「ネット上のつながり」便利さとリスクを、一般人はどう考えればいいのか
2011年3月に起きた東日本大震災の際、携帯電話がつながらなくなる中、Twitterが情報インフラとして活躍したのは記憶に新しいでしょう。
このような経験を経て、市町村や小学校・幼稚園・保育園などでTwitterによる情報配信を始めるケースも多くなりました。子どもを持つ親に対して、学校側から「フォローするように」と言われることも増えました。こういった取り組みは、親としてとてもありがたいものですが、果たして本当にフォローしてもいいのでしょうか?
今どきTwitterのフォローを躊躇する人は少ないかもしれませんが、例えば防犯の側面で考えた場合はどうでしょう。
誰がどのアカウントをフォローしたかという情報は、設定次第ではネット上のあらゆる他人に見えています。自分の住んでいる市町村のアカウントをフォローする。子どもの通う小学校や幼稚園のアカウントをフォローする。これだけで、「この人は大体この辺りに住んでいて、○歳くらいの子どもがいるんだな」と推測できてしまいます。
もし、職業的に家の所在を突き止められると何かしらの弊害があるという人や、どうしても所在を特定されたくないという人の場合、ここでの正解は「自分だけが分かる形でブックマークする」です。しかし、フォロワーにも見える形でカジュアルにSNSアカウントをフォローしてしまっている人が多いというのが現状ではないでしょうか。
今回は、ソーシャル時代のインターネットにおける情報管理と必要なリテラシーについて書いてみたいと思います。
断片情報でもかき集めればいろんな側面が見えてくる
上ではTwitterの例を挙げましたが、匿名で情報発信しているつもりでいても、友人A、友人B、大学からの公式情報など複数の側面からの断片的な情報が集まることで、個人を特定したり、プライバシーを立体的に浮かび上がらせたりすることができるのです。
例えば、アメリカのネットビデオレンタル大手のNetflixがコンテストのために公開した「匿名の貸出履歴のデータ」と、誰でも閲覧可能な映画データベースサイトの「書き込み情報」から、利用者の特定が可能になるという論文が発表されて問題になりました。
>> 参考記事:WIRED「NetFlix Cancels Recommendation Contest After Privacy Lawsuit」
この例のように、人と人とのつながり=ソーシャルグラフを可視化したり、断片的な情報をつなぎ合わせたりすることで、そこに「見えてくるつながりや情報」があります。私たちはこういったことを意識しながら利用する必要があります。
実名SNSの代表的存在となったFacebookでは、公開・非公開の他に細かく設定することができます。「自分の情報の共有範囲」というプライバシー設定ガイドを見たことがない人は、今一度チェックしてみてください。
さまざまな情報操作の現実
次は少し違った切り口で、ソーシャル時代のインターネットを考えてみましょう。
そもそもネットに出ている情報とは、何かしらの「偏り」があるものです(これはネットに限らず、他のメディアや現実社会も一緒ですが)。例えば何気なく使っている検索サイトや口コミサイトは、情報操作されているケースが少なくありません。
私は子どもを持つようになって初めて産婦人科選びや小児科選びをする際、口コミサイトを参考に選んだものの、その口コミには大小さまざまなバイアスがかかっている(情報に偏りがある)ことも意識していました。
悪い点は載せず、良い情報だけに偏っている口コミサイト、管理者がOKを出したものしか掲載されないサイト、口コミはすべて表示する方針でメリット・デメリットひっくるめて開示されているサイト……。サイトによって、掲載される情報は異なっています。そして、利用規約にその方針が書かれているサイトと、書いていないサイトの両方があります。
Amazonや楽天といったECサイトを使う際も、口コミを見てから購入する人は多いと思いますが、今年の4月にはAmazonがやらせの高評価レビューをつけるサクラに対して裁判を起こしました。口コミを書くと送料無料やオリジナル粗品がプレゼントされるような場合、口コミ投稿数が多く、なおかつ、そういった口コミは良い点が書かれがち、という点にも注意する必要があります。
このように、利用する我々はこれらが「操作された情報」であることを認識して使う必要があるのです。そして、ソーシャルWebがとても便利な世界である反面、どうやってリスクと付き合っていくのかを子どもたちやネットに詳しくない方々にも伝えていく必要があると思っています。
Googleなどにおける検索サイトでは、ログインして検索するか否かで検索結果が異なります。情報があふれる現代で、ログインした人のこれまでの検索履歴や登録情報などから推測して、なるべく早く目的の検索結果が得られるようにするための工夫です。
自分の履歴だけでなく、似たようなものを検索したり購入したりしている別の人々が、次にどのようなものを知りたいかといった情報も使っています。
これは一見、すごいメリットのようにも思えますが、一方的な見地に立った情報しか手に入りづらくなるこの状況は「フィルターバブル」と言われ、自身のいる範囲から遠い情報に到達しづらくなるという欠点もあります。
全米ベストセラーの日本語訳『閉じこもるインターネット』(早川書房)では、このフィルターバブル問題を詳しく述べています。
今後のつながりと法規制
これまでの事例から、ソーシャルWeb上での「つながり」に関するリテラシー教育が必要なことは分かっていただけると思います。
スマホの普及などで、手軽にSNSに投稿したり、ニュース媒体への意見投稿が行えるようになった今、こういったコミュニケーションの変化によって我々の「つながり」や「情報」はどうなっていくのでしょうか。そしてそれにしたがって、必要となる法規制はどのように進んでいくのでしょうか。
大学の教養課程(1~2年生対象)などでは、情報リテラシーや情報倫理などという講義が情報系だけでなく文理問わずに増えています。
私も2013年から、ネット上のつながりに関する議論を、ジャーナリストであり法政大学准教授である藤代裕之先生を筆頭に、関係する多岐に渡る分野の人たちとともに行ってきました。そして、その議論をまとめた『ソーシャルメディア論:つながりを再設計する』を著者12人で執筆し、今年10月に出版しました。
この本は、大学の授業で使ってもらいやすいようにと、講義のコマ数にあわせて全15章から構成してあり、それぞれの分野の人が章ごとに執筆しました。共著者全員が集まり、ポイントを解説する発売記念イベントが今月19日(土)に法政大学で行われます。
また、最近では小学1年生の我が子の友だちに携帯電話を持ち始める子が増えてきました。そういった背景からも、リテラシー教育の必要性は小学生にまで低年齢化していることを実感させられます。
総務省はICTメディアリテラシーの育成として小学生向けに平成19年度から普及を図っています。バンダイナムコゲームスでも「小学生向けネットリテラシー教育」を行っています。
一方、届かないのは高齢世代。今後の課題でしょう。
ある意味とっても身近な情報管理の話。自分の身の回りの「情報」について見直してみると共に、ぜひ今一度、ご家族で話し合ってみてはいかがでしょうか?
(この記事はエンジニアtype 『五十嵐悠紀のほのぼの研究生活』からの転載です。)