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「アルジェリア人質事件首謀者の殺害」の真偽を越えて:大国、テロ組織、「独裁者」の三角関係

六辻彰二国際政治学者

「アンキャッチャブル」の生死

3月2日チャド軍は、1月のアルジェリア人質事件を主導したイスラーム過激派「血盟団」のモフタール・ベルモフタール(Mokhtar Belmokhtar)司令官をマリ北部で殺害したと発表しました。しかし、フランス政府などから正式の発表はなく、さらに米国の監視団体SITEなどもベルモフタールが生存しているとの見解を示していて、現在のところ、「死亡・生存」の真偽は定かでありません。

アルジェリア出身のベルモフタールは、1990年代の初頭にアフガニスタンでの戦闘に関わった後、「イスラーム・マグレブのアル・カイダ(AQIM)」の設立に従事。しかし、後にこれから分離し、自らの組織「血盟団」を設立したといわれます。これらの武装組織は主義主張、活動内容、支援者をめぐって離合集散が激しく、必ずしも結束しているわけではありません。いずれにしても、サハラ一帯に進出したベルモフタールは武器や麻薬の密輸にも関与し、その神出鬼没ぶりからフランスや米国の治安当局にアンタッチャブルならぬアンキャッチャブル、つまり「拘束不可能な男(Uncatchable)」と呼ばれる存在になっていきました。

ベルモフタールは生きているのか、死亡したのか。これまで、アル・カイダのビン・ラディンをはじめ、多くのイスラーム系テロ組織は、その指導的立場にある人間が死亡した際、それを隠すことはほとんどありませんでした。むしろ、比較的早い段階においてインターネット上などでそれを認め、その報復を宣言することが一般的でした。今回の場合も、近日中には血盟団やそれに近い組織から、何らかのメッセージが発せられると予想されます。

チャドの「独裁者」

その一方で、ベルモフタールの生死に関わらず、これを発表したのがフランスでも米国でもなく、国連決議を受けてマリでの軍事作戦を主導するフランス軍と行動をともにしていたチャド軍であったことは、アフリカを舞台とする現在の対テロ戦争をみるうえで、意味深長と言わざるを得ません。

マリを含む西アフリカ諸国は既にフランスの軍事介入を支持し、西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)の管理下で部隊を段階的に派遣しています。しかし、その多くは自国と近接するマリ南部にとどまり、イスラーム過激派の武装活動が活発な北部で軍事活動を主に展開しているのは、4000名に登るフランス軍と、約2,400名のチャド軍です。チャドはECOWAS加盟国ではありません。にもかかわらず、むしろ近隣の西アフリカ諸国より積極的にフランス軍と行動を共にする姿勢が、今回はとりわけ顕著です。これはなぜなのでしょうか。

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チャドは北をリビア、東をスーダン、南をカメルーン、西をニジェールに囲まれた内陸国で、1960年の独立以来、アラブ系とアフリカ系、親リビア派と親フランス派の抗争から内戦が日常的に続いてきました。1991年以来、22年に渡ってこの国を支配するイドリス・デビー大統領は、武装勢力を軍事力で鎮圧しつつ、もう一方で合法的野党も抑圧する「独裁者」としての顔ももちます(詳細はこちら)。

2008年、最大野党・共和国連邦運動(FAR)のリーダー、ンガレジ・ヨロンガが「武装勢力との結びつき」の嫌疑で当局に拘束されたうえ、隣国カメルーンに連れ出され、拷問を受けていたことが発覚しました。西側先進国は冷戦終結後、多くの開発途上国に対して、民主化や人権保護を求めてきています。ところが、ヨロンガの一件に対して旧宗主国フランスはヨロンガの恩赦をチャド政府に求めた以外、強くこれを非難することはありませんでした。フランスだけでなく、日本を含む西側先進国も、ほぼ同様です。

チャド周辺の力学

デビーに対して西側先進国が強硬な態度を示さない理由は、大きく分けて二つあります。第一に、チャドが日産17万バレルの産油国で、原油や天然ガスのほとんどを、フランスやドイツなどのヨーロッパ諸国に輸出していることです。

そして第二に、この地域における力学上、チャドが西側先進国の「手駒」として必要だったことがあげられます。

デビー率いるチャド政府は、米国政府から「テロ支援国家」と目されているスーダンと敵対してきました。スーダンのアル・バシール大統領は、2003年から同国西部のダルフール地方で発生した内戦「ダルフール紛争」で、政府系民兵組織「ジャンジャウィード」がアフリカ系住民を虐殺し、その土地を乗っ取ることを容認、あるいは指示したとして、国際刑事裁判所(ICC)から逮捕状が発行されています。ジャンジャウィードは、かつてリビアのカダフィからの支援を受けていたメンバーを中核としています。

ダルフール紛争勃発後、10万人以上の難民が国境を越えてチャドに流入しました。これを追ってジャンジャウィードがチャド領内に侵入し、チャド軍と交戦したことをきっかけに、両国の関係は急速に悪化しました。2006年4月、チャドの反政府武装勢力が首都ンジャメナ近郊にまで迫り、これをからくも撃退した後、デビーはスーダン政府がこれを支援していたと主張して、国交断交を宣言。両国の緊張はピークに達しました。

デビー本人もムスリムで、近隣諸国との対立を宗教対立とみることはできません。チャドとスーダンの対立は、「国境侵犯」というどこの世界でもあり得る問題が引き金でした。そして、この状態を処理(「解決」ではない)したのは、他ならぬカダフィでした。カダフィの仲介により、チャド、スーダン両政府は2006年8月に国交を回復させました。アル・バシールの「親分」の顔を立てることで、デビーはスーダンとだけでなくリビアとの正面衝突に至る事態を回避したといえるでしょう。カダフィは1987年にチャドへ軍事侵攻し、リビア軍を撃退したのは、当時軍の最高司令官だったデビーでした。この関係からも、デビーにとって最大の敵は、アル・バシールよりむしろ、その後ろにいるカダフィだったといえるでしょう。

ともあれ、チャドのイドリス・デビーは、カダフィやアル・バシールといった「危険人物」と潜在的に敵対する関係にあったわけで、これは逆に西側先進国との友好関係を維持することに繋がりました。チャド国内には1000名以上のフランス軍が常駐しており、チャド反政府勢力の鎮圧作戦にも協力しています。一方で西側先進国からみた場合、デビーあるいはチャド政府は、自らに敵対的なイスラーム系勢力の影響力がアフリカ北部で大きくなることを抑制するための「手駒」だったのです。

カダフィ体制崩壊後の地域内秩序

ところが、2011年8月にカダフィ体制が崩壊したことはデビーからみて、北方の脅威がなくなったことと同時に、新たな問題に直面せざるを得ないことを意味しました。

第一に、カダフィの影響下にあった諸勢力が、求心力を失って、その行動が無軌道になる状況です。実際、マリでAQIMが活動を活発化させ、同国北部の「分離独立」を宣言させるに至った直接的な契機は、カダフィ体制の崩壊にともなう、武器や人員のリビアからの流出にありました。リビアやスーダンの支援を受けた武装勢力と内戦を続けてきたデビーの立場に立てば、末端までコントロールできていたわけでないにせよ、大きな存在感をもっていたカダフィがいた頃の方が、相手方の行動を予測しやすかったとさえ言えるかもしれません。それは ―スケールは全く違いますが― モスクワとの対決に集中していれば世界の大方の問題に対処できた米国が、冷戦終結後のソ連崩壊で国際環境が流動的になり、注意を分散させなくてはいけなくなったことで、対応能力を低下させた状況に酷似しています。その意味で、これまで基本的に国内の反政府イスラーム組織の鎮圧に終始していたチャド政府が、マリにまで赴いて血盟団などの掃討作戦に加わっている背景には、これらテロ組織の連携が他人事でなく、チャド国内に飛び火する危険性への懸念があるといえるでしょう。

第二に、カダフィが消えたことが、それに対抗するための「手駒」であったデビーの、西側にとっての利用価値を低下させかねないことです。これまでも再三取り上げてきたように、西側先進国は原則的に開発途上国に民主化や人権保護を求め、これに反する国に対しては多かれ少なかれ制裁を課してきましたが、資源産出国や戦略的要衝に関しては、その限りではありませんでした。チャドは石油輸出国であると同時にリビアやスーダンへの対抗という観点から、西側先進国の「お目こぼし」の対象となり、その国内情勢は不問に付されてきました。つまり、デビーからみた場合、カダフィの存在は「独裁者」としての自らの立場を保全する前提条件でもあったわけです。産油国というステイタスが消えるわけでないにせよ、カダフィ体制の崩壊はデビーあるいはチャド政府にとって、国内のフリーハンドを西側から守るため、新たな存在意義を示す必要性に迫ることになったとみていいでしょう。北アフリカから西アフリカにかけての近隣地域で広がる「対テロ戦争アフリカ戦線」での勲功が、その格好の材料とみることに、大きな無理はありません。

一方で、フランス軍にとってチャド軍は有力なパートナーです。どの国もテロ組織が跋扈する状況は望んでいませんが、他方で自国の負担が大きくなることを回避したい点で共通します。地域最大の軍事力をもつナイジェリアでさえ1200名ほどの兵力しか提供していないなか、デビーおよびチャド軍の軍事的貢献がフランスの目に好意的に写るであろうことは、想像に難くありません。

小国がテロ組織の軍事的脅威に対応できないなか、それが「テロの脅威」を拡散させないようにするためであっても、少なくとも結果的には、小国に介入することで大国は自らの影響力を高める。一方で「独裁者」は、「テロ組織の脅威」で自らの強権的な支配を正当化するだけでなく、その鎮圧によって大国の好意すら勝ち取る。さらにその一方で、「独裁者」による恣意的な支配やそれに対する大国の黙認への広範な不満を培養層として、テロ組織は支持基盤を広げる。対テロ戦争がアフリカで拡大するなか、フランスなど域外大国、テロ組織、「独裁者」の三者は、その勢力拡大においてお互いを利用しているといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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