映画『ベイビー・ブローカー』から考える韓国の《赤ちゃん縁組》の真実
6月24日に公開された是枝裕和監督の映画『ベイビー・ブローカー』は、子どもを育てられない人が匿名で赤ちゃんを預け入れる「ベビー・ボックス〈赤ちゃんポスト〉」を起点に「赤ちゃんの養親を探すロードムービー」である。韓国は2020年までに海外への養子が約16万2500人、国内では約10万3400人が縁組されている。特別養子縁組が年間700件程度の日本と比べると当事者の数は多く、養子の声が制度改革の原動力になっている。ソウル出身で、韓国の大学を卒業後に日本へ留学し、子ども家庭福祉を主な研究テーマとする目白大学人間学部准教授の姜恩和さんに話を聞いた。韓国と日本の子どもの福祉や《赤ちゃん縁組》を巡る課題とは?
※参考
・是枝監督の『ベイビー・ブローカー』に描かれなかった韓国の〈赤ちゃんポスト〉の実情
https://news.yahoo.co.jp/byline/wakabayashitomoko/20220707-00304413
物語は、若い母親ソヨン(イ・ジウン)が〈赤ちゃんポスト〉の前に赤ちゃんを置いていったことで始まる。「ベイビー・ブローカー」のサンヒョン(ソン・ガンホ)とドンス(カン・ドンウォン)はその子どもを連れ去るが、ソヨンが翌日に引き返して来たので、2人はブローカーであることを知られてしまう。「子どもにいい養親を見つけよう」とサンヒョン、ドンス、ソヨンの3人は赤ちゃんの“買い手”となる養父母を探して旅に出ることに。途中で養子縁組希望の8歳男児も加わる。刑事スジン(ぺ・ドゥナ)と後輩のイ刑事(イ・ジュヨン)が一行を追い続ける中、ソヨンの抱える事情や児童養護施設出身であるドンスの葛藤など、登場人物が抱える苦悩があらわになる。
作品は、5月のカンヌ国際映画祭で最優秀男優賞(ソン・ガンホ)と、キリスト教関係団体から贈られる「エキュメニカル審査員賞」を受賞し、先に公開された韓国でも話題になっている。是枝監督は自作について「(生みの親と離れ、施設などで育った)複数の子どもたちが『自分は生まれてきてよかったのか?』という疑問を拭えないまま大人になっていた。その子たちに自分の命を肯定してもらいたい」と述べている。子どもの視点から映画『ベイビー・ブローカー』を考えてみたい。
韓国はずっと「養子縁組優先」
子どもの福祉の歴史をたどると、韓国ならではの事情が見え隠れする。生みの親と何らかの事情で暮らせない子どもの救済は養子縁組が主流だった。朝鮮戦争後の1950年代は海外から来た支援団体が海外養子縁組を担い、1980年以降は民間のあっせん団体が主に未婚の母が産んだ子どもを国内外の家庭と縁組した。
戦後の混乱期に児童福祉政策が導入された経緯は日韓とも同じだが、日本は対照的な道をたどっている。日本では「家庭養育優先原則」を明示した2016年の児童福祉法改正まで、施設(児童養護施設・乳児院)での養育を第一選択としてきた。
近年、施設養育(児童養護施設・乳児院など)と家庭養育(里親・養子縁組)の割合は、日韓とも7対3から6対4で推移している。日本は数値目標を掲げて里親委託を推進し、特別養子縁組の対象となる子どもの年齢を引き上げるなど、国の旗振りによって家庭養育の割合を増やしているが、韓国はそうでないらしい。姜さんは次のように指摘する。
「韓国は朝鮮戦争後に海外養子が普及し、海外からの支援団体が撤収しても養子縁組を続けました。韓国の子どもの福祉においては公的責任が不在の期間が長かったのです。また、親が子どもを施設に預ける段階で出生届が明確に要求されることはなく、アフターケアもありません。そこで〈赤ちゃんポスト〉が登場すると、女性のプライバシーが守られることもあって、大きな抵抗なく受け入れられたように思います」
明確に意図して「家庭養育優先」という指針を持っていたわけではない。なぜなら国が子どもの福祉に責任を持っていたわけではないから――というのが姜さんの韓国政府に対する見解である。結果として韓国は「養子大国」になった。
海外養子の「国から見捨てられた」という思い
海外養子を含めた韓国の養子当事者の声を拾い上げてきた姜さんは、〈赤ちゃんポスト〉からの《赤ちゃん縁組》について次のように語る。
「海外養子にとって〈赤ちゃんポスト〉の存在は、ある種、国による責任の放棄だと感じるのではないでしょうか。彼らには『国から見捨てられた』という意識があり、〈赤ちゃんポスト〉について『また無責任に同じことをやっている』と見ています」
すでに韓国政府は責任を果たすべく動いている。中央機関の児童権利保障院(旧中央養子縁組)が中心となり、「入養特例法」という法律の下、情報管理や海外養子のルーツ探し支援、データベース化、調査研究を担っている。民間のあっせん団体による記録は永年保存され、中央機関とあっせん団体の両方が保管し、当事者はIDとパスワードで検索できるようになっている。入養特例法は2021年に改正案が出されるなど、実態や当事者ニーズに合わせて改正することで、国が「出自を知る権利」を長期にわたって保障する。これらは海外養子が声を上げ、「出自を知る権利」の保障を国に求めた当事者運動の成果である。
ただし、《赤ちゃん縁組》のスタートが〈赤ちゃんポスト〉の場合、記録の保管に課題があると姜さんは考える。預け入れに来た人の相談に乗るのは担当の職員で、面談でのやりとりは記録に残るが、内容の真偽を確認する権限はない。例えば、子どもが成長して〈赤ちゃんポスト〉を訪ねてきた場合はどうなるのかなどは課題であり、民間機関のみの保管では心許ないと指摘する。
生みの母のプライバシーと養子の「知る権利」
2019年5月に韓国は「包容国家児童政策」を掲げ、まずは必要なケースについては妊娠期から支援し、産んだ人が困難を抱えても子どもを育てられるようにサポート。それでも保護が必要な子どもは国が確実に責任を持つ方針を打ち出した。その流れの一環として2022年5月からは出生届の漏れ抜けがないよう病院が通報することとした。〈赤ちゃんポスト〉を巡る保護出産制度の導入について今、まさに国会で論議の対象としている。
姜さんは「もし、〈赤ちゃんポスト〉が作られなかったら、今ごろ韓国はどうなっていただろう」と考えてみた。例えば、養子縁組が成立すると「家族関係登録法」により女性の名前は登録欄から消えるが、この仕組みは充分に知られてはいない。
「〈赤ちゃんポスト〉がなければ母親のプライバシーと子どもの『出自を知る権利』をもっと論議し、別の制度が生まれていた可能性があったかもしれません。ドイツは徹底的に議論して内密出産という制度を設けました。しかし、韓国は代わりになる仕組みが見つからないまま今に至り、年間約200人も〈赤ちゃんポスト〉に預けられているのです」
手紙がある子どもは養子縁組の対象から外す
ドンスが育った施設の職員と食事をしながら養子縁組の年齢について語るシーンがある。サンヒョンが「年長児は難しく、稀だ」などと話す。日本では2020年に民法が改正され、法律的に養子となる子どもと実の親子に近い関係を結ぶ「特別養子縁組制度」の対象年齢が「6歳未満」から「15歳未満」へと引き上げられた。韓国の場合は18歳未満の子どもが対象となる。
ドンスは母親が〈赤ちゃんポスト〉に残した置き手紙に長く心を寄せている。ソヨンと激しく言い合い、母と子それぞれの切実な思いが交錯する場面では双方に感情移入し、「子どものために何が最善か」と考えずにはいられなかった。実際、置き手紙があり「迎えに来る」などの主旨が書き残されていると、子どもは養子縁組の対象から外れるそうだ。
「ソウルの〈赤ちゃんポスト〉の事務局長によると、施設に入った子100人のうち5人程度が元の家に戻ることになります。しかし95人は施設で育つのです。幼い日のドンスが『迎えに来るよ』という言葉を信じたように、子どもは生みの母を信じて待ちますが、約束を守るケースは少ない。置き手紙により、子どもが養子縁組対象から除外されることは実際にあるようです」
預け入れ理由の最多は「経済的貧困」
ドンスはソヨンとの旅を通じて別れた母の胸中を探っているように見える。生みの母の真意は、どこにあるのだろうか。姜さんによると、〈赤ちゃんポスト〉の預け入れの理由を確認できたのは895件で、複数回答により理由を数えると1603件になった。平均すると1件の預け入れには1.79の理由があることになる。理由として最も多いのは「経済的困窮」で「パートナーの不在」、未婚・離婚からの「心理的困難」など二つ以上の理由が重なっているケースが考えられる。
余談だが、韓国の「経済的困窮」で思い出す本がある。1980年ごろに読んだ『ユンボギの日記――あの空にも悲しみが』(李潤福著、塚本勲訳、太平出版社、1965年6月)という児童書である。大邱で暮らす10歳の少年が1963年6月から1964年1月までの思いを記した内容。少年の母は父との不和から家を出てしまい、父は病気で少年は妹2人と弟1人の面倒を見ていたが、妹の1人も貧困に耐えかねて家出してしまうという状況である。大島渚監督が1965年に映画化もしている。日記を読むと、貧困の底であえぎながらも周囲の支えで生き抜き、母と妹を探し出して家族のきずなを確かめようとする少年の心情が分かる。
養子やドンスのような境遇で育った子どもは、「経済的に困窮して育てられなかったというのは表向きの事情で、もう一つか二つ理由がある」と考えているのではないだろうか。養子縁組の制度改革に動いた海外養子が「出自を知る権利」を行使する理由は、生みの親を糾弾するためでなく真実を知りたいから。子どもの側からすれば「貧困だけなら自分は堪えることができた。あなたの役に立つこともできたかもしれないのに、なぜ……」という思いがあるのかもしれない。一方、あえて親子の縁を切って、裕福な家庭に子どもを託すことは親の愛でもあろう。
姜さんが紹介してくれた韓国の養子当事者のコメントが印象深い。「自分を手放す決断をした母親を当時、なぜ誰も助けてくれなかったのか」。日本の当事者からはこんな話を聞いた。「私を手放さねばならなかった生みの母は苦しんだはずです。今、幸せでいてほしい」。家族として支え合うはずの存在だった人との縁が切れ、愛情深い養親や施設職員と出会って幸せな人生を歩んでいたとしても、産んでくれた人を思う気持ちを密かに大切にしている子どもはいる。ドンスとソヨンは立場を超えて出会い、感情をぶつけ合った。その意味は深いと感じる。
疑問が投げかけられている
姜さんは韓国の〈赤ちゃんポスト〉について「今こそ議論し、今後の方向性を定めるべきだ」と指摘する。韓国政府は当事者を巻き込みながら制度改革を繰り返し、〈赤ちゃんポスト〉や《赤ちゃん縁組》について考えを深めていると感じる。当事者が多い分、声が大きくなり、国の問題意識が高く、法整備も進んでいる。
最後にあらためて映画の感想を聞いた。
「旅の最後の瞬間に伝え合う言葉は印象的でした。それぞれが困難を背負って出会い、旅を通じて疑似家族のような存在になっていきました。彼らの今までの人生は厳しいけれど今、築いている関係性の中で互いを肯定し合える――。それは養子縁組の意義とつながると思っています」
筆者の周囲で映画を見た人に感想を聞いたところ、「あのラストに不満を感じる人がいるかも」とのコメントだった。分かりやすい結末が用意されているわけではない。姜さんは「疑問が投げかけられている感じがした」と受け止めた。現実的には難しい部分もあるという。フィクションの映画だからこそできる試験的な選択といえる。
ストーリーは、大人が大勢で子どもを見守り続けながら進んだ。一方、養子当事者としての視点からすれば、中心にいる子どもが「大人の変化」を見続ける物語でもあったようにも思う。とすると最も好演したのは、“主演”の赤ちゃんなのかもしれない。
※映画『ベイビー・ブローカー』公式ホームページ
https://gaga.ne.jp/babybroker/
6月24日(金)
TOHOシネマズ 日比谷ほかにて全国公開中
監督・脚本・編集:是枝裕和/出演:ソン・ガンホ、カン・ドンウォン、ペ・ドゥナ、イ・ジウン(IU)、イ・ジュヨン/製作:CJ ENM/制作:ZIP CINEMA/制作協力:分福/提供:ギャガ、フジテレビジョン、AOI Pro./配給:ギャガ
※クレジットのない写真は(C) 2022 ZIP CINEMA & CJ ENM Co., Ltd., ALL RIGHTS RESERVED
姜 恩和(かん・うな) 1973年2月生まれ、韓国・ソウル出身。韓国聖心女子大学(現在の韓国カソリック大学)で社会福祉学を学んだ後、1995年3月に来日し翌年から東京都立大学大学院へ。キリスト教学生会での日本との交流や、父方の祖父は早稲田大学で学び第一勧業銀行に就職、父の誕生直後まで日本で暮らしたことなどの家族の歴史が留学先を選ぶきっかけに。東京都立大学の社会科学研究科社会福祉学で修士及び博士課程を修了。同大学助教、埼玉県立大学講師を経て2020年4月から目白大学人間学部人間福祉学科准教授。比較家族史学会、養子と里親を考える会、日本子ども家庭福祉学会、日本子ども虐待防止学会などに所属。
※参考文献
・「韓国のベビーボックスに関する一考察――相談機能と匿名性の共存が示す子ども家庭福祉の課題」(姜恩和著)『子ども虐待の克服をめざして――吉田恒雄先生古稀記念論文集』(2022年3月)
・「日本と韓国における養子制度の発展と児童福祉――歴史統計を用いた比較制度分析の試み」(姜恩和・森口千晶著、2016年2月)
・「2012年養子縁組特例法にみる韓国の養子制度の現状と課題――未婚母とその子どもの処遇を中心に」(姜恩和著、2014年10月)
・「『こうのとりのゆりかご』第5期検証報告書」(熊本市要保護児童対策地域協議会こうのとりのゆりかご専門部会、2021年6月)
・「社会的養育の推進に向けて」(厚生労働省子ども家庭局家庭福祉課、2022年3月)
https://www.mhlw.go.jp/content/000833294.pdf
※姜さんが語る韓国の養子縁組制度については次のような記事も書いています。
・特別養子縁組 どこでマッチングされても同じ質と量の支援が必要
https://news.yahoo.co.jp/byline/wakabayashitomoko/20220421-00292365