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伝説の家系ラーメン店が衝撃の復活! 21年振りに進化した『六角家』のラーメンとは?

山路力也フードジャーナリスト
「家系御三家」の一角を担った名店が復活を果たす。

惜しまれつつ廃業した『六角家 本店』

「家系御三家」の一角を担った、今はなき『六角家 本店』(2015年撮影)。
「家系御三家」の一角を担った、今はなき『六角家 本店』(2015年撮影)。

 今や全国的に人気を集めている「家系(いえけい)ラーメン」。豚骨醤油のスープに鶏油を浮かべ、長さが短めの太麺を合わせ、具はチャーシュー、ホウレンソウ、海苔3枚というのが基本的な家系ラーメンのスタイル。麺の茹で加減やタレの濃さ、油の量などが自分好みに調整が出来るシステムの先駆的存在でもある。

 老若男女幅広い客層の支持を集めている人気の家系ラーメンだが、その発祥は今からちょうど50年前、1974年に新杉田で創業した『吉村家』(神奈川県横浜市西区岡野1-6-31)。オリジナルの豚骨醤油味は、『吉村家』創業者の吉村実さんが「九州の豚骨」と「東京の醤油」を合わせるという発想から生まれたものだった。

「家系御三家」の二軒、家系総本山『吉村家』と2023年に廃業した『本牧家 本店』。
「家系御三家」の二軒、家系総本山『吉村家』と2023年に廃業した『本牧家 本店』。

 家系の元祖である『吉村家』と、当初は『吉村家』の支店として開業して後に分立した『本牧家』、さらに『本牧家』から独立した『六角家』の3軒は「家系御三家」と呼ばれ、90年代の第一次家系ブームを牽引した。その中でも『六角家』は全国的にも知名度が高い店だった。

 『六角家』を創業した神藤隆さんは、洋食の世界から『吉村家』の門を叩いてラーメンの世界へ入った。『本牧家』の店長を任されたのち、1988年に独立して六角橋で『六角家』を創業。1994年に開業した『新横浜ラーメン博物館』に地元横浜代表として出店し、横浜家系ラーメンの認知度を全国区にした。

 2003年に『新横浜ラーメン博物館』を卒業後は、全国に店舗を10店舗ほど展開したが、体調を崩して2017年に本店を閉め、2020年には破産手続をとった。そして2022年に神藤さんはこの世を去り、『六角家』の屋号と味は神藤さんの弟が営む『六角家 戸塚店』のみとなっている。

新横浜ラーメン博物館「六角家復活プロジェクト」

21年振りに新横浜ラーメン博物館へ復活出店を果たした『横浜ラーメン 六角家1994+』。
21年振りに新横浜ラーメン博物館へ復活出店を果たした『横浜ラーメン 六角家1994+』。

 2024年に開業30周年を迎えた『新横浜ラーメン博物館』では、30周年記念イベントとして、過去に出店した名店が次々と期間限定で出店する企画「あの銘店をもう一度」が行われているが、そのラストを飾る店として発表されたのが、1994年の開業当初から出店していた『六角家』だった。

 誰もが驚いた「六角家復活プロジェクト」は2021年に始まった。新横浜ラーメン博物館は神藤さんに『六角家』の復活出店を打診。体調を崩していた神藤さんは「自分は出来ないが弟子がやる形であれば」と快諾。協議を重ねた上で白羽の矢が立ったのが、静岡浜松の人気店『蔵前家』(静岡県浜松市浜名区細江町中川7172-2522)店主の袴田裕司さんだった。

ラーメンファンが驚いた『六角家』の劇的な復活。
ラーメンファンが驚いた『六角家』の劇的な復活。

 神藤さんは残念ながら2022年にこの世を去ったが、神藤さんの弟である『六角家 戸塚店』の神藤誠さんと、神藤さんの姪である露木あゆみさんの協力と賛同を得て、2024年4月8日ついに『六角家』の看板が再び新横浜ラーメン博物館に掲げられた。しかも期間限定ではなく常設店『六角家1994+』としての完全復活。本店の閉店から7年、新横浜ラーメン博物館卒業から21年の月日が経っていた。

今はなき『六角家 本店』の味と想いを受け継ぐ

『六角家 本店』の味と想いを受け継ぎ厨房に立つ袴田裕司さん。
『六角家 本店』の味と想いを受け継ぎ厨房に立つ袴田裕司さん。

 生前の神藤さんから指名を受けて、『六角家』の味と想いを受け継いだ袴田裕司さんは、実家の浜松餃子店で出していたラーメンの改良のヒントを得るために、新横浜ラーメン博物館を訪問。その時に出会った『六角家』の味に魅せられて弟子入り。本店での修業ののちにラーメン博物館の店舗でも働いた。

 5年の修業を経て2001年に独立。東京・蔵前で『蔵前家』を創業し、2009年に地元である浜松へと移転した。静岡で本場の家系ラーメンを提供した先駆として、今もなお多くの人に愛されているが、今回の『六角家』復活出店のために休業し、自ら新横浜ラーメン博物館の厨房に立つことを決めた。

伝統を継承しさらに進化した『六角家1994+』

伝統を継承し進化した『横浜ラーメン 六角家1994+』の「ラーメン」。
伝統を継承し進化した『横浜ラーメン 六角家1994+』の「ラーメン」。

 今回復活を果たした『六角家』の看板には「1994+」の文字が併記されている。これは、新横浜ラーメン博物館に出店した1994年当時の味を、30年間の技術と経験によってさらに進化させたという意味合いを持つ。

 使用する食材は神藤さんの時代と大きな違いはないが、寸胴ではなく大きな回転釜でスープを炊く製法が異なっている。厨房に鎮座する直径1.3m以上の大釜で炊くことで、対流が良くなって焦げつきがなくなることや、開口が大きいために豚臭さもなくなる利点がある。

 「神藤さんが一番大事にされていたのは、骨のバランスと炊き方とタイミング。この部分が変わると味は大きく変わります。理想に近づいた時はスープに甘みが出ます」(横浜ラーメン 六角家1994+ 店主 袴田裕司さん)。

『六角家』で生まれた「キャベチャー」ももちろん健在。
『六角家』で生まれた「キャベチャー」ももちろん健在。

 袴田さんが考える「六角家らしさ」とは何か。それは旨味がしっかりとありながら、豚骨と醤油ダレのバランスが取れていること。近年、醤油ダレが強いパンチのある家系ラーメンが主流となりつつあるが、袴田さんが目指す理想の家系ラーメンは、バランス重視のネオクラシカルな家系だ。

 「この20年で家系ラーメンは醤油感の強いタイプが主流となりました。この流れを決して否定しているわけではなく、私が初めて食べて衝撃を受けた"クラシックタイプ"の家系ラーメンが好きですし、神藤さんもその味を追求されていましたので、私もその方向を極めようと日々試行錯誤しております」(袴田さん)

 家系ラーメンが誕生して50年の節目となる2024年。家系ラーメンブームを起こし、その名を全国に知らしめた伝説の店『六角家』が完全復活を果たした。家系オールドファンはもちろん、今の家系ラーメンしか知らない世代の人たちにも是非食べて欲しい。

復活初日から長蛇の列が出来た『横浜ラーメン 六角家1994+』。
復活初日から長蛇の列が出来た『横浜ラーメン 六角家1994+』。

※写真は筆者によるものです。

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フードジャーナリスト

フードジャーナリスト/ラーメン評論家/かき氷評論家 著書『トーキョーノスタルジックラーメン』『ラーメンマップ千葉』他/連載『シティ情報Fukuoka』/テレビ『郷愁の街角ラーメン』(BS-TBS)『マツコ&有吉 かりそめ天国』(テレビ朝日)『ABEMA Prime』(ABEMA TV)他/オンラインサロン『山路力也の飲食店戦略ゼミ』(DMM.com)/音声メディア『美味しいラジオ』(Voicy)/ウェブ『トーキョーラーメン会議』『千葉拉麺通信』『福岡ラーメン通信』他/飲食店プロデュース・コンサルティング/「作り手の顔が見える料理」を愛し「その料理が美味しい理由」を考えながら様々な媒体で活動中。

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