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【ホークスちょっと昔話】「ポスト工藤」小椋が10年目で挙げたプロ初勝利

田尻耕太郎スポーツライター
現役当時の小椋投手。データの小さなものしかなくスミマセン(筆者撮影)

 ホークスにあった数々のドラマを当時の温度のままで振り返っていく。

 その名も、ホークスちょっと昔話。はじまり、はじまり~。

短期集中連載中!

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【2008年4月・スポーツナビに寄稿したコラムに加筆修正したもの】

「10年目で、一番うれしい日になりました!」

 福岡ソフトバンクホークスの左腕投手、小椋真介が4月12日の埼玉西武戦(ヤフードーム)で悲願のプロ初勝利を飾った。

小久保の勝ち越し弾で初勝利を手に

 一軍に昇格した前日の同カードに即登板し、5点ビハインドの最終回だったが1回を3者凡退できっちり抑えた。それが評価されて、この日は1点を追う六回表2死三塁という大事な場面でマウンドに上がった。対するは左打者の栗山巧。持ち味である直球で勝負をし、146キロ速球で一塁ゴロに打ち取りピンチの芽を摘んだ。

 それだけでない。流れも味方に引き寄せた。六回裏に同点に追いつく。小椋は七回も続投して零封すると、打線がさらに奮起した。直後のラッキーセブンの攻撃で小久保裕紀が勝ち越し3ランを放ったのだ。

「八回からはとにかくベンチで祈っていました」

 3番手のホールトンのバトンを託した。照れ隠しのように笑いながら振り返ったが、その時の内心はそんな余裕など全くなかったはずだ。ハラハラしながら見つめる小椋をよそに、ホールトンは危なげない投球で残りの2回をぴしゃりと抑えた。8対5で試合終了。一塁側ベンチでは勝ち星がついた小椋を中心に輪ができていた。

 感動のハイタッチ。そしてこちらも初めてとなるお立ち台も経験した。

「緊張するかなと思ったけど、めっちゃ気持ちよかったです」

 小椋はずっと笑顔だった。逆にスタンドのファンや球団オフィシャルのレポーターの方が目を潤ませていたし、筆者もまたお立ち台を見つめて胸を熱くした。

期待されるも巨人打線の餌食に

 たった1つの勝ち星が本当に遠かった。

 期待値はずっと高かった。「11」という背番号を見れば明らかだし、地元福岡市出身ということで人気も誇った。だが、それを裏切り続けた日々だった。

 入団2年目の2000年には「ポスト工藤」として注目を集めた。前年にチームは福岡移転後初優勝。その原動力となったエース工藤公康(現横浜)がFA権を行使して巨人に移籍し、その穴埋めを期待されたのが当時まだ19歳の小椋だったのだ。

 春季キャンプでは一挙手一投足に視線が注がれ、小椋は期待に応えなきゃと、ひたすら投げた。やがて左肘が痛くなった。しかし、口に出せる状況ではなかった。

 3月3日、新大分球場で行われたオープン戦初戦では“開幕投手”を務めた。対戦相手は長嶋茂雄監督が率いる巨人。ON対決だ。オープン戦なのに尋常じゃない盛り上がりだった。そのマウンドに上がった若きサウスポーは目も当てられぬメッタ打ちを食らった。3回2/3を投げて被安打11、被本塁打2、失点11。まだ19歳だった小椋とってあまりに衝撃的な試合だった。

 すぐに2軍落ちし、その年は結局一軍で投げることは一度もなかった。

 日本人左腕では希少な150キロ超のスピードボールを投げることができる。しかし、コントロールが定まらず首脳陣の信頼を得られなかった。

 2001年は1試合、2002年は7試合の登板のみ。そして2003年、今度は大けがに見舞われる。左肘のじん帯を断裂。手術を行い、翌年はリハビリのために二軍のマウンドにすら立つことができなかった。しかも復帰当初は自慢の速球も影を潜めてしまい、オフが来るたびに不安な思いを募らせた。

 ようやく復活の兆しを見せたのが2007年。5年ぶりに一軍マウンドを踏んだ。そして、秋のキャンプ中に行われた練習試合で、直球が150キロを計測したのだ。

勝利後、親からのメール

 そして、ついに10年目で初めて手にしたウイニングボール。大切なその1球は両親にプレゼントするという。

「一番心配をかけたのは親。どんなときも『ガンバレ』とだけ言い続けてくれました」

 初勝利の日。試合終了後すぐにメールが届いた。短い祝福の言葉とともに「やっとソフトバンクの一員になれたね」と添えられていた。「やっぱり親が一番よく分かっていますよ」と、やっぱり照れ笑いを浮かべた。

 1つの勝利は首脳陣からの大きな信頼を得るきっかけになった。15日のオリックス戦(京セラドーム)まで4連投。その試合ではプロ初セーブもマークした。

 小椋はプロ10年目でことし28歳。つまり松坂大輔ら「黄金世代」の一員だ。ホークスにも杉内俊哉、和田毅、新垣渚という顔ぶれがそろう。

「取り残され過ぎた。今から頑張って追いつきたい」

 プロ野球選手にとって一番脂が乗る年齢だ。「一番うれしい日」はまだこれから何度も塗り替えられるに違いない。

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小椋真介(おぐら・しんすけ)

1980年生まれ、福岡県出身。福工大附属高校(現福工大城東高校)から1998年ドラフト3位でダイエーに入団。一軍初登板は2001年10月3日のオリックス戦。初勝利を挙げた2008年は自己最多29試合に登板して3勝。2010年は年間20先発(登板24試合)して4勝(8敗)をマークした。2012年に引退。現在は長崎国際大学でコーチを務める。

スポーツライター

1978年8月18日生まれ、熊本市出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。卒業後、2年半のホークス球団誌編集者を経てフリーに。「Number web」でのコラム連載のほかデイリースポーツ新聞社特約記者も務める。2024年、46歳でホークス取材歴23年に。 また、毎年1月には数多くのプロ野球選手をはじめソフトボールの上野由岐子投手が参加する「鴻江スポーツアカデミー」合宿の運営サポートをライフワークとしている。

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