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バイデン大統領来日で想起される「私たちが日本の憲法を書いた」発言。憲法改正では日本は独立できない。

山田順作家、ジャーナリスト
首脳会談前に固く握手を(写真:ロイター/アフロ)

■本社の社長と子会社の社長のような関係 

 アメリカ大統領の来日は、今回もまた、横田基地だった。韓国訪問を終えたバイデン大統領は、5月22日夕方、横田基地に降り立ち、その後、ヘリで六本木のハーディー・バラックス基地に向かい、その足で米大使館そばのホテルオークラに入った。アメリカ大統領の来日が、成田、羽田などの空港、いわゆる日本の“表玄関”ではなく、米軍基地であることが、わが国がどんな国かを端的に物語っている。

 来日翌日、バイデン大統領は、御所を訪れ、天皇皇后両陛下と会談。会談を終えるとすぐに迎賓館に向かい、そこで、岸田文雄首相と並んで自衛隊による栄誉礼を受けた。日米両国の国旗と隊列の間に敷かれた赤い絨毯の上を歩く2人の姿は、まるで、アメリカ本社の社長と現地子会社の社長のように見えた。

 そして、その後の日米首脳会談で、岸田首相はバイデン大統領から「You’re a good friend.」と言われると、ご満悦の表情を浮かべた。

 日本国の首相は、この後、高齢のアメリカ大統領に対して、最上級の「おもてなし」を行なった。人の話をよく聞き、人柄もいい岸田首相は、トランプ前大統領に露骨に媚びた元首相と違って、アメリカ人にとっては好ましく思えただろう。

■「国防を強化せよ」「防衛費を2%にせよ」

 現在、日本では、ふたたび改憲論が勢いを増している。ウクライナ戦争の影響で、ロシア、中国と対峙しているわが国の安全保障環境が改めて問われているからだ。中立国だったフィンランドとスウェーデンがNATO加盟を申請したことも、改憲論を勢いづかせている。

「日本もフィンランドと同じロシアの隣国だ。いまこそフィンランドに学べ」「国防を強化せよ」「防衛費を2%にせよ」「この際、核を持つべきだろう」

 こうした意見が出るのは当然で、そのためには憲法を改正しなければならないというのが、保守、右派の主張である。そこで、想起されるのが、かつてのバイデン大統領の発言だ。

■「日本国憲法は私たちが書いた」発言

 2016年8月15日、当時オバマ政権の副大統領だったバイデン氏は、ペンシルベニア州スクラントンで行った民主党大統領候補ヒラリー・クリントン氏の応援演説のなかで、「日本国憲法は私たちが書いた」と発言した。

 これは、共和党の大統領候補ドナルド・トランプ氏を批判する際に飛び出したものだが、日本のメディアはこぞって取り上げた。

 たとえば、『読売新聞』(2016年8月16日付)は、《米政府高官が公の場で「我々が書いた」と表現するのは極めて異例だ》と書いた。

 しかし、そんなことは驚くような話でもなければ、異例でもなんでもない。アメリカ人なら、みなそう理解しているし、常識だからだ。

 そこで、バイデン副大統領(当時)がどう言ったのかを示すと、次のようになる。

“Does he not realize we wrote the Japanese constitution so they could not own a nuclear weapon? Where was he in school? Someone who lacks this judgment cannot be trusted.”

《核兵器を持てないよう私たちが日本の憲法を書いたことを、彼(トランプ氏)は知らないのではないか。彼は学校で習わなかったのか。判断力に欠けた人間は信用できない》

■「平和憲法」はアメリカの平和のためのもの

 バイデン氏が、「彼(トランプ氏)は学校で習わなかったのか」と言った点は重要だ。なぜなら、この言い方でわかるのは、日本国憲法をアメリカがつくったことをアメリカの学校では生徒に教えているということだからだ。

 さらに、憲法第9条によって日本が武力はもちろん核兵器を持つことすらできないことも、アメリカ人なら誰もが知っているということだ。

 アメリカでもっともポピュラーな歴史教科書とされる『The American Pageant』では、日本国憲法は“A MacArthur-dictated Constitution”(マッカーサーが口述筆記させた憲法)となっている。

 憲法第9条の戦争放棄条項をもって、日本の左翼、いわゆる護憲派、広義にリベラルと言われている人々は、日本国憲法を「平和憲法」と称している。しかし、この条項は「アメリカの平和」のために書かれたのであって、「日本の平和」のために書かれたのではない。つまり、アメリカのための「平和憲法」で、日本に平和はもたらさない。

■「戦争放棄」という条文は存在しなかった

 日本国憲法の草案は、当時の日本政府が出してきた草案が単に明治憲法の焼き直しにすぎなかったため、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーがGHQ民政局に命じて、わずか9日間でつくらせた。この経緯は『日本国憲法を生んだ密室の九日間』(鈴木昭典、創元社、1995)に詳しいが、草案チームが下敷きにしたのが「アメリカ合衆国憲法」だった。

 そして、草案チームがもっとも腐心したのが、「戦争放棄」に関する第9条の条文だったとされる。なぜなら、歴史上そのような条文を持った憲法は存在したことがなかったからだ。

■山本太郎氏「いつ植民地をやめるんですか?」

 バイデン氏の“憲法発言”と並んで、もう一つ、想起されることがある。それは、2015年8月19日、山本太郎議員(当時)が参院特別委員会で質問に立ち、「永田町ではみんな知っているけど、わざわざ言わないことを質問していきたいと思います」と切り出し、安保法制に関する一連の法案がすべてアメリカの対日要求であることを暴露したことだ。

 これは事実で、安保法制はもちろんのこと、原発再稼働、TPPまで、当時の安倍内閣の政策はすべて、「第3次アーミテージ・ナイ・リポート」と呼ばれるアメリカの政策提言報告書(The US-Japan Alliance: Anchoring Stability in Asia)のコピーだったが、新聞やテレビなどの大メディアがまったく触れなかったので、一般国民のほとんどは知らなかった。

 山本太郎氏はそれを公にし、日本政府は“ジャパンハンドラーズ”(米政府内の知日派)の言いなりであり、それは独立国家ではない、属国にすぎないと指摘した。そうして、「これ、独立国家って呼べますか?」「いつまで没落間近の大国のコバンザメを続けるのですか?」「いつ植民地をやめるんですか?」と政府に迫った。

■見事に質問の主旨をはぐらかした岸田外相

 この質問に答えたのが、当時、外務大臣だった岸田首相である。岸田氏は、質問の主旨を見事にはぐらかし、報告書を「あくまで民間の報告書」としてしまった。

 そうして、安保法制などは「報告書を念頭に作成したものではなく、あくまでもわが国の国民の命や暮らしを守るためにどうあるべきなのかという自主的な取り組みだ」と述べたのだった。

 日本は、どこから見ても独立国ではなく、アメリカの属国、従属国である。ところが、政府はそれを認めない。それなのに、自民党の憲法改正推進本部のHPには、はっきりと、憲法改正は「独立したい」からだという旨が明記されている。

 憲法改正論議が虚しいのは、こうした矛盾を一部の護憲派も知っているにもかかわらず、あえて、言及しないことだ。

■護憲派も改憲派もみな独立志向の民族主義者

 この世の中には、現実に基づかない空想を語る人々が、数多く存在する。護憲派と呼ばれる人々はその典型で、「憲法第9条のおかげでこれまで日本では平和が保たれてきた。憲法を守れば平和を維持できる。日本は戦争に巻き込まれない」と主張してきた。

 しかし、そんなはずはない。憲法にかかわらず、戦争を仕掛けて来る国があれば戦争に巻き込まれる。

 こうした見地から見れば、護憲運動というのは、実際のところ、アメリカのための平和を守ろうとする運動にすぎない。それなのに、彼らはそれを認識できず、反米運動まで展開する。たとえば沖縄の米軍基地には反対である。

 反米であるのにアメリカが自身の平和のためにつくった憲法を守れと主張するという矛盾は、常識人の理解の範囲を超えている。

 結局、改憲派も護憲派も、アメリカの支配が気に入いらない、日本は独立国家でありたいと願っているだけで、その根っこは同じではなかろうか。みな、民族主義、愛国主義者なのだ。

 そこで、はっきりさせておきたいのが、改憲派が改憲を主張しようと、護憲派が護憲を主張しようと、憲法を論議する、あるいはその結果において「改憲」あるいは「憲法破棄」となっても、日本の独立は達成されないということだ。

■サンフランシスコ講和条約にある規定

 多くの日本人が誤解しているが、日本は山本太郎氏が主張したように、独立国家ではない。それは、サンフランシスコ講和条約で規定されている。

 条約の第5条(a)の(i)(ii)は、日本国憲法と同じように、日本の武力放棄を規定している。この条文は、次のように、日本に国際紛争解決の手段として武力を用いることを禁じている。

《(i) to settle its international disputes by peaceful means in such a manner that international peace and security, and justice, are not endangered;》

(その国際紛争を、平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危うくしないように解決すること。)

《(ii) to refrain in its international relations from the threat or use of force against the territorial integrity or political independence of any State or in any other manner inconsistent with the Purposes of the United Nations;》

(その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使は、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むこと。)

 改憲派は憲法改正を主張するのに、サンフランシスコ講和条約のこの規定には言及しない。さらに、改憲派も護憲派も、サンフランシスコ講和条約では日本は主権を完全に回復していない(=独立していない)ことを知らないか、知っていても知らないふりをしている。

 なぜなら、日本の教科書には「1952年、サンフランシスコ講和条約で日本は独立しました」となっているからだ。

■憲法よりも国際法、国際条約が優先する

 憲法はあくまで「国内法」である。国のあり方を規制しているとはいえ、それは国民が守るべき規制にすぎない。日本の国際社会における行動を規定しているのは、その効力が国内だけに限られる憲法ではなく、「国際法」「国際条約」である。したがって、いくら憲法を改正しようと、これらの枠組みを変えない限り、日本は完全な独立国家にはなれない。

 サンフランシスコ講和条約には、日本語正文がない。正文としてあるのは、英語、フランス語及びスペイン語で、日本語は付け足しの訳文にすぎない。

 そこで、英文をつぶさに読み下せば、日本が回復できたのは「完全な主権」(full sovereignty)ではなく、単なる「施政権」(administrative rights)、あるいは「自治権」(autonomy)であると解釈できる。

 バイデン大統領もアメリカ政府も、このことは承知のうえだろう。だからこそ、日本を「友人」「よきパートナー」としているのだ。

 ところが、多くの日本人はこのことを知らされず、いつまでも現実に合わない憲法論議が続いている。岸田首相は、先の憲法記念日に「憲法改正に挑戦し続ける」というビデオメッセージを発表した。

 しかし、日本が議論すべきは、改憲するかしなかいかではなく、この厳しい国際情勢のなかで、どのようにして独立し、国家、国民の安全を担保できるかだろう。

作家、ジャーナリスト

1952年横浜生まれ。1976年光文社入社。2002年『光文社 ペーパーバックス』を創刊し編集長。2010年からフリーランス。作家、ジャーナリストとして、主に国際政治・経済で、取材・執筆活動をしながら、出版プロデュースも手掛ける。主な著書は『出版大崩壊』『資産フライト』(ともに文春新書)『中国の夢は100年たっても実現しない』(PHP)『日本が2度勝っていた大東亜・太平洋戦争』(ヒカルランド)『日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか』(ソフトバンク新書)『地方創生の罠』(青春新書)『永久属国論』(さくら舎)『コロナ敗戦後の世界』(MdN新書)。最新刊は『地球温暖化敗戦』(ベストブック )。

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