石巻「こども新聞」記者・震災の記憶抱え前へ
東日本大震災で被害の大きかった宮城県石巻市。震災後、子どもたちが取材する「石巻日日こども新聞」が発行されている。私はこのたび石巻市を訪ねて「こども記者」と一緒に過ごした。活動を紹介する連載の3回目は、不安ややりがいなどこども記者の思いを伝える。
1回目はこちら→石巻「こども新聞」心の成長支え5年
2回目はこちら→石巻「こども新聞」始めた女性の思い・子どもの感情表す場を
石巻日日こども新聞 2012年3月創刊。「石巻日日新聞」の協力で制作。年4回の発行で部数は3万部。一口3千円からのサポーターに支えられている。
知らないこと知る楽しさ
震災後に始まって以来、石巻日日こども新聞の活動に参加したのは、小学高学年から高校生まで500人を超えた。初めは口コミで十数人だった。今は名簿に約60人が登録していて、10~20人がレギュラーで出入りする。
中学1年のショウタロウ君は隣の東松島市から通っている。小学5年の時から参加。印象に残っている取材を聞くと、「重機のメーカーに取材に行ったとき、社員さんと一緒に会社の周りでボランティアのごみ拾いをしました。仕事をする上で、こういうことも必要だと思いました」と話した。
学校で陸上部の活動をしながら、こども記者も続けている。「最近では、イチゴのハウスの記事を書くのが楽しかったです。知らなかったことを知るのがおもしろい」
震災後の居場所に
高校1年のヒロキ君は、小学4年のときから参加している。こども新聞を始めた太田倫子さん(48)とヒロキ君の母が同級生だった縁で声をかけられた。
震災の時、下校途中に校門を出たところで指示され、学校に待機した。何も考える余裕がなく、30分ぐらいして自宅に戻って、また学校に避難した。混乱した状況だったものの、無事だった。学校はしばらく休みになってしまい、居場所がなかった。
こども新聞のワークショップは毎週、開かれてきた。活動が楽しみになり、行ける時はほとんど参加した。「初めは文にまとめるのが大変でした。今は起承転結を考えるなど、コツはある程度つかんだ。わからないときは、大人のスタッフに相談します」
取材先の言葉に感銘
印象深かった取材は「自分の企画で、地元のラジオ番組の司会者や歌手に取材したこと」。これまで、俳優の西村雅彦さんや、声優の山寺宏一さんにも取材してきた。
「取材の時、『3・11って、記号みたいに軽く言われるけど、そういう言い方は好きではない』という話を聞き、なるほどと思った。『震災の日の夜は、星空がきれいだった』と言われたのも印象的です。大変な被害でごちゃごちゃになっているイメージがあったので、きれいという言葉が出てきて、意外でした」
中学3年の時は受験のため活動を休んだが、戻って来た。「記者として経験を積み、心がけているのは相手の生い立ちを丁寧に聞くこと。有名な人でも、一般の人でも同じように大事です。流れで、質問を増やすなど臨機応変に対応します」
不安、今も…活動が支え
全てのこども記者が被災し、近しい人を亡くした子もいる。
ヒロキ君は「また大きい地震が来るのではないか、という不安がしばらくありました。時間がたって日常が戻り、自然に薄れてきましたが、今もその不安は心にあります」と語る。こども新聞という場所があって、心の支えになったそうだ。
中高と美術部に入っている。新聞を作るのはまた違う楽しさだ。「新聞が唯一、自分を表現できる場です。美術は与えられた枠組みでやらないといけませんが、記事は自由に表現できます」
取材通して地元と出会う
子どもたちが表現する世界は幅広い。太田さんや地域の人がテーマを持ちかける場合、そのテーマで取材したい記者を募る。子どもからの提案で決めるテーマも増えた。雑談しているとアイデアが出てくる。
「近くのビニールハウスに、夕方、赤い明かりがついているのはどうして?」という疑問から、イチゴ生産者を訪ねた記者も。
「お肉が好きだから牛の取材をしたい」という動機もあった。地域の人から、農業や漁業の取材をしてと頼まれる場合もある。そうやって、取材が出会いの場になっている。
経験が進学・就職にプラス
創刊から5年たち、こども記者の経験がプラスになっているということもはっきりしてきた。「人前で話すのが苦手だったけれど、取材をして話すのが好きになった」という高校生の女子がいる。
小学生のころからアプリ開発をしていた高校生の男子は、イギリスのIT企業の取材をしたいという夢をかなえた。震災について英語でスピーチしてほしいと頼まれたのがきっかけで、イギリス行きが実現。旅費は、読者やこの企業からの寄付でまかなった。
写真を撮るのが好きだった「卒業生」は、こども新聞に協力している石巻日日新聞に入社した。太田さんは「大学の看護学科に進んだ子は、震災の体験を話してほめられた。情報を整理する習慣がついているから話がわかりやすいのだと思います。10年、20年たって、こども新聞の経験者が地域の中でどのような役割をしているか楽しみですね」と話している。
連載の最終回は、こども記者の活動を後押しする試みやこれからについて紹介する。