軽々しくは行けない福島第一原発 視察ルールと受入体制整備への課題
「笑顔も活気もあるじゃない!カンニング竹山さんが驚いた福島第1原発(高橋宏一郎)-Yahoo!ニュース
こちらの記事を通して多くの福島第一原発の今を知らない一般の方に、福島第一原発構内で働く方のイメージや、原発事故当時の凄惨な労働環境が、働く方々の努力により私達が抱いているイメージよりも大幅に改善されつつあることが伝わっています。
そして、いつも福島県を応援してくださっているカンニング竹山さんの思いは、働く方や福島県で暮らす方々の心に響いたことでしょう。
ですが、やもすれば「もう安全な場所」といった誤解や「誰でも行ける場所」といった誤解をされた方もいらっしゃると思います。その誤解の背景には福島第一原発に入るという意味と、視察を受け入れる体制やルールが未だ確立されていない問題がが伝わりきらぬ所にあります。
筆者は一般社団法人AFWという団体を運営し、一般の方(福島県で暮らす方や福島県の復興に尽力されている方を最優先)を毎月1回程度、福島第一原発にお連れしています。
目的は廃炉と隣り合って暮らす方々が事実(良い面も悪い面も含めて)を知れる機会を作るためにです。廃炉作業中の現場への視察が現場を滞らせることも知ったうえで、東京電力HDと公益のための活動として協力を頂き行っています。
福島第一原発を視察するということにかけては一日の長がある筆者から、視察を受け入れる側が抱える問題と視察して伝える側が抱える問題についてお伝えします。
誰もが気軽に行ける場所では実質ない
キャパシティの問題
視察では一度に20名程度の方しかお連れ出来ません。理由は極単純です。廃炉現場に一般の方を入れるどのような立場の方であれ「お客様」です。ましてや原子力事故が起きた現場ですから、視察される方の安全を最優先しサポートする東京電力HDの社員方を含めると「一度のバスで乗れる人数(視察出来る人数)」が限られています。
1日に最大4組と伺っています。視察申し込みは非常に多く、さばききれないのが現状です。どうしても順番待ちになります。例えば今からの視察の申し込みであれば、数か月先で空きがあればといった状態です。
現在の福島第一原発への視察には年齢制限はありますが、どなた様でも見れるというのが基本です。ですがここでキャパシティの問題で優先度が発生します。
その優先度の考え方を統一しなければ大きな誤解を生むことに繋がります。
優先度とは
福島第一原発は原子力事故が起きた場所です。その事故により今も避難区域が設定され、解除された地域では「廃炉と隣り合って暮らす」という難しい課題がついてまわります。
視察は現状を知ることですから、優先される方々は地元で暮らす方となります。少し難しい言葉でいうと「ステークホルダー(利害関係者)」の方々です。
東京電力HDも4月27日に公表した「原子力の安全性向上に向けた取り組みについて」の中でステークホルダーとのコミュニケーション強化をうたい、福島第一のリスク低減を目指していくと明記されています。
そして被災された方々の日常が一日でも早く戻るように同様にして優先されるのが、廃炉を円滑に進めるにあたって必要な技術者・研究者・メーカー・政治家・地域行政といった特別な立場の方々です。
これはご理解の頂けることと思いますし、通常の廃炉ではなく事故からの廃炉ゆえにされるべきとまで言えます。そうした方々ですら相当な人数の中、少し離れた距離感の第三者の関わり合い方は配慮が求められます。
「行ってみたい、見てみたい」といった動機に目的がなければ、言葉を変えれば物見遊山ではいくことは必要とする方が後回しにならないために許されることではありません。
これはキャパシティの問題で生まれていることですから、視察の受入体制を東京電力HDが増やせば解消できる問題とも言えそうです。ですがここで簡単には増やせない問題があります。
現場負担という問題
一つに廃炉現場に一般の方が入るにあたっての安全確保は東京電力HDにあります。例えば視察者が福島第一原発構内で転び怪我をした、こうした事が社会記事の一面に上がれば大きな社会不安に繋がります。一事が万事になるのが福島第一原発ごとです。それ故に視察受入には数十人に渡る職員が対応にあたります。それは廃炉を進める側にとっては負担とも言えます。
それだけではありません。現場で作業される方々にとっては視察者は「邪魔な存在」という一面もあります。視察者が来ることは知っていますから、作業に制限をかけ視察配慮を現場側でも行われるためです。
廃炉が一日でも早く終わることは誰にとっても悲願です、視察が妨げにもなってしまうという意識が視察者側には必要になります。
筆者が営むAFWの視察ではなるべく現場負担を減らすため、バス車内からの視察を持って「廃炉の現状を知る視察」をさせて頂いています。
確かに線量被ばく的には視察出来る環境ではありますが、廃炉をなぜするのかに重きを置けば視察者側には見れる場所で我慢をするという配慮が必要になります。
AFWの視察では、全てを見たいと望まれる方々に「ですがご理解ください。もう少し現場が落ち着き対応が可能になるまで待ってください。6000人にも及ぶ方々が働くには理由があるのです。廃炉が円滑に進むためには、現場でご苦労される方にご迷惑をかけないためには、可能な範囲で見て頂くことが今は望ましいのです」とお願いをしております。
また「皆さまの安全と被ばく防止の観点からもバス車内で見れるのですから、無用な降車はおすすめはできません」とお願いしています。
特別なコネクションがなければ視察できないと取られかねない現状
これが一番の問題だと思います。筆者は元東電社員ですが特別なコネクションがある訳ではありません。ですから東京電力HDに視察を申し込み、目的審査を受け、お連れする方の身分証明を行い(これは核防護上必須です)、受け入れる東京電力HD側の撮影制限や立ち入り制限を順守して行っています。一般の方が視察を申し込まれるのと大差はありませんが、現場にも大変な調整をお願いして行っています。
10数回に渡り視察していますから、そうした意味では特別な存在かもしれません。(慣れという意味で)
視察専用の窓口は開示されておらず、はじめて視察を申し込む方には大変な負担があるのではと思いますし、個人の方が誰でも気楽にという現場ではないことは前述したとおりです、
今この記事を読まれている皆さんが視察したいと思っても、中々叶うものとは言えません。
現実はコネクションを持たなければ視察出来ないと取られかねない状況にあります。
ここでカンニング竹山さんの福島第一原発の視察はどうだったのか。とても特別な対応が成されたことは言うまでもありません。これは竹山さんに非がある訳ではありません、通常は知らないことですから。
竹山さんだけでなく、竹山さんをお連れした方も良かれと思いしたことは実は大きな問題になります。竹山さんと私達の違いは何でしょう。芸能人という点を除けば同様のはずです。
では竹山さんと被災された福島県の一般の方では、本質的にどちらが福島第一原発を視る必要があるでしょう。言うまでもありませんね、被災された福島県の方です。
特別な視察を許可された理由が芸能人だからでは、見たくても知りたくても行けない被災された個人が、ないがしろにされているという誤解を与えかねません。
だからこそ、特別なコネクションがなければ、立場がなければ視れないとしたら、そして立場などで視察の在り方の優劣がつけば、せっかくの開かれつつある福島第一原発の視察は公益にならず私物化してしまう危険性もあるのです。
意図的にしくまれたPR活動も可能でしょうし、例えば伝え方を間違えば放射線被ばくを軽視することにも繋がってしまいます。
一般の方が視察を出来る状況は始まったばかりです。廃炉は何十年と続きます、もっと開かれた現場へとなっていく必要があります。だからこそ視察のルールや受入体制整備は固めていかなければなりません。
ではどうした体制やルールが良いのか、民間視察を続ける筆者からの提案です。
視察対応専門の第三者機関の整備
誰でも視察出来るようにするにはキャパシティを増やす=現場負担という課題が起きます。であれば現場負担にならないような立場が視察を請け負い解決する。ただし現場安全と視察者安全確保のために東京電力HDとの連携をする必要があります。
また第三者機関が請け負うことで透明性という素晴らしいおまけもつきます。今回の「笑顔も活気もあるじゃない!カンニング竹山さんが驚いた福島第1原発(高橋宏一郎)-Yahoo!ニュースだけでなく、筆者が過去に何度もお伝えした記事でも、多くの方が「東京電力が見せたいものしか見せてないのでは?」という疑念が起きたと思います。それを解消することも出来ます。
また核燃料を扱う場所です。核防護上からの制限や高線量被ばくを避けるため、見せたくても見せれないことも明らかにすることで、隠ぺいなどといった誤解も解消されることでしょう。
視察ルールと資料作り
廃炉を円滑に進めるため、福島第一原発の状況を正しく伝えるためということに重きを置いたルールを作る。大切なことは視察された方が、現状が働く方のご苦労の上に成り立っていことを理解できるように計らうということです。
良い面も悪い面も両方が見れるよう、むしろ課題を伝えることで廃炉の意義が確立していきます。6000人もなぜ働く必要がある現場なのか?ここが伝わらなければ働く方は綺麗なところだけ見て理解されたと思えませんし、より良い現場改善にも繋がりません。
また、視察を終えた方々が持ち帰って発信できるよう資料と写真を提供する。働く人達の苦労や現場の課題を明らかにした上でそれを基本に語れるように後押しするのも必要です。
福島第一原発ごとには様々な主人公がいます。廃炉現場で働く方々。被災された方々。取り巻く社会の方々。原発事故という歴史を引き継ぐ次世代の方々。だからこそ、これまで多くの視点から福島第一原発は語られ、時には対立や分断を生んできました。
そして未だ原発事故を乗り越えたと言えない状況は続いています。多方面に渡り配慮が必要な題材が福島第一原発ごとです。
その配慮が分からなくなった時、ふと立ち止まり、そうした主人公の気持ちで福島原発ごとを読んでみる。するとその配慮は自ずと見えてきます。
その配慮を持って視察出来る環境を整備していくことは必要になっていきます。整備された先にはどのような立場の方が現場に訪れても問題は生まれません。
必要以上にネガティブに、必要以上にポジティブに扱うことなく、課題を社会が共有しそして乗り越えていく。そうした事にも繋がる大切な試みが視察というものです。
だからこそ筆者は「軽々しくはまだ行けない福島第一原発」と皆さまにお伝えしつつ、より正しく開かれた場所になるよう努めてまいります。