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玉三郎の教え、海老蔵への愛 襲名は9年“保留”…中村児太郎が語る恩人への感謝

島田薫フリーアナウンサー/リポーター
恩人への思いが尽きない児太郎さん(撮影:島田薫)

 父は九代目中村福助、祖父は人間国宝の七代目中村芝翫。女方の名門・成駒屋の将来を期待される中村児太郎は、今勢いのある20代の若手女方です。2013年には福助が歌右衛門を、児太郎が福助を“親子同時襲名”することが発表され、大名跡の復活として話題になりました。しかし、父・福助が病に倒れ、現在も襲名は保留されています。後ろ盾をなくした歌舞伎界で支えてくれたのは、坂東玉三郎さんと市川海老蔵さん。2人への愛と感謝が止まりません。まずは、9年間滞っている襲名問題からお聞きしました。

—今、襲名はどうなっているのですか。

 まだ何も決まっておりません。

—2013年の襲名発表から9年経ちます。最初に延期を聞いた時はどう思われましたか。

 父(福助)の状況を見ているので、今すぐに襲名は厳しいと分かっていました。最初は大変でしたし、悲観していた時期もございました。でも、悲観していても治らないですし、家族が厳しいと思えば、本当に襲名できなくなってしまいます。舞台復帰はいずれできると思っておりましたし、歌右衛門を襲名してほしいという家族としての気持ちはございますが、今このような情勢で襲名するのではなく、きっと来るべき時が来ると信じております。

—その後、お父様は治療とリハビリを重ねて舞台復帰。本当によかったですね。

 最初の復帰が2018年の『金閣寺』で、それから6回ほど舞台に立たせていただきました。ただ、コロナ前と違って今は人数制限もございますし、難しい状況が続いております。

 実は9年前に襲名が決まった時、私は「まだ福助になるには早いです」と言っていたのです。何の実績もございませんでしたから。だから、あのタイミングで襲名していたら、今の自分はないと思っています。

—なぜですか?

 あのままだと、歌舞伎を勉強していなかったかもしれません。父が病気になるまでは、本当に歌舞伎を甘く見ていました。歌舞伎は世襲の世界なので、親が出るから子供も舞台に出るというのはよくあることです。成駒屋の“切符”を持っていれば、例えば新幹線に乗ったら新大阪に着くわけです。

 でも、父親が病気で後ろ盾がいなくなると、各駅停車で1つ1つ進んでいくしかなくなるのです。しっかり勉強して、皆様に呼んでいただけるような役者にならなければいけないという気持ちになりました。

—お父様が病気になられてから、誰が指導してくださったのですか?

 坂東玉三郎のおじさまと市川海老蔵のお兄さんです。もちろん他の先輩方にも、本当によくしていただきましたけど、特にお二人には、足を向けて寝ることはできないです。

 父が倒れてから、女方の全てをお教え下さったのは、玉三郎のおじさまです。役の作り方、芸への向き合い方、研究の仕方、全てをお教えくださいました。

 そして、何もできない自分を初めて相手役に抜擢してくださったのが、海老蔵のお兄さんです。歌舞伎座での『駄右衛門花御所異聞(だえもんはなのごしょいぶん)』というお芝居で、私はお才という、海老蔵のお兄さんの妻役でした。

 公演が行われたのは、(海老蔵さんの妻)麻央さんが亡くなられた翌月(2017年7月)。私は、海老蔵さんの腕に抱かれて死んでいく役だったのです。

 妻が若くして死んでいく話は…(海老蔵さんの)現実と重なって見えてしまいます。命を賭して夫を守るお才の姿は感動するのですけど、お客様を見たら、本当に人ってこんなに涙を流すんだというくらい、皆様大粒の涙をポロポロ流して、劇場全体が泣いていたのです。

 幕が下りる際、私は海老蔵のお兄さんの腕の中に抱かれていたのですけど、その瞬間強く抱き締められました。公演中、毎日していただいたのです。自分の中ですごく気持ちが繋がった気がしました。それから5年くらい、海老蔵のお兄さんとはずっとご一緒させていただいて…だから今があります。

 女方から見た理想の立役は、「この人のためなら死んでもいい、なんとかしてあげたい」と惚れさせてくれる男だと考えています。

—5月の『團菊祭』も海老蔵さんと一緒で、6月は海老蔵さんが昨年立ち上げた企画の公演『いぶき、特別公演』ですね。

 今回は、中村隼人さんと2人だけの出演です。私は『藤娘』を踊り、隼人さんとは『二人椀久(ににんわんきゅう)』で久しぶりに共演します。

 『藤娘』は、亡くなった祖父・七代目中村芝翫から習った数少ない作品の一つで、女方として一生踊り続けていくものです。玉三郎さんや故・坂東三津五郎さんから教わったことをいつも思い出して娘を演じておりますが、徐々に自分の中で進化していく作品だと感じています。おぼこさ・色香・娘…と移り変わる様が見どころですね。

 隼人さんは同い年で子供の頃から一緒ですが、19、20歳くらいからあまり仲良くない時期がございました。彼は新作、私が古典の作品によく出演をしていて、お互いそれを認められなかったのです。

 ところが、私が父の復帰公演『金閣寺』に出演した時、彼が「感動した」と言ってきてくれたのです。自分を認めていただいた瞬間でした。それによって自分も彼を認めることができて、今は“付き合っているのか”というくらいうまくいってます(笑)。久しぶりの共演で恐怖を感じることもございますが、彼をよく見て寄り添えるようにしておりますので、大丈夫です。

—彼のことを見ているとは?

 女方の役目は、相手の立役の方がキレイに見えるように、うまく立ち回っていくことです。舞台におりますと、主役以外の方やいろいろな人と接しますので、それぞれに合わせて常に対応できるようにしています。誰に何が起きても自分が対処します。紐が解ければ直しますし、小道具など何かを忘れてしまったら出せるように常に準備しています。しっかり見ていることが大事なのです。

—普段の児太郎さんはどんな人ですか?

 食事に行って食べ物が来たら“取り分けなければ”と思うタイプです。母には「あなたは結婚できない」と言われています(笑)。テーブルの上のホコリを指で拭いてみせたり、物は決まった場所に置いておかないとダメとか、すごく細かいですね。

—歌舞伎では、男女のあり方とか生き方とか、現代にはない感性がありますね。

 歌舞伎界は男尊女卑ですよ(笑)。去年『いぶき、』で上演した『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)』に、お三輪というすごい役がありました。序盤から1時間10分、芝居を築き上げるのですが、死んだら黒い消し幕で消えるのです。理解できないでしょう。立役なら見せ場がありますが、基本的に女性が虐げられているんです。

—その虐げられている役をどんな思いで?

 玉三郎のおじさまからは「分からなくても、お芝居を成立させなくてはいけない」とよく言われます。分からなければその気持ちを成立させるために紐解いて勉強します。

 お三輪は好きな人に会いに行って殺されて、「嫉妬に狂ったこの血が好きな人のためになるから死んでくれてよかった」と言われ、「あの人のためになるなら嬉しい」と死んでいく話で、それを成立させてお客様に感動を与えるのが私たちの仕事です。

 嫉妬に狂って必死で相手役の市川九團次さんをにらみつけた時に、「殺されると思った」と言われました。お客様には「血が飛び散ったように見えた」とおっしゃっていただき、気持ちは伝わるのだと思いました。

 玉三郎のおじさまからは、「今は技術を求めるのではなく、全身全霊、魂を込めて演じるということに徹しなさい」とお話しいただきました。玉三郎のおじさまからは本当に多くのことをお教えいただきまして、「あなたには役の背景が見えない」とご指摘を受けたこともありましたし、花道から舞台に入るだけのところを2時間お稽古したこともございました。

—歌舞伎の裾野を広げるため先達がいろいろ道を開きましたが、20代の児太郎さんがやろうと思うことは?

 僕は青山学院大学出身で、毎年母校に授業をしに行くのですが、「歌舞伎界が抱えている問題と世間の流れのマッチングは?」など、学生の方からどんどん質問が来ます。

 アメリカ人の方からは、「日本人はなぜ古典を大事にしないのか?」という質問がきました。授業でヒップホップは必修なのに、日本舞踊が必須じゃないのはおかしい、海外は皆自国の文化を見せるのに、日本は自分たちのカルチャー以外をやっている、というわけです。

 私はこうして学生達と直接話をします。地道だけど大事なことです。100人に授業すると10人は実際に行動してくれたりするので、価値はあると思っています。

「いぶき、特別講演」より 撮影:レスリー・キー 右は中村児太郎、左は中村隼人
「いぶき、特別講演」より 撮影:レスリー・キー 右は中村児太郎、左は中村隼人

【インタビュー後記】

小・中・高とラグビーをやってきた体育会系でもあるので、物事もはっきり言うし、先輩への敬意・感謝の気持ちがとても大きいです。目の前の児太郎さんはどちらかというと男っぽい雰囲気を持ち合わせていて、低音ボイスがダンディ。舞台上で見せる細やかな気遣いと色香漂う目線とのギャップを感じてしまいました。古典を大事にする一方、若者の気持ちも受け入れやすい。これからの歌舞伎界を支えていくのに必要な人であることは間違いありません。

■六代目 中村児太郎(なかむら・こたろう)

1993年12月23日、九代目中村福助の長男として生まれる。祖父は七代目中村芝翫(人間国宝)、いとこに六代目中村勘九郎、二代目中村七之助がいる。成駒屋。1999年11月歌舞伎座『壺坂霊験記』において観世音役で中村優太の名で初お目見得。2000年9月に、六代目中村児太郎を襲名し初舞台。2013年9月、父の七代目中村歌右衛門の襲名に伴い十代目中村福助の襲名が発表されたが、同11月、父の病気により襲名は延期に。2018年には難役である『壇浦兜軍記』の阿古屋を史上最年少で務めるなど、女方の大役に挑み注目を集めている。

『いぶき、特別公演』は、6月1日観世能楽堂、6月4日横浜能楽堂を含め9ヵ所で上演。http://www.ibuki2022.com/

フリーアナウンサー/リポーター

東京都出身。渋谷でエンタメに囲まれて育つ。大学卒業後、舞台芸術学院でミュージカルを学び、ジャズバレエ団、声優事務所の研究生などを経て情報番組のリポーターを始める。事件から芸能まで、走り続けて四半世紀以上。国内だけでなく、NYのブロードウェイや北朝鮮の芸能学校まで幅広く取材。TBS「モーニングEye」、テレビ朝日「スーパーモーニング」「ワイド!スクランブル」で専属リポーターを務めた後、現在はABC「newsおかえり」、中京テレビ「キャッチ!」などの番組で芸能情報を伝えている。

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