第一次世界大戦後の列強による支配構造の完成(4)
さて、英露の緩衝国として国境線の確定したアフガニスタンであったが、その内実は心もとなかった。というのは、アフガニスタンは多くの山国と同じく、山国ゆえに外部からの侵略には強かった。だが、内部の統一は難しいからである。極端な言い方をすれば、盆地ごとに様々な民族、部族、宗派が居住してまとまりが悪かった。面積が65万平方キロメートルで日本の約1.7七倍、人口が3千万で日本の4分の1弱のこの国の最大の民族はパシュトゥーン人である。パシュトゥーン人は、いわゆるアフガン人のことで、これがアフガニスタンという国名の由来となっている。「スタン」というのは、「~人の土地」というほどの意味を持つペルシア語である。この地域にはパキスタン、ウズベキスタンなどのスタンという名の国が多い。しかし最大民族といってもパシュトゥーン人も人口の4割程度を占めるにすぎず、ウズベク人、タジク人、ハザラ(ハザーラ)人などのマイノリティーが生活している。
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