【逃げ上手の若君】北条時行の兄・邦時と五大院宗繁の哀れな末路とは?
集英社の『週刊少年ジャンプ』に連載されている漫画「逃げ上手の若君」が2024年7月6日から、アニメとして放送されています。「逃げ上手の若君」の主人公は南北朝時代の武将・北条時行です。元弘3年(1333)5月、鎌倉幕府は、宮方(後醍醐天皇方)に寝返った新田義貞らの攻撃を受け、滅亡します。
父・北条高時により五大院宗繁に預けられた嫡男・邦時(時行の兄)ですが、宗繁は邦時の身命を勝者に差し出そうとしていました。新田氏の家臣・船田入道が邦時の居場所を察知し、寄せ来たると嘘をつき、邦時を外出させます。嘘を信じた邦時は破れた草鞋を履き、編笠を着て泣く泣く伊豆山神社(静岡県熱海市)方面に向けて旅立つのです。宗繁は自ら邦時を討つことは避けたいと考えていました。年来、北条氏に奉公してきたのに、その誼(よしみ)を忘れた者よと人から後ろ指を指されることを嫌がったのです。そこで「源氏の侍」(『太平記』)にでも討たせて、その褒賞を分け合いたいと考えたのでした。
宗繁は船田入道のもとに行き「相模太郎(邦時)の居場所を知っています。他人を交えず、これを討てば、きっと格別の勲功でしょう。それがしが相模太郎の居場所を告げた替わりに、一所懸命の地を安堵してくれるよう推挙してくだされ」と告げます。船田入道は、心中では宗繁の言い方を快く思っていなかったようですが「承知した」と回答。宗繁と共に邦時が落ち行く道を遮るのです。5月28日、邦時は相模川を渡ろうとしていました。宗繁は「あれこそ、それ、相模太郎よ」と教えたので、船田の郎党3騎は、馬より飛び降り、すぐに邦時を生け捕ります。舟の縄で邦時を雁字搦めにし、鎌倉に連行したのです。
邦時はまだ幼少でしたが、翌日、斬首されます。幼少ではありましたが「朝敵の長男」(『太平記』)であり、生かせておけば、将来、どのような反抗を企てるか分からないと思われたからでしょう。一方「欲に義を忘れ」た宗繁は、恩賞を貰えるどころか「主を敵に討たせ」た不忠者として討伐対象となります。宗繁は方々を逃げ隠れしますが「一飯を与ふる人なく」ついに餓死したと言われているのです。