なぜ「うるさい組織」は「見える化」ばかりするのか? ムダな「見える化」が増えた背景
私は「うるさい組織」ほど「見える化」にこだわる、と考えている。そもそも「見える化」という概念は、もう古い。
日立製作所で「見える化」に関わり、それから25年近くたった。とくに情報システムによって「見える化」を促進してきたが、これをやればやるほど、どうしても「見える化」が目的になってしまう。
本来は1つの指標しか「見える化」しなくてもいいのに、「見える化」をスローガンにしてしまうと、1つや2つでは足りない。どうせなら5つも6つも「見える化」しよう、という話になってしまうものだ。
見える必要がないものまで「見える化」する。だから、仕組みがうるさくなってしまうのだ。管理するための情報システムが増え、資料が増え、それらを時系列でまとめたレポートまでも増える。
それに「見える化」するのは、想像以上に手間暇がかかる。そのせいで、やり終えたときに妙な満足感を覚えてしまう。関わったメンバーは「やり切った」と安心してしまうのだ。
■「見える化」「仕組み化」「数値化」の違いとは?
「見える化」の他にも「仕組み化」「数値化」という言葉がある。これらとの違いは何だろうか? 簡単に解説していこう。
「仕組み化」とは、都度やっている作業が標準化されたり、自動化したりすることだ。そのことによって仕事が効率的になり、仕事の品質も安定する。
「数値化」とは、曖昧な事柄を数字で表現することだ。たとえば、新規開拓を積極的にやっているかどうかは、表現が抽象的なので判断しづらい。だから数字で基準を設ける。
「Aさんは、月間20件は新規開拓先に訪問する」
「Bさんは、月間6人は新規開拓先のキーパーソンと会話する」
このように数値化すれば、曖昧さを減らすことができるだろう。
いっぽう「見える化」とは何か?
先ほど表現した「月間20件の訪問」「月間6人との接触」で考えてみよう。数値化した行動指標が本当にできているかどうか。これを「見える」ようにすることが「見える化」だ。
「見える」ようにすることで、メンバーは意識できるようになり、自己マネジメントもしやすくなる。
(マネジメントとは、目標達成させるためにリソースを効果効率的に配分すること)
長距離走の練習を例にしてみよう。2000メートルを5分で走る練習だ。分解すれば、400メートルトラックを1分ペースで5周走る計算になる。100メートルごとに、どれぐらいのペースで走っているのか「見える化」すれば、ランナーはペース配分(リソースの配分)を調整しやすい。
生産現場の「見える化」でもそうだ。「見える化」された内容を誰かがチェックし、リソース配分を調整することが目的だ。機械やコンピュータによって自動制御できない事柄は、人による調整が必要だ。だから「見える化」が求められるのだ。
■なぜムダな「見える化」が増えるのか?
では、なぜムダな「見える化」があるのか?
理由は、「見える化」する必要がないものを「見える」ようにするからだ。
「見える化」は効果的にリソース配分するためにやることだ。しかしそれを実践しない人がいたら、どうだろう?
「月間20件の訪問」「月間6人との接触」を指標として組織マネジメントしても、
「月間20件の訪問をしたって、目標達成するとは限らない」
「月間6人と接触しなくても、新規開拓できるときはありますから」
などと言って、自分のペースを変えないメンバーがいるなら意味がない。
「モチベーションサーベイを実施して、組織の状態を数字で表現しよう」
といって、サーベイの結果を「見える化」しても、何の対策もとらなければ意味がない。「見える化」した分だけ問題が明らかになり、組織の不満が増えるだけだ。もっとマズいのは、
「結局、見える化しただけで何も変わらない」
「いつも改善されるまでやり切らない」
と「見える化」することで何か改善されると期待した人を裏切ることだ。
「何をやっても、どうせ変わらない」
メンバーたちにそう諦められる前に、アレもコレも「見える化」するのはやめよう。
<参考記事>