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金剛力士像と見分けがつけないと評された鎌倉時代の武士の「正体」

濱田浩一郎歴史家・作家

集英社の『週刊少年ジャンプ』に連載されている漫画「逃げ上手の若君」が2024年7月から9月まで、アニメとして放送されていました。「逃げ上手の若君」の主人公は、南北朝時代の武将・北条時行(鎌倉幕府第14代執権・北条高時の子。幼名は亀寿)です。

元弘3年(1333)5月、鎌倉幕府に叛旗を翻した足利高氏(尊氏)は、都に攻め入り、幕府(六波羅探題方)の軍勢と干戈を交えます。播磨国の豪族・赤松円心の軍勢3千余騎もそれに呼応し、東寺辺に攻め寄せるのでした(『太平記』)。しかし、そこには塀・堀・乱杭・逆茂木といった幕府方の防御施設・障害物があり、官軍の侵攻を阻んでいたのです。それを突破するべく、赤松方の武士・妻鹿長宗は先ず堀に弓を下ろして水深を測ります。その後で太刀を抜き堀の中に飛び込むのでした。すると堀の水は胸板(鎧の胴の最上部の板)の上にも上がらない程度。これを見た武部七郎という武士は「堀は浅いぞ」と言うと長宗と同じように堀の水の中へ飛び込みます。だが、武部七郎は身長5尺(約150センチ)ばかりの「小男」でしたので、長宗のようにはいかなかったようです。水は七郎の甲を越えたとのこと。それを見た長宗は後ろを振り返り「私の上巻に取り付いて上がれ」と助け船を出します。七郎は長宗の鎧の上帯を踏んで肩に乗り、ジャンプすると向かい岸に辿り着くことができました。

七郎の様を見た長宗は「御辺(あなた)は私を橋にして渡った。よしそうならば、その塀を引き破り捨ててやろう」と笑うと、岸の上にあがり、4・5寸はある塀柱を「えいや、えいや」と引き抜くのです。それにより、土や塀が5・6丈崩れたといいます。堀は「平地」となったようです。幕府方も手を拱いて見ていた訳ではありません。築地塀の上の櫓(3百ヶ所)から雨霰の如く矢を射てくるのでした。長宗の甲冑にも矢は当たりますが、彼はそれを物ともせず高櫓の下へ走り入るのです。そして両金剛力士(二王)像の前に太刀を逆さまに突き立て、唇を噛み締めて佇立したのでした。よって二王と長宗の区別がつかなかったとの逸話が『太平記』に記述されています。長宗の豪胆さと勇猛がよく分かる逸話であります。

歴史家・作家

1983年生まれ、兵庫県相生市出身。皇學館大学文学部卒業、皇學館大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。兵庫県立大学内播磨学研究所研究員、姫路日ノ本短期大学講師、姫路獨協大学講師を歴任。『播磨赤松一族』(KADOKAWA)、『北条義時』『仇討ちはいかに禁止されたか?』『明徳の乱』(星海社)、『家康クライシスー天下人の危機回避術ー』(ワニブックス)ほか著書多数

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