段の生活がいかに恵まれたものかを知り、感謝の心が芽生え、温かい人々との触れ合いで心が洗われるような気になる。
キューバという原石は、これからの10年でさらに磨きがかかっていくだろう。
この先どのように変わりゆこうとも、そこに住む人々がより幸せを感じる社会になってほしい。そして明るく純朴で人懐っこい人々の笑顔だけは、いつまでもこのままであり続けますように。
キューバ基本事項おさらい
観光時のトリッキーな点:
(1)クレジットカードを使えない (2)通貨は地元民用(CUP)と外国人用(CUC)の2種類 (3)WiFiの使用に制限がある
2種類の通貨:
CUCはCUPの25倍の価値がある。タクシーやレストランなどでは地元民の価格より多くチャージされる(例えばタクシーで地元民なら10CUP、外国人は10CUCなど)。これは単にぼったくられているわけではなく、1ヵ月の給料が2,000円とも3,000円ともいわれている現地の社会情勢を鑑みて、観光客が現地の労働者をサポートする感覚でCUC払いが「奨励」されている。
- 注:外国人でもCUP払いは可
インターネットなど:
以前はネットカフェを利用したが、今回は特定の場所で有料WiFiが拾えるようになっていた。1時間約110円の専用カードを購入し、ホテルや公園で接続。Facebook、WhatsApp、Gmail、Google Mapなどは規制されておらず、多くの人が利用している。
国民性:
十把一絡げで表せないが、私の印象では陽気で大らかで人懐っこい人が多い(女性は気が強い)。約束事や時間は意外と(?)守る。仲間意識が強く、知らない人同士でも声を掛け合ったりする。せかせか&イライラしている人を見かけない。どんな状況も「ノイ・プロブレマ」で乗り切る。キューバ人であることや自国に誇りを持っている。
街並み:
映画『ブエナ・ビスタ〜』の世界そのもの。スペイン植民地時代の名残である瀟洒なコロニアル様式の建物は塗装が剥がれ、壁の一部が崩れ落ち、窓のない家もあるが、人々の暮らしが今もそこにある。
治安
治安が安定しない中央アメリカ州の中でも「キューバは安全」が現地の人々の合言葉。ひったくりやスリ被害などは少なく、柄が悪そうな人やストリートチルドレンを見かけない。
食べ物:
昔ながらの方法で栽培され無農薬、地産地消が基本。ただし安かろう悪かろうで、CUP払いのものの中には微妙な味もある。下の写真のものはいずれもおいしかった。
写真上の屋台料理に使い捨てスプーンがついておらず戸惑っていたら、どうやらもともとつかないようで、地元の人が「蓋を破って折ってスプーンとして使うんだよ」と教えてくれた。脱プラを先ゆくキューバ!
街中で出合う日本
街中を歩いていると、たまに「日本」に出合う。
支倉常長一行は、欧州交易拡大のため慶長遣欧使節として1613年に送り出され、ローマに向かう途中でハバナに立ち寄ったそう。極東からの来客に人々は驚いただろう。
日本と外交関係を結んだのは90年前(1929年12月21日)。今年はさまざまな祝賀イベントが予定。
滞在中さまざまな人と対話した。「息子を柔道クラスに通わせている」「日本では金曜日に早く帰れるようになったんだよね?」(プレミアムフライデーのこと)「モノをずっと使い続ける文化や(戦時中の)アメリカへの反発心など、キューバと日本は似てる」「イチロー!タナカー!」と、地球の裏側ながら驚くほど日本に関心があることを実感した。
筆者が10年前に書いたキューバ旅のブログ
(Text, photos and videos by Kasumi Abe) 無断転載禁止
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