Yahoo!ニュース

THE ALFEE 結成50年「若さは、変わらない関係性で同じ事を追求する人間に宿るのかもしれない」

田中久勝音楽&エンタメアナリスト
写真提供/ユニバーサルミュージック

今年結成50周年、来年デビュー50周年

THE ALFEEが今年結成50周年を迎えた。1973年、明治学院大学で出会った桜井賢、坂崎幸之助、高見沢俊彦の三人で結成したTHE ALFEEは、メンバーチェンジはもちろん、活動休止もなく活動を続けてきた稀有なバンドだ。そんな記念すべき年の最初のシングルはドラマ『グランマの憂鬱』(主演:萬田久子/東海テレビ・フジテレビ系)の主題歌「鋼の騎士Q」だ(「Never Say Die」と両A面シングル)。

コミックを読む機会が多いという高見沢が、偶然にもこのドラマの原作を読んでいて「作品の内容にとても共感して」いたということもあって、非常にドラマと親和性の高い楽曲に仕上がった。このシングルについて、そして3人で半世紀という時間を共に過ごしてきたTHE ALFEEという「場所」についてインタビューした。

「たまたまこの3人だったから続いた」(坂崎)

坂崎幸之助
坂崎幸之助

もう何度も聞かれてきたことだと思うが、結成50年という節目を迎えて、改めて3人でここまで続けることができた秘訣、理由を分析してもらった。

高見沢 3人の絶妙なバランスもあると思います。もし僕みたいな性格の3人だったら、すぐに解散していたかもしれない。坂崎が3人だったら色々なことをやりすぎてしまうし、桜井が3人だったら何も始まらない(笑)。この3人じゃなかったらこんなに長くは続かないでしょうね。

坂崎 そうそう、たまたまこの3人だったから、としか言いようがない。自分達ではわからないから、こうやって取材して分析していただいた方が的確だと思いますよ。桜井とは高校時代に知り合って一緒にやってましたけど、高見沢とは大学に入って偶然キャンパスで出会って「明日のライヴに出てくれない?」というひと言で始まったバンドです。それぞれの好きな音楽は全然違うけど不思議とウマが合ってました。名前を出すのはおこがましいかもしれないけど、ビートルズのメンバーも出会いも偶然が重なって結成したように、僕らの出会いも偶然の産物ですね。

桜井 ずっとサイモン&ガーファンクルが好きだったのに、高見沢にハードロックの世界を教えられて、すっかり洗脳されちゃいました (笑)。気づいたらチェーンがジャラジャラついた皮ジャンのベストを自ら着ていましたよ(笑)。

「純粋に音楽が好き、ギターが好きというアマチュアイズムが残っている」(桜井)

桜井賢
桜井賢

高見沢 基本的にアマチュアイズムっていう精神が残っているのだと思う。とにかく音楽が好きだっていう。そうじゃなかったらこんなにギターが570本も増えない(笑)。

坂崎 だよな。ギターを仕事道具として使っていたら、せいぜい5、6本で十分だし(笑)。

桜井 プロのミュージシャンだけど、アマチュアの音楽好き、ギター好きの純粋な精神を今でも失っていないと思います。

デビューから「メリーアン」のヒットまで9年。「周りに人に支えられながらライヴを続けているうちに、お客さん増えていき手応えを感じていた」(坂崎)

1974年シングル「夏しぐれ」(作詞:松本隆/作曲:筒美京平)でデビューしたが、なかなかヒット曲に恵まれなかった。しかし3人はライヴを精力的に行ない、徐々にファンを増やしていった。それがのちの“爆発力”につながった。そして1983年「メリーアン」でブレイク。その後も「星空のディスタンス」(84年)「STARSHIP -光を求めて-」(84年)「恋人たちのペイヴメント」(84年)「シンデレラは眠れない」(85年)「Promised Love」(92年)等のヒット曲を連発し、トップグループへと駆け上がった。「メリーアン」までの9年間、“焦り”のようなものはなかったのだろうか。

坂崎 とにかく周りの人に支えられたという感じが強かったですね。ライヴを続けているうちにお客さんが増えてきて、不安だったのは最初の頃のライヴハウス時代。お客さんがなかなか増えなくて、10人くらいしか集まらない時期がしばらく続いて。ロックをやったりポップスをやったりフュージョンをやったり、3人で試行錯誤しながらやっていました。

桜井 やっぱり人前でやり続けている事が大切なんです。10回のリハより1回の本番。最終的には渋谷のライヴハウス・屋根裏が満杯になって(1977~78年)、その時に俺ら大スターだ!なんて意気がってましたよ(笑)。

坂崎 そこから小ホールでやるようになって。

高見沢 研ナオコさんや色々な歌手の方のバックバンドをやり始めた時期で、ヒット曲は出てなかったけど、あまり煮詰まったりはしなかったな。オリジナル楽曲はプロになってから作り始めたので、最初は坂崎にフォーク楽曲のレクチャーを受けて何とか作っていましたけど、全然ダメでしたね。

坂崎 レッド・ツェッペリンをコピーしていた人間には無理があったかもな(笑)。

高見沢 フォークにこだわらず、自分でやりたいものを少しずつ楽曲にしていったときに方向性が決まって、色んな曲が書けるようになりましたね。

「新曲を出し続け、ライヴをやり続けていたら、出産や育児等で一度離れたファンも戻ってきてくれた」(高見沢)

高見沢俊彦
高見沢俊彦

坂崎 コロナ禍でYouTubeを始はじめとするSNSで僕らのことを知って、番組宛にライヴに行きましたというメールを高校生からもらったりしましたよ。

高見沢 やっぱり長くやっていると色々な場面で僕ら見かけると思いますよ。例えば活動休止して、何年か経って再結成して、というパターンはよくあるけど、ずっと新曲を出し続けて50年というのは世界的に見てもあまり例を見ないらしいですね。とにかく新曲を出してライヴをやって、それをルーティンでやっていれば、ファンの方も結婚してお子さんが産まれて、コンサートに足が遠のいても、子育てが落ち着いた時「ALFEEまだやってたんだ」ってまた来てくれる方もいますからね。

桜井 いつでも来て下さい!ずっとここでやってます。

高見沢 音楽って生き物だから、リハとかで、自分たちが頭で考えていた時の感覚でやってもお客さんには伝わりません。やっぱりライヴをやりながら感じたものをどんどんブラッシュアップして出していった方が、“今の”ALFEEになっていくと思う。そこは意識しています。ただこれって一人ではできない。自分に無いものを他の2人が持っていて補い合えるのが、バンドの良さであり、THE ALFEEなんだと思います。一人で50年続けるなんて無理。それとALFEEの場合は、カリスマ的なミュージシャンがひとりもいなかったところが大きいと思う。僕らの場合は突出してる人間がひとりいたらダメだったはず。ボンクラ3人だからこそ助け合って、そこから生まれてくるものが、他のバンドと違うのかもしれない。持ちつ持たれつバンドだね(笑)。

坂崎 この世界は一人の個性が強い、ある意味ワンマンバンドが主流かもしれないね。ローリングストーンズのような、でも僕らはどちらかというとビートルズみたいに3人とも歌うしね。実際ALFEEの曲で誰が歌っている曲が好き?ってファンの人に聞いたら、好みが分かれると思うし、ある意味わかりづらいバンドだと思うんですよね。でもわかりづらいから面白いんですよね。

高見沢 ミック(・ジャガー)とキース(・リチャーズ)のいないローリングストーンズみたいな?(笑)。

桜井 それってもうバンドじゃないじゃん(笑)。だからこそメンバーチェンジが利かないですよね。

「客観的に見てやっぱり50年やっているってすごいと思う。貫禄がない大御所(笑)」(坂崎)

メンバーチェンジがなかったことが、「何が変わったっていうのがない」(坂崎)という最大の強さになっている。3人のモチベーションも50年間変わらない。だから前に進み続けることができているのではないだろうか。

桜井 本当に何も変わってない。すごいなって思うね。

坂崎 周りの見方は変わってきたかもしれないけど、やっぱり50年やっていてすごいなって……。でも、高見沢がステージで言ってたように貫禄のない大御所みたいな(笑)。

高見沢 それって言い得て妙でしょ?あとは近所の神社みたいな存在(笑)。

桜井 たまに拝んでおくかって(笑)。

400曲を越えるTHE ALFEEの楽曲や他のアーティストへも楽曲提供している高見沢は、長いキャリアの中で曲が書けなくなるスランプなどはなかったのだろうか。これまでに小説を3作発表しているが、この執筆が楽曲作りにどのような影響があるのだろうか。

高見沢 スランプはないですね。小説も書き始めたので、歌詞を書くのが随分速くなったとか、その相乗効果が自分の中ではあると感じています。歌詞を書く時に考えていた世界観が、小説の参考になったり、その逆も然りで、創作の二刀流ですね(笑)。それと、コロナ禍には、楽曲の創作活動に励みましたので、たくさんのストックが出来ています。

「コロナ禍では新曲こそが希望だった」(高見沢)

コロナ禍でもTHE ALFEEはシングルを出し続け、配信ライヴや番組配信も積極的に行ない、ファンを元気づけた。

高見沢 この時期はニュースを見る度に落ち込んでいましたよ。ニュースは事実関係を報道するだけで希望がなかったから、この先どうなるかわからなかった。そこでバンドにとっての希望はなんだと考えたら、新曲だ、と。そこから猛烈に楽曲を作りましたよ。元気の素は未来のライヴに繋がる新曲ですからね。

坂崎 いざライヴができるようになった時、僕らが元気で、ファンも元気じゃないといけないからね。

桜井 逆にコロナ禍になった方がシングル出しています。以前は2年に1作とかだったのがテンポ良く出して、知らないうちに今回がもう72枚目になっていました(笑)。

坂崎 僕らはこれまで数々の逆境を乗り越えてきたバンドなので、いつもそれを逆手にとってやってきたので、配信番組もそうでした。あのタイミングじゃなければ挑戦していなかったと思う。

桜井 始めた頃はまさかシーズン6までやるとは思わなかったし(笑)。

「『グランマの憂鬱』での百目鬼ミキの“喝!”は、孫の目線と、人生を積んできた人の考え方をうまくミックスしたものが“正義”になっているのがいい」(高見沢)

『グランマの憂鬱』(第7話/写真提供:東海テレビ)
『グランマの憂鬱』(第7話/写真提供:東海テレビ)

結成50周年の記念すべき年の第一弾シングルは、ドラマ『グランマの憂鬱』(東海テレビ・フジテレビ系/毎週土曜23時40分~)の主題歌「鋼の騎士Q」だ。村の難事を仕切る“総領”の百目鬼ミキ(萬田久子)が、村人が抱える様々な問題を、愛情込めた「喝!」で解決へと導いていくドラマだ。雑誌でコミックを紹介するコラムを連載している高見沢は、この原作をすでに読んでいて、主題歌のオファーが来た時、すぐにイメージが浮かんだ。

「鋼の騎士Q/Never Say Die」(5月17日発売/通常盤)
「鋼の騎士Q/Never Say Die」(5月17日発売/通常盤)

高見沢 百目鬼ミキさんのようにハッキリものを言える人は、今の時代あまりいないと思う。でもただグランマが厳しいことを言うのではなく、現代のことをちゃんと理解した上で「喝!」を入れる。こんなにスッキリするドラマは最近ないと思います。例えばコミックのエピソードでいうと、ユーチューバーがある日村にやってきて、無謀で不遜な行動をとるのですが、グランマはただただ見守って、もてなしあげると相手が自分達がやっていることに気づく。悪い奴に向かって、お前が悪いって言うのは簡単だけど、そういう人たちの気持ちや事情もちゃんと汲んで、言葉を投げかけるのはやっぱり現代にマッチした作品だと思います。孫の目線と、人生を積んできた人の考え方をうまくミックスしたものが“正義”になっているのがいいんですよ。

『グランマの憂鬱』(第7話/写真提供:東海テレビ)
『グランマの憂鬱』(第7話/写真提供:東海テレビ)

坂崎 確かに今の時代ならでは視点が痛快というか。例えば第7話(5月20日放送回)では秋野太作さんが演じる老人は、まさに老害みたいなジジイで(笑)。そういう人を百目鬼ミキさんが「言葉には口にすべき言葉と飲み込む言葉、両方がある」と諭すシーンは、僕らが若い頃に見ていたドラマとは違うし、若い世代が見ても違和感がないと思います。

『グランマの憂鬱』(第7話/写真提供:東海テレビ)
『グランマの憂鬱』(第7話/写真提供:東海テレビ)

「『鋼の騎士Q』は、グランマの言葉にインスパイアされたものと、ALFEEが長年やり続けてきたものを全部ミックスした作品」(高見沢)

高見沢 主題歌について制作サイドからはミディアムテンポで前向きな歌詞、あとは桜井に歌って欲しいというオーダーがありました。最近は桜井がメインボーカルの曲が続いていたので、次は変えようって話をしていたので、最初桜井は嫌な顔をしていました(笑)。僕らは三人共メインボーカルをとりたくない珍しいバンドなので(笑)。でもプロデューサーたっての希望だからって言ったら、桜井は満更でもない顔をしていました(笑)。曲はグランマの言葉にインスパイアされたものと、ALFEEが長年やり続けてきたものを全部ミックスした作品になりました。

坂崎 確かに桜井の声にぴったりのメロディとケルティックサウンドで、最近ALFEEの曲ではこういうタイプはなかった感じです。

「これだけ長いことやっているので、これぐらい強い言葉でも大丈夫だろうという想定のもとに歌詞は書きました」(高見沢)

「鋼の騎士Q」も「Never Say Die」も、とにかく前向きな言葉が並んでいる。50年というキャリアを積んできたTHE ALFEEが歌うからこそより説得力を纏い、伝わってくる。ドラマの最終回では「鋼の騎士Q」の歌詞がさらに深く響く内容になっているという。

高見沢 まぁ、これだけ長いことやっているので、これぐらい強い言葉でも大丈夫だろうという想定のもとに歌詞は書きました。50年もやってるんだから文句はありませんよね?という感じでもありますが(笑)。

坂崎 そうそう!来年は古希になろうとしているバンドが歌っているんだから、そこは忖度して欲しいですね(笑)。

高見沢 グランマが喝を入れるのは、世代に向かう事が多いかもしれないけど、でも歌詞は全部の世代に届くように、何度も書き直して完成させました。

「精神年齢が大事。体が老いていくの仕方ないけど、変わらない精神年齢をどこまで保てるかがこれからは大切」(坂崎)

「『Never Say Die』の歌詞である<弱気になるな!>は、自分達に喝を入れるために書いた楽曲でもあります」
「『Never Say Die』の歌詞である<弱気になるな!>は、自分達に喝を入れるために書いた楽曲でもあります」

間もなく古希を迎える三人。三人にとっての「これから」とは?

高見沢 ちょうど還暦の時(2014年)に母校の明治学院大学が名誉卒業式(名誉学士称号授与式)をやっていただいて、そこから晴れて世に出たと思えば、まだまだ若いから色々出来るかもね。あまり年は気にしないですね。音楽は年齢でやるものではないですから。

坂崎 僕も年は全然感じたことないですね。還暦の時も大学生の頃の中身と変わってないからな。ただメンバーに“世界一小さい60歳”って言われたのが気になる(笑)。

桜井 60になった時もそうだし、もうすぐ70歳って言われても全く実感がないです。でも65歳になって前期高齢者って言われて、コロナのワクチンは先に打てますよって言われて、初めて俺ってこっちに入るんだって実感しました(笑)。

坂崎 これからは精神年齢も大事だね。体が老いていくのは仕方ないけど、変わらない精神年齢をどこまで保てるかがこれからは大切になると思う。

高見沢 還暦を越えてからも、ずっとALFEEさん若いですねって言われることが多いのですが、むしろそれは誇りに思っています。若さというのは、僕らみたいに関係性が全く変わらず、同じことをあきらめずにやって来た人間に宿るのかもしれません。「Never Say Die」の歌詞である<弱気になるな!>は自分達に喝を入れるために書いた楽曲でもあります。来年70歳になって、デビュー50周年になるけど、弱気にならずにもうちょっと頑張ろうって。74年デビューなので74まで頑張ろう、74になったら「メリーアン」は83年発売だから83まで頑張ろうって(笑)。

坂崎 74歳って、もうすぐ後期高齢者になる手前ギリギリじゃん(笑)。

THE ALFEEオフィシャルサイト

『グランマの憂鬱』オフィシャルサイト

音楽&エンタメアナリスト

オリコン入社後、音楽業界誌編集、雑誌『ORICON STYLE』(オリスタ)、WEBサイト『ORICON STYLE』編集長を歴任し、音楽&エンタテインメントシーンの最前線に立つこと20余年。音楽業界、エンタメ業界の豊富な人脈を駆使して情報収集し、アーティスト、タレントの魅力や、シーンのヒット分析記事も多数執筆。現在は音楽&エンタメエディター/ライターとして多方面で執筆中。

田中久勝の最近の記事