大谷翔平の満票MVP2度は史上初だが、過去にはそれに近い「満票」と「あと1票で満票」の選手がいた
11月16日、今シーズンのMVPが発表された。ナ・リーグは、ロナルド・アクーニャJr.(アトランタ・ブレーブス)が初受賞。ア・リーグは、大谷翔平(現FA/前ロサンゼルス・エンジェルス)が2年ぶり2度目の選出となった。
アクーニャJr.も大谷も、30人の記者全員から1位票を得た。
大谷は、2年前の受賞も、満場一致だった。満票のMVPは、大谷以外に18人いるが、いずれも1度ずつだ。
満票のMVPは、以下のとおり。彼らのうち、受賞2度以上の選手は、満票以外でMVPに選ばれた年も記載した。1936年に満票のカール・ハッベルは、その前に受賞した1933年の投票の内訳が不明ながら、合計のポイントからすると、1度目のMVPは満票ではなかった。
フランク・ロビンソンとバリー・ボンズは、満票の他に、あと1票で満票のMVPがある。
1961年のナ・リーグMVPの投票は、16人中15人がロビンソンを1位とし、残る1人はジョーイ・ジェイを1位に挙げた。当時、ロビンソンとジェイは、外野手と先発投手として、ともにシンシナティ・レッズでプレーしていた。
彼らは、トップ2ではなく、ジェイは投票5位。2人の間、2位~4位には、サンフランシスコ・ジャイアンツのオーランド・セペダ、レッズのバイダ・ピンソン、ピッツバーグ・パイレーツのロベルト・クレメンテが並んだ。
ジェイを1位とした記者の根拠は、判然としない。例えば、ジェイが挙げた21勝はウォーレン・スパーン(投票10位タイ)と並ぶリーグ最多だが、スパーンの防御率3.02が1位であるのに対し、ジェイの防御率3.53は8位だ。イニングも、スパーンのほうが多い。ジェイとスパーンのチームを比べると、レッズはリーグを制し――地区制はまだ始まっていなかった――ミルウォーキー・ブレーブスは8チーム中4位に位置した。
1990年のボンズも、チームメイトに満票を阻まれる格好になった。24人中、ボビー・ボニーヤを1位に挙げた記者が1人いた。どちらもイニシャルBBのボンズとボニーヤは、アンディ・バン・スライクを間に挟み、パイレーツでレフトとライトを守っていた。
この年のボンズは、打率.301と出塁率.406、33本塁打と52盗塁、OPS.970。ボニーヤは、打率.280と出塁率.322、32本塁打と4盗塁、OPS.841だ。いずれも、ボンズがボニーヤを上回っている。ただ、打点は、ボニーヤのほうがわずかに多かった。ボンズが114打点、ボニーヤは120打点だ。もしかすると、これがボニーヤを1位とした理由かもしれない。彼らは、ナ・リーグMVP投票のトップ2に並んだ。
ボンズは、ジャイアンツで73本塁打を記録した2001年も、あと少しのところで満票を逃している。この年は、シカゴ・カブスで64本塁打のサミー・ソーサが、2人から1位票を得た。
一方、満票でMVPを受賞した後、2度目の満票に最も近づいたのは、1981年のマイク・シュミットと2003年のボンズだ。どちらも、満票MVPの翌年。投票者の人数は異なるものの、1位票の87.5%を得たことも共通する。
1981年のナ・リーグの1位票は、シュミットが21、アンドレ・ドーソンが2(投票2位)、フェルナンド・バレンズエラが1(投票5位)。2003年のナ・リーグの1位票は、ボンズが28、アルバート・プーホルスが3(投票2位)、ゲリー・シェフィールドが1(投票3位)だった。