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【ホークスちょっと昔話】グラウンドに前歯が3本落ちても、山崎勝己は戦いの場に

田尻耕太郎スポーツライター
ソフトバンク時代の山崎捕手(筆者撮影)

 ホークスにあった数々のドラマを当時の温度のままで振り返っていく。

 その名も、ホークスちょっと昔話。はじまり、はじまり~。

短期集中連載中!

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【2006年5月・スポーツナビに寄稿したコラムに加筆修正したもの】

 山崎勝己が少し恥ずかしそうに口元を隠した。

「カッコ悪いでしょ」と苦笑いを浮かべる。前歯が3本欠けていた。

 150キロ+アルファの衝撃――。5月9日、交流戦開幕戦。捕手の山崎を悲劇が襲った。五回表2死走者なし、打席には広島の若き大砲・栗原健太が立っていた。マウンドにはソフトバンクのスピードスター・新垣渚だ。

 1ストライクからの2球目、150キロの直球だった。ファウルチップ。ボールはフルスイングしたバットの上っ面をかすめ、山崎のミットの少し上をすり抜けた。

 その白球は凶器と化した。

 もの凄い勢いのままマスクの下部を直撃した。被り方が浅かったのか、山崎の顔面をキャッチャーマスクがググっと押し込んだ。

 強烈な衝撃とともに倒れ込んだ山崎。次の瞬間、口からはおびただしい出血が確認された。慌ててトレーナーらが駆け付け、ベンチ裏で治療が行われる。ダグアウトに下がった彼の後を追うように、主審が何やらグラウンドから拾い上げてチームスタッフに手渡していた。折れた3本の前歯だった。

 この激痛を表現する言葉は見当たらない。歯の神経は剥き出しだったらしい。それなのに、たった5分程度の治療だけで山崎はグラウンドに戻ってきた。治療といってもガーゼを当てたくらいである。痛みが和らぐことはない。

 後日談によれば、この日の七回くらいまでのプレーは、あまり覚えていないという。歯をくいしばるたびに下唇が歯の神経に触れた。意識が飛びそうなくらいの痛みが体中に走った。アクシデント直後の五回裏の攻撃でチャンスで打席が回り、先制の犠飛を放ったが「正直、打たなきゃという気持ちの前に『痛い』というのがありました」。

 しかし、試合途中で退くという考えは毛頭なかった。

もう雁の巣には戻りたくない、の一心で

 いわゆる苦労人である。

 長い下積みを経て、昨夏にようやく一軍デビューを果たした。プロ6年目の今季はオープン戦で猛アピールし、初めての開幕一軍キップを手にすると、正捕手候補だった的場直樹の不調もあり大逆転でレギュラーの座を確保しようとしている。今、プロ野球人生最大のチャンスの中にいるのだ。

「ここでベンチに下がったら、また雁の巣に行かなくちゃいけない。もうあそこには戻りたくない。痛くて、本当に痛くて、はっきりとそう思いながらプレーしたわけではないけど、頭のどこかにはありました」

 この試合、痛みをこらえながら、必死に最後までマスクを被った。新垣の今季6勝目となる無四球完封を見事に導くと共に、先制犠飛はそのまま決勝打になった。

 試合終了直後、球団広報から「ヒーロー(インタビュー)どうする?」と打診を受けたが、「@☆※*!%(すみません、上手く喋れません)」と断りすぐに病院に直行した。

アクシデント翌日もスタメン

 翌朝も病院に行き、応急処置として2本だけ義歯を入れた。「飲み食いが一番大変です」。食べ物を噛み切れないため、小さく切ってから奥歯へ運ぶ。ドリンクは、話をしながら飲むとこぼれてしまう。本格的な治療は来週の東京遠征から福岡に戻ってからだ。あと1週間以上は不便な生活が続く。

「大好きな焼肉が食べられないのが辛い」

 と、苦笑いを浮かべた。

「だけどプレーには支障がありませんから」。

 翌日もスタメンマスクを被り、日課の早出特打も1日休んだだけで再開した。

 するとまたもアクシデント。この広島とのカード中に、今度は新井貴浩のファウルチップがマスクを直撃したのだった。

「めちゃビビった。僕、本当はビビリなんですよ」

 そんなことはない。君は偉大なるガッツマンだ。

「全国ニュースでも放送されたんでしょ? 日曜朝のあの番組でもやってくれますよね?」

 確約できる立場じゃないが、アッパレをたくさんもらえるに決まっているサ。

 さあ、ソフトバンクは阪神との3連戦を迎える。山崎はこの対戦を心待ちにしていた。

「僕、地元が兵庫県の伊丹市だから子どもの頃は当然阪神ファンだったんですよ。バスに30分も乗れば甲子園。ライトスタンドでよく応援していました」

 憧れの猛虎軍団を封じ込め、あの日上がれなかったお立ち台でヒーローインタビューを受けたなら、満面の笑みを浮かべよう。

 たとえ前歯がなくたって、めちゃくちゃカッコいいぞ。

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山崎勝己(やまざき・かつき)

1982年生まれ、兵庫県出身。報徳学園高校から2000年ドラフト4位でダイエーに入団。入団から4年間は2軍で下積み。城島健司がメジャー移籍したことでチャンスをつかみ、的場直樹との争いの中で6年目の2006年に105試合、7年目に100試合に出場した。2013年オフに国内FA権を行使してオリックスバファローズへ移籍。チームでは貴重なベテラン捕手として存在感を示している。今季がプロ20年目。

スポーツライター

1978年8月18日生まれ、熊本市出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。卒業後、2年半のホークス球団誌編集者を経てフリーに。現在は「Number web」「文春野球」「NewsPicks」にて連載。ホークス球団公式サイトへの寄稿や、デイリースポーツ新聞社特約記者も務める。また、毎年1月には千賀(ソフトバンク)ら数多くのプロ野球選手をはじめソフトボールの上野由岐子投手が参加する「鴻江スポーツアカデミー」合宿の運営サポートをライフワークとしている。2020年は上野投手、菅野投手(巨人)、千賀投手が顔を揃えた。

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