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草野球シーズン到来! そこで、軟式野球のウンチクを……その2

楊順行スポーツライター
これが昨年までの軟式球。わかりますか?(写真:アフロスポーツ)

「ビヨンド?」

 草野球愛好家の皆さん、わかりますよね? 2002年、軟式野球に魔法のバットが登場した。打球面にウレタン素材を装備したものだ。

 軟式では、ジャストミートすればいい当たりかというとそうでもない。ボールは、いわばゴムまりで、スイングスピードが速いほど、変形してバットに吸いつく。事実、プロ経験者などが現役時代そのままのスイングをすると、芯でとらえたつもりがポップフライになってしまうのだ。そこで、インパクト時のボールの変形をできるだけ抑えようというのが、ウレタン素材装着のバットだ。

 打球面が柔らかく、そのものが変形することでボールの変形を抑え、さらに高反発材の復元力をプラスして、インパクトのパワーをできるだけ打球に伝えようという理屈だ。代表的な商品名が、「ビヨンドマックス」。この革命的バットによって、飛距離は飛躍的に伸びた。だから、草野球でだれかが大きな当たりを打つと、ベンチでは「ビヨンド?」という声がもれるのである。

 これらの新バットは、ふつうの金属バットに比べて打球音が鈍いため、従来の距離感との誤差に野手が悩まされ、大会によってはこのバットの使用を一時禁じたこともある。しかし、飛距離の魅力は捨てがたい。おおむね4万円以上という高額にもかかわらず、夢のバットは学童から一般まで、急速に浸透した。

延長45回の大投手戦も

 軟式野球というのは、レベルが上がれば上がるほど、とかく点が入りにくい。これまでのボールの規格の変更の裏には、公にはともかく、得点を入りやすくしようという意図もあるのだ。1983年、天皇賜杯第38回全日本軟式野球大会の決勝では、ライト工業が2対1で田中病院を下したが、決着がついたのがなんと延長45回。34回までは0対0のままで、85年の公認球の変更は、これがきっかけというのがもっぱらの見方だ。ディンプルの形状を改良し、やや硬くして反発力を増すことで、より点が入りやすくなるのでは…というわけだ。

 それでも、2014年の全国高校軟式野球選手権。準決勝の中京(岐阜)対崇徳(広島)戦は、0対0のまま2回のサスペンデッド(一時停止試合)を経て延長50回までもつれるなど、じれったいほど点が入らない。なにしろ先述のように、ボールがバットに吸い付くことで快打が出にくく、また打球のスピードも遅いため、野手の間を抜けにくいとくれば、ヒットが2本続くことさえ、かなりまれなのだ。今回の規格変更も、さらに点が入りやすいように、という含みがあるように思う。

 これまでの軟式野球では、どうやって一死三塁以上のチャンスをつくるかが数少ない得点パターンだった。硬式野球でもむろん、一死三塁は大きな得点パターンだが、硬式ならヒット、外野フライ、スクイズと、そこからさまざまな選択肢がある。ところがこれが軟式となると、外野フライを打つのでさえ容易じゃないのだ。そこで、スクイズと並んでしばしば採用される作戦が、走者三塁からのヒットエンドランだ。

 ストライクが予想されるカウントで走者がスタートを切り、打者は上から思いきり叩きつけてゴロを打つ。硬式ならば奇策ともいえるが、軟式ではうまくバットに当てて高いバウンドにすれば、時間を稼いで生還の可能性が高い。さらに、2ストライクから試みてファウルだとしても、バントと違って三振にならないメリットもある。この戦術の呼称は地方により異なるが、「ぶつけ」「たたき」「ボテラン」などと呼ばれるようだ。ちなみに、機動破壊で知られる健大高崎高の青柳博文監督は社会人時代、軟式野球の経験者で、ときおり走者三塁からのエンドランも試みている。

軟式か、硬式か。それが問題だ……

 ただし近年、ことに社会人の軟式野球は全体のレベルが上がっており、従来よりも積極的な攻撃が目立つ。これは硬式野球の企業チームの減少を背景に、大学までは硬式でプレーしていた選手が、就職後に軟式に転ずることが多くなってきたためだといわれている。また近年、たとえば甲子園に出場するメンバーでは、中学時代にシニアやボーイズなどの硬式野球を経験している者が大半になってきた。それでも、小学生時代は軟式、という選手もまだまだ多い。

 たとえばNPBが05年から開催している12球団ジュニアトーナメント。12球団がそれぞれ小学5 〜 6年生を中心としたジュニアチームを結成し、優勝を争う軟式の少年野球大会だ。まず4グループでリーグ戦を行い、各1位の4チームが決勝トーナメントに進出して王者を決める。歴史はさほど古くないが、この大会からプロに進んだのはそうそうたるメンバーだ。

 05年大会からは近藤健介(現日本ハム)、高山俊(現阪神)、07年=松井裕樹(現楽天)、森友哉(現西武)、田口麗斗(現巨人)、08年=浅間大基(現日本ハム)、09年=オコエ瑠偉(現楽天)、10年=藤平尚真(現楽天)、11年=安田尚憲(現ロッテ)ら。20年東京オリンピックにも何人か出場しそうな布陣で、ジュニアトーナメントは今後ますます、プロへの登龍門となりそうだ。

スポーツライター

1960年、新潟県生まれ。82年、ベースボール・マガジン社に入社し、野球、相撲、バドミントン専門誌の編集に携わる。87年からフリーとして野球、サッカー、バレーボール、バドミントンなどの原稿を執筆。85年、KK最後の夏に“初出場”した甲子園取材は64回を数え、観戦は2500試合を超えた。春夏通じて55季連続“出場”中。著書は『「スコアブック」は知っている。』(KKベストセラーズ)『高校野球100年のヒーロー』『甲子園の魔物』『1998年 横浜高校 松坂大輔という旋風』ほか、近著に『1969年 松山商業と三沢高校』(ベースボール・マガジン社)。

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