『太平記』が描く鎌倉時代末の武将・設楽五郎左衛門尉と斎藤玄基の一騎討ちの凄まじさとは?
集英社の『週刊少年ジャンプ』に連載されている漫画「逃げ上手の若君」が2024年7月から9月まで、アニメとして放送されていました。「逃げ上手の若君」の主人公は、南北朝時代の武将・北条時行(鎌倉幕府第14代執権・北条高時の子。幼名は亀寿)です。元弘3年(1333)5月、足利高氏(尊氏)は鎌倉幕府に叛心を抱き、都に攻め入ります。足利方と六波羅探題方(幕府方)との合戦が始まりますが、そこでは設楽五郎左衛門尉(足利方)と斎藤伊予房玄基(幕府方)との一騎討ちが展開されました(軍記物語『太平記』)。ちなみに斎藤玄基は歳の頃50の「老武者」です。年齢から見れば「老武者」の斎藤玄基が敗れるように思いますが、この勝負、どちらが勝つのでしょうか。
2人は乗馬を接近させると、鎧の袖と袖とを交差させて「むずと組んでどうど落」ちます。組み打ちによって、相手を討とうとしたのです。力は設楽の方が勝っていたので、設楽が上になり、斎藤を組み伏せ、その首を掻こうとします。ところが斎藤は「老武者」ではありましたが機敏でしたので、下から設楽を「三刀」刺すのです。設楽が敗れたように思いますが、設楽もまた「剛の者」でしたので、斎藤に刀を突き立てます。その結果「ともに刀を突き立てて、同じ枕にぞ臥したりける」、つまり、両者相打ちとなったのでした。両者は絶命した後も、互いに組んだ手を離さなかったと言いますから、凄まじい闘志と言えるでしょう。官軍と幕府軍の戦いが繰り広げられ、官軍の中にも多くの戦死者が出ます。すると官軍は撤退し、新手を繰り出して戦います。それにより六波羅勢は多く討たれます。しかし六波羅勢もまた撤退し、新手を出して戦うのでした。両軍ともに互角の戦いを繰り広げますが「源氏」は大勢であったので、幕府方は次第に劣勢となり、六波羅を目指して退却していくのです。この場合は、軍勢の多寡が勝負を決したと言えるでしょう。