私が見た福島第一原発:使用済み核燃料棒は青いプールで静かに眠っていた
<防護服(タイベック)を来て、福島第一原子力発電所構内に入った。>
■機会
マスコミでもなくジャーナリストでもなく、原子力の専門家でも政治家でも役人でもなく、原発の委員会のメンバーでもない、私のような普通の一般人が、事故後の福島第一原発に入った。ほとんど例がないと思う。初めてのことだろうか。
東電としては、いろいろな人に現状を見てもらいたいそうだ。東電からヤフージャパンに話があり、ヤフーから数名のYahoo個人オーサーに話があった。
非常に貴重な機会だ。私は、日程を調整し、二つ返事でお受けした。
3月3日、まずヤフージャパン本社で東電からの説明を受ける。東電広報部長までご出席だ。私達は、ヤフースタッフ、オーサー合わせて10名の一行となった。
原発構内視察は3月6日朝から。前の日に福島県いわき市に入る。駅周辺のホテルは、かなり混んでいだ。復興関係の多くの人がいわきを拠点として使っている。
■Jヴィレッジへ
いわき市からJヴィレッジへ。福島第一原発から20キロの場所。とてもりっぱなサッカーの施設、日本サッカー界初のナショナルトレーニングセンターだ。今は、スポーツ施設としては全面閉鎖され、国が管理する原発事故の拠点となっている。広いグランドも、今は駐車場だ。
朝8時。ここで本人確認などを行い。IDカードを受け取る。次に隣接する施設で、「内部被曝」の状況を測る。人間は、もともと体内にカリウムがあるので、身体から放射線を出している。内部被曝の状況は、「ホールボディーカウンター」という特殊な装置で測定する。人間が出しているごく微量な放射線を測定し、内部被曝状況を推測する。
特殊な装置と言っても、見た目はただのイス。証明写真を自動で撮る機械からカーテンを取ったような形だ。60秒で測定は終わる。
そしてバスに乗り、福島第一原子力発電所へ。
■検問
Jヴィレッジの周囲などは、一般の人が何の許可も得ず自由に往来できる場所だ。今はきれいに整備されている。そこから原発に近づくにつれ、空き家や草ぼうぼうの田畑が見え始める。
検問がある。ここから先は、許可がない一般人は立ち入り禁止だ(帰宅困難区域)。二カ所の検問を通り、福島第一原子力発電所入り口へ向かう。原子力発電所は広い、とても広い。しかし、出入り口は一カ所だけである。テロ対策だという。
私が撮影できたのは、ここまで。後は代表カメラだけだ。
ここでもう一度関所を通る。
一人一人飛行場にあるような金属探知機、IDカードなどによる身元の確認を経て、原発に入構する。
■防護服(タイベック)
クツを脱ぎ、靴下で更衣室へ向かう。「さあ、ちょっと急ぎましょう」と言われ、階段を上る。私達の後から、4千人の作業員のみなさんがやってくるからだ。
私達のために用意された控え室に、個人別の防護服一式が用意されていた。自分の靴下を脱ぐ。二重に靴下(軍足)をはく。上着を脱ぎ、ワイシャツの上にブルーのベストを着る。外から見えるようになっている胸ポケットには、線量計を入れる。設定された放射線量が近づくと、警報のブザーが鳴る。
上下つなぎになっている白い防護服(タイベック)を着る。この服が放射線を防ぐわけではない。放射性物質が体に付着しないようにしているのだ。手袋は三重。すきまできないように、そでにテープで貼り付ける。洋服のそでやズボンのすそから放射線物質が入り込まないように、二重三重にしている。
頭に青いゴム帽子をかぶり、次に顔全体をおおうマスクをつける。空気中にさまよう放射性物質を吸いこまないようにするためだ。ゴム製のマスクを口の鼻のまわりにピッタリとつける。息苦しい。ぴったりつけずに汚染されては困る。またすきまが空いていると、目のメガネの部分の内側が曇ってしまう。
水中メガネのように、曇ったらはずして拭くわけにはいかない。もう一度ここに戻ってくるまで、マスクも防護服も取れない。汗も拭けない。トイレにも行けない。
マスクをすると、普通の大きさの声で話しても、お互いに聞き取りにくい。
マスクの上から防護服のフードをかぶり、ヘルメットをかぶる。露出部分はない。あたたかい。
いよいよ汚染されている場所へ入る。最後に入り口でもう一度、線量計を持っているかどうかをチェックされ、バスに乗り、視察に向かう。
■福島第一原子力発電所構内:汚染水タンク
以前、新潟県の柏崎刈羽原子力発電所の見学に行ったことがある。とても整備されていて、まるで公園の中にいるようだった。だが、福島第一原発は、全体が工事現場だ。
素人にはわけのわからない、資材やドラム缶やホースやらパイプやらが置いてある。パワーショベルやクレーン車が動いている。作業員の方々が、シャベルを持ったり、一輪車で土を運んでいる姿も見た。よく建築現場で見るように、地面(通路)に鉄板が置いてある。
今大きな問題になっている汚染水タンク群をみる。敷地内の木々を伐採し、次々とタンクを作っている。
特別な作業をしているようには見えない。ごく普通の工事現場、建設現場だ。ただし、働く人々は全員が同じ白い防護服を着て、顔全面をおおうマスクをして働いている。この姿でクレーンを操り、鉄パイプを肩に乗せ運んでいる。
最初息苦しかったマスクは、しばらくつけていると慣れてきていることに気づいた。
■アルプス:多核種除去装置
「東京電力福島第1原発の汚染水問題で、“切り札”となる多核種除去装置(ALPS=アルプス)」と報道されている装置を見た。要するに放射線による汚染水をきれいにする装置だ。装置というと一つの機械のようなものを素人の私は想像してしまうが、それ自体が大きな化学工場のようだ。
新しくできたので、ピカピカである。全体が、鉄骨で組まれた巨大な白いテントの中に入っている。本来なら、一般の化学工場のようにむき出して良いそうだが、雨よけのテントの中に入っている。地下の汚染水と雨水を区別するためだそうだ。
テントの入り口から中をのぞき込む。大きくてとても頼もしくも思えるが、正直素人にはよくわからない。
■バスとクツカバー
視察の中で、も何度かバスの乗り降りをしているが、バスの中は汚染されていない。外は汚染されている。そこで、バスに乗るときにはクツにビニールのカバーを掛ける。降りるときには、カバーを外す。
外すのは、バスから降りて数メートル先で自分で外す。バスに乗るときは、バスの乗降口でまず片足をカバーし、その足でステップに乗る。次にもう片足をカバーしてもらいバスに乗る。
バスの中は、通路のイスもピンク色のゴム製のカバーでおおわれていた。
バスの中だけではなく、汚染レベルが違う場所に入るときには、このクツカバーの取りつけ取り外しがあった。汚染されていない休憩室なども、ピンク色のゴムカバーでおおわれていた。
■海岸部へ
今までいた場所は高い所だったが、原子炉建屋(たてや)がある海の方向へバスで向かう。
バスから降りて、徒歩で原子炉建屋の方へ。
このあたりを歩くと、津波被害が見られる。東日本大震災による津波被害直後は、置かれていた資材などががれきとなり、前に進むこともできなかったそうだ。通行の妨げにならない場所には、今もがれきが散乱している。
へし曲がった鉄骨。破壊された大きなパイプ。
かなり大きなクレーン車が、津波でやられたのだろう、無残につぶれた状態のまま放置されていた。これを移動させるのは大仕事だ。3年間、毎日何千人もの人が働いているが、すぐに必要のない処理は後回しである。
窓ガラスが全部壊れた建物が見えた。事故前の休憩室の設備だそうだ。ガラスが割れたのは、津波のせいなのか、水素爆発のせいなのか、わからない。そんなことを調べる余裕はないのだろう。そんな場所を修繕する余裕もない。3年建った今も、作業員のみなさんには、満足な休憩場所もない。
■原子炉建屋
原子炉建屋へ近づいている。とても大きなクレーンが見える。青い空をバックに、赤いクレーンがそそり立っている。美しい。空も海もとてもきれいだ。
空は青い。海も青い。
歩いていると、声がかかった。「少し早歩きで行きましょう。この辺は、放射線量の低い場所ではありませんから」。建物の中の方が、放射線レベルは低いようだ。
しかし、この場所で屋外で働いている作業員さん達が大勢いる。
原子炉建屋が見えた。巨大な四角い建築物である。水素爆発で破壊された建屋も見える。
ここだ、ここが、福島第一原発(1F:いちえふ)だ。
原子力発電所の敷地は広大である。原子炉建屋も巨大だ。しかし、福島県全体から見れば、もちろんとても小さい。だが、この場所のこの事故で、多くの人が町を失った。故郷を失った。平和な生活を失った。福島県全体が苦しんでいる。日本が迷っている。ここだ、この場所だ。
原子炉の中で溶けてしまった核燃料が、どういう状態なのかも今もまだまだわからない。取り出し方も研究中だ。美しい福島県、日本人の原風景が広がる「うつくしまふくしま」の中にある、ここだけはまさに「フクシマ」だ。
■四号原子炉建屋
四号原子炉建屋に近づく。ここは、震災当時点検中で原子炉は動いていなかったが、建屋は破壊された。原子炉には核燃料は入っていなかったのだが、三号機から流入した水素によって建屋の4、5階部分が吹き飛ばされた。
建屋内の原子炉の隣には、使用済み核燃料が核燃料プールの中で保管されている。燃料棒をクレーンでとりだすための作業をするために、四号建屋の上に新しい建造物が作られている。上に乗っているわけではなく、隣接して横から伸びて上をおおう、L字型の頑丈で大きな建物が増設された形だ。
■静かに眠る使用済み核燃料棒
エレベーターで4階に向かう。ドアが金網状の、建設現場などにある簡易なエレベーターだ。
4階で、使用済み核燃料棒を取り出す作業が行われている。
使用済み核燃料は、ウラン・プルトニウムなどの放射性物質を大量に含む高レベル放射性廃棄物である。一般には、冷却するために貯蔵プールで3年~5年ほど保管されたあと、再処理工場へ送られる。冷却と言っても氷水でよやすのではなく、ともかく水(お湯でも)があれば良い。だが、この不安定な場所に置いてはおけないために移動しなくてはならない。
「これが、使用済み核燃料のプールです。」
目の前に、すぐ近くに、使用済み核燃料がある。高レベル放射性廃棄物である。目の前だ。
この棒の上に2メートルほどの水があれば、大丈夫だそうだ。
プールの水は、なぜか美しいブルーに見える。イタリアの「青の洞窟」を連想させる光景だ。
使用済み核燃料棒は、ブルーのプールの中で、静かに眠っていた。
こうしていれば、危険はない。見学者が間近で見学できるほどだ。それは、動物園でのどかに昼寝をしているライオンか。核は、危険性があり十分気を付けなくてはならないが、動物園で飼うことができ、サーカスで芸を見ることができるライオンか。
それとも、核は、映画『ジュラシックパーク』の恐竜か。最新科学で安全に管理されていたはずだったのに、事故が起きて惨事が発生する。決して人間に飼い慣らされたりなどしない、恐竜か。
建屋から外に出る。青空が広がる。私はここ福島第一原発で何を見るべきか。何を記憶にとどめるべきか。何を伝えるべきなのか。混乱する。様々な思いが交錯する。あちこちで聞いた福島県民の声が頭の中に響く。
涙が出そうだ。だが、ここでは涙を拭くこともできない。それに、こんなところで泣いていたら変だ。
■中央制御室
最後に行った場所は、1号機2号機原子炉の中央制御室である。つい先日マスコミに公開された場所だ。あの日、3月11日。暗闇の中で作業員のみなさんが必死に戦った場所である。水量計の横にある手書きのメモも有名になった。
中央制御室に立ち、多くの計器やレバーがついた機械に取り囲まれていると、あの日の、人々の動きや声が、伝わってくるような気がする。
あの日、福島第一原子力発電所で、福島第二原子力発電所で、必死に戦った職員達がいる。今も戦い続けている。働く人々の半数は、福島県民だ。
■防護服を脱ぐ
視察を終えて、防護服(タイベック)を脱ぐ。脱ぎ方も、まるでお作法のように、決められた順序がある。順序よく脱がないと、汚染されるからだ。
室内ではあたたかだと感じた防護服。これで夏の仕事は過酷だ。作業現場ではマスクを外して水も飲めないのだ。では冬なら楽か。いや、タイベックは防寒着ではない。三重の手袋(一つは薄い麻、二つは薄いゴム)も、防寒用ではない。外を歩けば寒い。手は凍える。
手は凍えたのだが、手袋を脱ぐと、手はすっかり汗ばんでいた。
■福島第一原子力発電所を出る
85分間の構内視察だった。もとの服に戻り、線量計をチェックする。私が原発構内で受けた放射線量は、0.03ミリシーベルト(30マイクロシーベルト)だった。レントゲン検査を受けた程度だ。ただし、たった1日、85分の間に受けた線量だが。
職員、作業員のみなさんは、一日ごとの線量計と共に、一ヶ月ごとの線量計を持ち、トータルの線量を記録していく。線量の上限が近づけば、もうこの現場では働かない。
原発構内から出るために、放射性物質がついていないか、チェックを受ける。一人一人別々に入るとドアがしまる。全面のくぼみに両手を入れる。しばらくして、異常がなければ、外側の扉が開き、外に出られる。万が一汚染されていれば、外側の扉は開かず、内側のドアが開く。除染が必要だ。
もしも服が汚染されれば、服は置いていかなければならない。携行品も、チェックを受ける。もしも汚染されていたら、持って外に出ることはできない。
構内に入る人々は、十分注意して行動している。カメラなども汚染されないようにおおわれている。私達も、全員原発構内から出ることができた。今は、ほとんど大丈夫なようだ。
■Jヴィレッジへ、外の世界へ
福島第一原発を後にして、Jビレッジわきで、体内被曝状況を「ホールボディーカウンター」で測定する。万が一、入構前より増加していれば、放射性物質を吸いこんでしまったことになる。
原発入構前後で、多少の数値の揺れはある。しかしこれは、誤差の範囲内だ。イスの座り方などで差が出てしまう範囲だ。
Jビレッジで挨拶をして外に出る。
Jビレッジ脇で営業している豚丼屋がある。ここで、昼食だ。うまい、本当にうまい。事実おいしい豚丼なのだが、防護服を着て原発構内を視察したその後で、温かな丼飯が実にうまい。ガツガツと食った。普通の世界に帰ってきた気がする。
福島第一原発構内で働く人たちは、構内では温かな食事は取れない。構内で温かな飯が食えるのは、もう少し先になりそうだ。
■視察を終えて
以下、次号。→アップしました(3.11)。「ふくしまの声を聞く、ふくしまの町を見る:福島第一原発視察の意味」
原発の町を見た。誰も住んでいない町を歩いた。ふくしまの人々と話した。
その晩、私が見た夢は、汚染され原発構内から出られなくなる夢だった。
お会いした東電関係の人々は、本当にみんなとても良い人だったのに。
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東北を、福島県を、みんなで支援したい。原発で働く方々を応援したい
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事故と闘っているスタッフを支え、周辺住民を支え、互いに支え合い、絶対にあきらめずに、日本を、福島を、再建していきたい。