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また一つ消えた百貨店 ~ 丸広百貨店東松山店閉店から読み解く閉店の原因

中村智彦神戸国際大学経済学部教授
昨日閉店した丸広百貨店(画像筆者撮影 2024年8月18日)

・また一つ、百貨店が消えた

 昨日(2024年8月18日)、埼玉県東松山市の丸広百貨店東松山店が閉店した。名残を惜しんで多くの人たちが訪れ、家族で記念写真を撮る姿も見られました。

 東松山市は、人口約9万人の埼玉県の中部に位置する市です。東京都心から約50kmほど北西にあり、東武東上線が通っており、東京や川越方面へのアクセスが良好です。市の中心である東松山駅には、池袋から東武東上線で約1時間と、ベッドタウンとしても人気のあるエリアです。

 今回閉店した丸広百貨店東松山店は、1954年(昭和29年)7月に東松山市に出店しました。1970年(昭和45年)に現在の地下一階地上5階建ての新店舗を、東武東上線東松山駅から徒歩約5分ほどの商店街に出店しました。東松山に進出以来、70年での撤退となりました。

閉店を知らせる掲示(画像筆者撮影)
閉店を知らせる掲示(画像筆者撮影)

・今年も続く百貨店の閉店

 百貨店の閉店が止まりません。2024年に入ってからも、1月に尾道福屋、松江の一畑百貨店、名鉄百貨店一宮店、7月末には岐阜市の高島屋岐阜店が閉店しました。また、5月には鹿児島市の山形屋が経営が行き詰まり、事業再生ADRでの経営継続を発表しました。

 昨日、2024年8月18日には、丸広百貨店東松山店の閉店と、地元資本から京都の不動産開発業者に事業譲渡された佐賀市の玉屋本館も再開発のために、休館しています。

 百貨店が次々と閉店する理由は、大きく言って三点です。売り上げ不振、建物の老朽化、中心市街地の商業集積の衰退です。

 丸広百貨店の発表によると、東松山店の売り上げはこの10年間で約4割減少し、今回の閉店となったようです。丸広百貨店は、2022年8月に坂戸店も閉店しています。

 百貨店の閉店ニュースが流れると、百貨店を残せだとか、地域を見捨てるのかなどという意見が出てきます。しかし、地方百貨店は、一部の例外を除けば、バブル経済崩壊以降、売り上げは減少の一途を辿ってきたのです。つまり、顧客離れが深刻となり、事業として成り立たなくなっての閉店であることがほとんどなのです。

来店客が思い思いに書き入れてました(画像筆者撮影)
来店客が思い思いに書き入れてました(画像筆者撮影)

・人口が減る中で大型店の出店が続いてきた

 では、なぜ売り上げは減少したのでしょうか。日本が人口減少時代に突入し、特に地方の人口は減少度合いが急です。ところが、1980年代半ばに郊外型大型店の出店規制を緩和したままの状態が続いた結果、現在においても依然として郊外型の大型ショッピングモールや大型店の進出が続いています。

 市場が縮小する中で、商業施設は増加するのであるから、競争に敗れた商業施設は閉店を余儀なくされます。東松山市周辺でも、1998年には西友東松山店、シルピアショッピングスクエア東松山、2010年にピオニウォーク東松山が相次いで開業しました。特にピオニウォークは、アピタ東松山店を中核施設に、約120テナントが入居する大型商業施設です。隣接地には、2016年に食品スーパーなどが入るライフガーデン東松山が開業し、巨大な商業集積が誕生しました。

 同じような状況は各地で起きており、東京や大阪といった大都市の場合、活発なインバウンド客の需要を取り込むことで、売り上げを回復させている百貨店もありますが、これらは多くの百貨店の中では例外的だと言えます。 

東松山駅から続く商店街(画像筆者撮影筆者撮影)
東松山駅から続く商店街(画像筆者撮影筆者撮影)

・高齢者をターゲットにしてきたが

 百貨店の強みは、「呉服、美術品、贈答品」であり、地域の富裕層と結びついた外商部門にあるとされてきました。しかし、時代が変わり、高額な呉服の販売は減少してきたのです。また、地方経済の低迷によって、中小企業経営者たちが美術品や中元、歳暮の贈答品を競うように送っていた時代は終わりました。

 「自分がそうだったように中学生の娘に少し大人びた服を買ってあげると百貨店に連れて行ったが、喜ばず、ショッピングモールの方が欲しいものがあると言われてしまった。確かに品ぞろえが、高年齢者層が中心になっているのか、昔のような楽しさがなくなっている」と、ある地方都市に住む主婦はそう話します。

 特に地方の百貨店は、地域の人口構成に合わせて、比較的富裕な高年齢層を顧客の中心に据えてきました。しかし、そのことは家族で百貨店で買い物を楽しむ生活を知らない若い世代の百貨店離れを進めてしまい、いよいよ団塊の世代が後期高齢者となり、消費の場からフェードアウトする時代になって、顧客そのものを失いつつある結果となっています。

・建物の老朽化

 丸広百貨店の閉店の理由として、建物の老朽化も挙げられている。建物は、1970年に建築され、老朽化は否めません。

 地方百貨店だけではなく、大都市中心部の百貨店ですら存続が危ぶまれている理由の一つが、建物の老朽化です。国内の多くの百貨店は、1970年代から1980年代前半に建築された建物が多いのです。中には第二次世界大戦前の建物すらあります。

 「耐震構造の問題だけではなく、古い建物は天井高が低い。天井が低いところにあるため、ディスプレイを施しても映えないし、暗い感じになりがちだ」とある商業建築の専門家は指摘します。また、改装費用が巨額に及び、「お客の目の届く範囲だけをきれいにしがちで、バックヤードや階段室などは古いままで使い勝手も悪くなる」と指摘します。第二次世界大戦後に興隆を極めた際に、増築を繰り返すなどし、土地の権利関係が複雑となり、建て替えもままならないケースもあります。

 なによりも、老朽化した建物を取り壊し、新たに商業施設として建設し、百貨店事業を再開するのに投資する投資家が存在しない。つまり、それだけの投資回収見込みがないと判断されているわけです。

建物の老朽化は集客力の低下に直結する(画像・筆者)
建物の老朽化は集客力の低下に直結する(画像・筆者)

・都市計画の通りには・・・

 しかし、百貨店が苦境に陥った原因は、百貨店側だけにあるわけではありません。

 池袋から北東に伸びる東武東上線で約1時間。東松山市は、首都圏のベッドタウンとして成長してきた経緯があります。人口は、約9万人。しかし、それにしては駅前の商店街は閉店、廃業している店が多いように感じます。

 1976年に発表された「東松山市都市整備長期計画」には、東松山市は埼玉県比企地域の中心都市としての機能を高めていくために、熊谷市や川越市といった大商業集積に対抗しうるような方策が必要であると述べられています。

 しかし、今からちょうど10年前、2014年に発表された「東松山市・大東文化大学協働研究報告書ブックレット 中心市街地活性化方策」には、すでに深刻な状況が報告されています。東松山駅周辺の中心市街地には、2002年に229あった店舗が、2004年には203、さらに2007年には107と急速に減少していった状況が指摘されているのです。

東武東上線東松山駅からホームセンターを核としたショッピングセンターが見える(画像・筆者)
東武東上線東松山駅からホームセンターを核としたショッピングセンターが見える(画像・筆者)

・利便性は高くなったが

 2000年代以降、中心部の衰退に拍車をかけるように郊外型のショッピングセンターや大型店が次々に開業していきました。さらに、2008年には東京メトロ副都心線の池袋 - 渋谷間が開業し、相互乗り入れを開始。次いで2013年には東横線・みなとみらい線との相互直通運転も開始され、新宿、渋谷、横浜と直結するようになったのです。都心部への通勤通学や買い物の利便性は向上したのです。

 東松山駅から今回閉店した丸広百貨店東松山店までの商店街は、東松山市の商業集積の中核になるべくして期待されていた地域です。しかし、都市計画の通りには発展しませんでした。郊外型小売店やショッピングモールの進出を、都市計画の中で制限したり、規制したりすることはできませんでした。さらに、起死回生を狙って駅前の再開発が進みましたが、景気の悪化などからホテルや遊戯施設などの進出は中止となってしまったのです。

・衰退した商店街に取り残された百貨店

 東松山市のこれまでの中心市街地活性化策を調べると、居住地域としても、商業集積地としても道路の整備が重要だと指摘されていました。東松山駅周辺は再開発され、道路も拡張されて、整然とした街並みになってきています。しかし、皮肉なことに、これらも個人商店の廃業を促し、そして徒歩で買い物に来る人たちの利便性をむしろ奪ってしまったようです。

 こうして考えていくと、百貨店が廃業することによって、集客力が衰退するといいますが、むしろ衰退していった商店街に取り残されてしまったのが百貨店だともいえるようです。

 今後、地方都市の中心市街地あるいは中心部をどう活性化するかを考える際には、これまでなぜうまくいかなかったのか、どうして商店街を衰退させ、百貨店の存続もかなわなかったのかを、少し違った視点で考える必要があるのではないでしょうか。

神戸国際大学経済学部教授

1964年生。上智大学卒業後、タイ国際航空、PHP総合研究所を経て、大阪府立産業開発研究所国際調査室研究員として勤務。2000年に名古屋大学大学院国際開発研究科博士課程を修了(学術博士号取得)。その後、日本福祉大学経済学部助教授を経て、神戸国際大学経済学部教授。関西大学商学部非常勤講師、愛知工科大学非常勤講師、総務省地域力創造アドバイザー、京都府の公設試の在り方検討委員会委員、東京都北区産業活性化ビジョン策定委員会委員、向日市ふるさと創生計画委員会委員長などの役職を務める。営業、総務、経理、海外駐在を経験、公務員時代に経済調査を担当。企業経営者や自治体へのアドバイス、プロジェクトの運営を担う。

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