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相模原事件初公判で植松聖被告が行った「自傷行為」の意味と気になる面会時の言葉

篠田博之月刊『創』編集長
2020年1月9日に届いた植松聖被告からの手紙(筆者撮影)

「暴れた」というより「自傷行為」

 2020年1月8日に横浜地裁で行われた相模原事件初公判は、大雨にもかかわらず26の一般傍聴席に2000人近い希望者が訪れた。私も当然、何人かで並んだのだが、さすがにこの倍率では抽選にはずれ、結局傍聴できなかった。

1月8日、大雨の中で傍聴券抽選に大勢が並んだ(筆者撮影)
1月8日、大雨の中で傍聴券抽選に大勢が並んだ(筆者撮影)

 その横浜からの帰路、植松聖被告が暴れて法廷が混乱したというニュース速報が流れて驚いた。初公判から何やら波乱含みの幕開けとなったわけだ。

 裁判所の説明などを総合すると、どうやら被告が右手小指をかみ切ろうというような動きを見せたために刑務官が押さえ込み、被告が抵抗したということらしい。最初、テレビや新聞は「暴れた」という表現をしていたが、暴れたというより自傷行為に及ぼうとした、ということらしい。

 そこで気になったのは、12月に接見した時に植松被告が言っていた言葉だ。

「どうせならカッコよく人生を終わらせたい」

 これは控訴するのかしないのかという話をしていた時の植松被告の言葉だ。死刑判決にも控訴して争うのでなく、受け入れたい。その方がカッコいいのではないか、というのだ。逆に言うと、植松被告はもともと確定死刑囚も税金の無駄使いだとして執行は早く行うべきだと主張していた。そう言いながら、自分のことになると少しでも生きながらえたいというのでは「カッコよくない」というわけだ。

 背中の入れ墨や整形をしたことなども含めて、植松被告の生き方や行動様式に、「カッコよく生きたい」という考え方があるらしい。

誰に「謝罪」したのか 

 植松被告は入廷時にも被害者家族のいる傍聴席に向かって頭を下げたという。だから法廷で「皆様に謝りたい」と発言したのは、当初から弁護人に謝罪の機会を設けてほしいと依頼していたのだろう。本人はその後に自傷行為を行うことを決めていたのだろう。謝罪を口にした時、既に緊張していたようで、これではいったい誰に謝罪しているのかわからない。

 実際には、自分のやったことは正しいが、障害者の家族をも巻き込んでしまったことについてお詫びするという趣旨だろう。それは被告が一貫して言ってきたことだ。

 自傷行為については、心神喪失による刑事責任能力なしという主張をするためのパフォーマンスという見方もあり、私も100%否定はしない。ただ可能性は低い。そもそも植松被告は弁護団の方針である「心神喪失による無罪」主張に納得していない。そのために精神障害だと主張するのでは、全く「カッコよくない」ことになる。

 最初と二度目の精神鑑定の結果である「自己愛性パーソナリティ障害」については、面会時に植松被告は「自己愛性はともかく障害はなあ」と語っていた。障害者を否定してきた自分が障害者というのでは、自己否定につながるからだろう。

 実際、精神鑑定をめぐっては、弁護団が三度目の鑑定を申請したが却下された。裁判所にとっては、もうその必要はないということだ。裁判所としては、責任能力ありという鑑定結果を証拠採用するつもりなのだろう。

 その点では、今回の弁護団の無罪主張には納得できないといきり立った情報番組のコメンテイターもいたが、弁護団としては刑事責任能力で争うしか道がないと考えたのが実情だろう。植松被告は、弁護団のその方針について、法廷で真っ向から否定するようなことはしない、と面会時に言っていた。

 植松被告と2年半、接見を重ねてきて意外に思ったのは、彼と弁護団の没交渉ぶりだ。接見のたびに裁判の進行などについて一応尋ねると、植松被告はほぼ、弁護人から何も聞いていないという返事だった。また彼自身もあまりそのことに関心がなさそうだった。

   

1月9日に植松被告から届いた手紙 

 さて、いったい初公判の自傷行為は何のためだったのか。謝罪に伴うそのパフォーマンスにどんな思いがこめられていたのか。私には植松被告が死刑判決を受けいれていて控訴しないと言っていることなどを考えると、カッコよく死にたいと言っていることと関りがあるような気がしてならない。

 実は本日1月9日、植松被告から私に手紙が届いた。法廷での行為を説明した手紙かと思ってあけてみたが、そのことに言及はなく、次の接見可能な日程などを伝える事務的な内容だった。手紙は1月7日の日付だった。

 いったいあの行為を植松被告はいつ考えて実行に移したのだろうか。

 本人がどんな思いだったかはそう遠くない時期に植松被告に直接聞いて、わかり次第、改めて報告したい。

月刊『創』編集長

月刊『創』編集長・篠田博之1951年茨城県生まれ。一橋大卒。1981年より月刊『創』(つくる)編集長。82年に創出版を設立、現在、代表も兼務。東京新聞にコラム「週刊誌を読む」を十数年にわたり連載。北海道新聞、中国新聞などにも転載されている。日本ペンクラブ言論表現委員会副委員長。東京経済大学大学院講師。著書は『増補版 ドキュメント死刑囚』(ちくま新書)、『生涯編集者』(創出版)他共著多数。専門はメディア批評だが、宮崎勤死刑囚(既に執行)と12年間関わり、和歌山カレー事件の林眞須美死刑囚とも10年以上にわたり接触。その他、元オウム麻原教祖の三女など、多くの事件当事者の手記を『創』に掲載してきた。

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