Yahoo!ニュース

2019年のハリウッド:亡くなられた方々

猿渡由紀L.A.在住映画ジャーナリスト
アンジェリーナ・ジョリーからオスカー功労賞を手渡されたアニエス・ヴァルダ(写真:Shutterstock/アフロ)

 今年もまた、私たちに多くの夢と娯楽を与えてくれたスターや映画監督たちの何人かが、この地上を去った。彼らの功績を振り返ってみる。

ピーター・メイヒュー

“スカイウォーカー・サーガ”が完結した今年、38年もチューバッカを演じてきたメイヒューは、その結末を見ることなく逝ってしまった。享年74歳。

 ロンドンの病院で用務員として働いていた時、とても大きな足を持つ人として新聞に取り上げられたことがきっかけで、「シンドバット虎の目大冒険」(1977)に出演。同じ頃、ジョージ・ルーカスもチューバッカを演じる男性を探しており、「立っているだけでいいから」と、身長218cmの彼に役をオファーした。

 メイヒューが最後にスクリーンに登場したのは、「スター・ウォーズ/フォースの覚醒」(2015)。この映画で、彼は、2代目のヨーナス・スオタモに引き継いでいる。スオタモは、「お亡くなりになって、とても悲しい。彼はファンに愛されていたし、積極的にファンと接する人だった」と語っている。

アルバート・フィニー

 イギリスを代表する名俳優フィニーは、2月、ロンドンの病院で亡くなった。82歳。2012年の「007/スカイフォール」が最後の出演作となった。

 王立演劇アカデミーで学び、「寄席芸人」(1960)で映画デビュー。1963年の「トム・ジョーンズの華麗な冒険」で初のオスカー候補入りを果たす。その後、「オリエント急行殺人事件」(1974)、「ドレッサー」(1983)、「火山のもとで」(1984)、「エリン・ブロコビッチ」(2000)でもノミネートされた。

 最初の妻との間に、カメラマンとして働くひとり息子がいる。2006年に結婚した3度目の妻は、彼の最期を見届けた。

アニエス・ヴァルダ

 ハリウッドで女性監督をもっと起用すべきだとの声が高まる中、フランスでは“ヌーヴェルヴァーグの祖母”と呼ばれる先駆者の女性が世を去った。90歳。

 写真家から映画監督に転向。「幸福」(1965)でベルリン映画祭銀熊賞、「冬の旅」(1985)でヴェネツィア映画祭金獅子賞を受賞。2017年にはアカデミー賞功労賞を受賞し、「顔たち、ところどころ」(2017)で長編ドキュメンタリー部門に候補入りしてもいる。最後の作品は現在日本公開中の「アニエスによるヴァルダ」(2019)。

 夫ジャック・ドゥミが監督する実写版「ベルサイユのばら」(1978)では、エグゼクティブ・プロデューサーも務めた。夫妻の間には俳優の息子マチューと、衣装デザイナーの娘ロザリーがいる。

ルーク・ペリー

 この夏のヒット作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」に出演したペリーは、映画の公開を待たずして、3月、急死した。重度の脳卒中で倒れ、病院に運ばれて5日後のこと。享年52歳。2003年に別れた最初の妻との間にふたりの子供がおり、新たな女性と婚約中だった。

 1990年に始まった若者向けTVドラマ「ビバリーヒルズ高校白書」でブレイク。このシリーズには最終シーズンまで出たが、2008年のリブート版「新ビバリーヒルズ青春白書」の出演は、断った。最後の作品は、2017年からレギュラー出演していたTVドラマ「リバーデイル」は、彼の死を受けて、彼が演じていたフレッドのキャラクターも、死んだことにしている。

ジョン・シングルトン

 24歳でオスカー監督部門にノミネートされたシングルトンは、死ぬのも若すぎた。「ボーイズ‘ン・ザ・フッド」(1991)「シャフト」(2000)「ワイルド・スピードX2」(2003)などで知られる彼は、4月、脳卒中のため死亡。51歳だった。

 L.A.のサウスセントラルに生まれ育った彼は、黒人のリアルなストーリーを語り、次世代の黒人フィルムメーカーたちに、大きな影響を与えている。訃報を受けて、ジョーダン・ピールは「彼は勇敢なアーティストで、真のインスピレーションを与えてくれた。彼のビジョンのおかげですべてが変わった」と追悼。サミュエル・L・ジャクソンも、「若いフィルムメーカーたちのための道を作ってくれつつ、自分らしさを常に失わなかった人。早すぎる」とツイートした。オバマ前大統領も、「無視されがちな、パワフルな物語を語りたいと思っている有色人種の映画監督のために扉を開いてくれた」と、ツイッターに投稿している。

ドリス・デイ

 名曲「ケ・セラ・セラ」を歌ったデイは、5月、肺炎のため、カリフォルニアの自宅で亡くなった。享年97歳。「知りすぎていた男」(1956)に出てくる「ケ・セラ・セラ」はオスカー歌曲賞を受賞したが、彼女自身も「夜を楽しく」(1959)で主演女優部門の候補に挙がっている。最後の映画は1967年の「ニューヨークの大停電」。その後5年間はTV番組「ママは太陽」に出演し、終了後は動物愛護活動に専念した。

 結婚歴は4回。最初の夫との間に生まれた彼女にとっての唯一の息子は、音楽プロデューサーになった。チャールズ・マンソンともかかわりがあったテリー・メルチャーで、彼の名前は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」にも登場する。

ピーター・フォンダ

「イージー・ライダー」で“アメリカン・ニュー・シネマ”の代名詞となったフォンダは、8月、肺がんによる呼吸不全のため、L.A.の自宅で死去。79歳だった。父はヘンリー・フォンダ、姉はジェーン・フォンダ。娘ブリジットも女優。

「イージー・ライダー」で、オスカー脚本部門にノミネート。「木洩れ日の中で」では主演男優部門にノミネートされた。その他の出演作に「キャノンボール」(1980)、「エスケープ・フロム・LA」(1996)「イギリスから来た男」(1999)、「3時10分、決断のとき」(2007)などがある。

 ほかに、俳優ブルーノ・ガンツ(『ベルリン・天使の詩』)、俳優ダニー・アイエロ(『ドゥ・ザ・ライト・シング』)、女優アンナ・カリーナ(『気狂いピエロ』)、監督スタンリー・ドーネン(『雨に唄えば』)、プロデューサーのロバート・エヴァンス(『ゴッドファーザー』)などが亡くなっている。

L.A.在住映画ジャーナリスト

神戸市出身。上智大学文学部新聞学科卒。女性誌編集者(映画担当)を経て渡米。L.A.をベースに、ハリウッドスター、映画監督のインタビュー記事や、撮影現場レポート記事、ハリウッド事情のコラムを、「ハーパース・バザー日本版」「週刊文春」「シュプール」「キネマ旬報」他の雑誌や新聞、Yahoo、東洋経済オンライン、文春オンライン、ぴあ、シネマトゥデイなどのウェブサイトに寄稿。米放送映画批評家協会(CCA)、米女性映画批評家サークル(WFCC)会員。映画と同じくらい、ヨガと猫を愛する。著書に「ウディ・アレン 追放」(文藝春秋社)。

猿渡由紀の最近の記事