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一二三vs島袋 “あの夏”以来 5年ぶりの対決は持ち越し《6/25 阪神ファーム・後編》

岡本育子フリーアナウンサー、フリーライター
このフォームと150キロ近い球で、小虎ファンも釘付けにしたソフトバンク島袋投手。

24日と25日の2日間、阪神ファームはソフトバンク3軍と練習試合を行いました。25日にはドラフト4位ルーキー・島袋洋奨投手(興南-中央大)が登板する予定だと聞き、一二三慎太選手との対決を心待ちにしていたのです。私だけじゃなくスタンドのお客様も、そして誰より一二三選手自身が一番楽しみだったでしょうね。

2010年8月21日、第92回全国高校野球選手権大会の決勝で、東海大相模と興南のエースとして甲子園のマウンドに立っていた2人です。結果は13対1という大差で、興南が春夏連覇を達成しました。その年のドラフトで東海大相模の“一二三投手”は2位指名された阪神タイガースに入団、島袋投手は中央大学へ進学しています。

一二三投手は1年目、右肩痛の影響で登板機会なく秋に野手転向を決意。翌2012年の春季キャンプでは、初めて取り組む野手としての練習に「変化球は怖いっすよ~。こんな大きいボールが迫ってくる!」と身振り手振りで話していたのを思い出します。実は、その年の3月に中央大学との交流試合があったんですが、一二三選手はまだ遠征に参加していませんでした。

3年前も抑え込まれていた島袋投手

試合があったのは2012年3月15日、八王子市の中央大学多摩キャンパスにあるグラウンドです。先発は背番号18の島袋投手で7回無失点。つまり写真のように阪神打線が抑え込まれたわけで、ヒットは橋本良平選手が2本、藤井宏政選手が1本の散発3安打でした。当時の記事から、試合後に取材した島袋投手に関する部分を引用しておきます。

島袋洋奨投手はもうすぐ2年生。興南高時代に比べると、ちょっぴり大人になったかな。鄭投手を上回る最速144キロの真っすぐやカーブ、ツーシームなど7回で92球を投げ、3安打5三振、ゴロアウトが10という内容。「全体的に調子はよかったです。風は強いと感じていましたが、狙ってゴロではありません」と言います。

2012年3月15日の交流試合。島袋投手が投げた7回までのスコアです。
2012年3月15日の交流試合。島袋投手が投げた7回までのスコアです。

そして「先頭バッターに片手でレフトまで運ばれて、さすがプロだなあと思いました」という感想。その先頭打者とは同い年の穴田選手で結果は左飛。「他の打者もスイングスピードが速いと感じた」と言いつつ「コースにきっちり投げていれば大丈夫かなと」という島袋投手。はい、その通りピシッと抑えられました…。

なお今回の試合ではプロ野球の統一球を使用しています。中央大学の秋田監督によれば「いい感触だったと言っていましたね。島袋はすべて本人に任せています。球数もフォームも。キャンプ中には2000球くらい投げたはずですよ。きょうも完投するのかなと思ったら7回を終わったところで“もういいです”と本人が言ったので交代した」とのこと。7回でも“初速と終速が変わらないからバッターは速く感じる”という持ち味はそのままですもんねえ。

この遠征には参加しなかった一二三選手のことを聞いてみると「よくしゃべっていたけど、プロに入ってからは全然」だそうです。野手に転向した彼に島袋投手から何か言葉を。「頑張ってほしいですね!」。もしかしたら夏か、来年に対戦があるかもしれませんよ。打ち取ってやるぞ?って感じですか。「いえ(笑)。もし戦う時には向こうもレベルアップしているだろうし、こっちも頑張りたいです」と、さわやかなエールでした。

14日の明治大学、15日の中央大学とも新2年生の選手が何人か出場していて、同い年の中谷選手は「1球1球に対する気持ちの強さを感じました。また対戦する機会があれば、次は打ちたい」と言っています。明大戦では山崎福也投手(日大三)に見逃し三振を喫し、今岡一平投手(横浜隼人)には初球を打って遊ゴロ。また中央大の2投手に対してもノーヒットで「島袋…よかったです」と悔しさをにじませていました。

あれから3年と3か月、大学を卒業してソフトバンクに入団した島袋投手と再び対戦した阪神ファームですが、両方とも打席に立っているのは中谷選手だけですね。なのに話を聞くのを忘れてしまって…すみません。25日の試合詳細や成績、選手コメント(秋山投手、横山投手、石崎投手、陽川選手、ペレス選手、緒方選手)などは、こちらからご覧いただけます。<ソフトバンク3軍との練習試合 陽川選手が“今季1号”《6/25 阪神ファーム・前編》>

「はよ投げろ~!」と祈った一二三

では、もう一度25日の試合終盤を振り返りましょう。5対4と1点差に追い上げた7回裏の攻撃中、ソフトバンクのピッチャーは伊藤大投手です。2死二、三塁というところで、もし8番の清水選手が出塁したら一二三選手に回ってきてしまいます。まさか途中で島袋投手を出したりはしないよねえ。なんて言いながら見ていると清水選手は遊ゴロでチェンジ。じゃあ8回は先頭が一二三選手だし、ここで登板して5年前の夏を再現?とワクワクしたのに、交代のアナウンスはありませんでした。

一二三選手のサングラスに写る2人の戦いの場?甲子園の青い芝と客席が見えます。
一二三選手のサングラスに写る2人の戦いの場?甲子園の青い芝と客席が見えます。

何度も言いますが、続投の伊藤大投手に何の恨みもないんですよ。でも試合後に一二三選手と話をしていて、私が「あの時は、えーっ!と思った」と言うと、即座に「僕も、えーっ!って思いましたよ」と一二三選手。我々と同じように、島袋投手がブルペンで投球練習しているのをチェックしていたそうです。「レフトから見ていたら途中で投げるのを止めたので、ちょっと待てやーって(笑)」。試合後も「はよ投げろや!ほんまにもう!」と怒る一二三選手です。いやいや、本人が決めたわけじゃないし。

もし3人が出塁していたら回ってきたかも。なんて未練がましいですね。結局、9回に登板してビシッと三者凡退。「めっちゃやりたかった!」という一二三選手に聞いてみたら「フォーム変わってます。高校の時は、もっとねじってた」との感想。高3夏の甲子園が終わったあとも付き合いはある2人。ことし雁の巣で久々に再会したみたいですが、連絡は取っているらしく「ストライク入らへんって言うてたのに、入ってるやん。投げてるやん。しかも球速も出てるし」と笑っていました。

「高校JAPANも一緒やったんで。たまにLINEもしますよ。今回の試合のことも」と一二三選手。当時の島袋投手を思い出したのか「JAPANの時の球、えげつなかったですよ。唸ってた!一緒に投げるの嫌やった。高校時代のスプリットもエグかったし」と言います。でも夏の甲子園決勝では、島袋投手から「打ちました。レフト前。3の1ですね」とニヤリ。そういう一二三投手も1本、ライト前に打たれたんですよね。「あの試合、興南に全員安打された」…嫌なことを思い出させましたかね。いまだに悔しそうです。

すべて直球でプロ最速の149キロ!

一二三選手の話と一緒に、島袋投手の投球フォームをご覧ください。
一二三選手の話と一緒に、島袋投手の投球フォームをご覧ください。
流れは決してスムーズに見えないんですが、球速はかなり出ています。
流れは決してスムーズに見えないんですが、球速はかなり出ています。
50枚くらい撮って、唯一ボールの握りが見えた瞬間。他は腕も隠れていました。
50枚くらい撮って、唯一ボールの握りが見えた瞬間。他は腕も隠れていました。
ボールを離した直後は、このように地面を見ている状態になります。
ボールを離した直後は、このように地面を見ている状態になります。
最後は上半身を起こして、こんな感じ。体への負担も大きいでしょうねえ。
最後は上半身を起こして、こんな感じ。体への負担も大きいでしょうねえ。

一方の島袋投手は大学卒といってもルーキーですから、引き揚げてくるのが一番最後。しかもバスを待たせるわけにはいかず、とても焦っていたと思われます。すみません。でもせっかくのチャンス!と果敢に突撃してきました。ちなみに登板した9回の投球内容は、小豆畑選手は初球146キロで右飛、中谷選手はカウント2-1から144キロを二直、初球に149キロをマークした横田選手は2-2から145キロで遊ゴロ。合計10球です。

149キロという球速は、プロで出ていますか?「プロに入ってからMAXですね」。お、笑顔。投げたのは真っすぐだけ?「はい。最終回、1点差ということで、思いきり腕を振ったろう!と思って。事前にキャッチャーと、オール真っすぐでいくと話をしたんです」

振ったろう…関西弁っぽいですね(笑)。そのオール真っすぐと、一二三選手いわく「高校時代はもっとねじっていた」というトルネードで、鳴尾浜の小虎ファンにも強烈な印象を残した島袋投手。三者凡退の結果には「大きなことだと思います」とうなずきます。でも見たかった!対決を。一二三選手が「はよ投げろや~」って文句言っていましたよと告げると「すみませんって言っといてください!」と苦笑いしながらバスに乗り込みました。

島袋投手はまだウエスタンのゲームで登板がありません。練習試合や3軍の試合など非公式戦では10試合ほど投げていますが、防御率11点台。今回の三者凡退が大きいというのは、これがきっかけになると手応えを感じたのだと思います。次に会うのは2軍の公式戦ですね、きっと。

“最後の夏”から5年の時を経て、野手と投手に立場が変わった一二三選手と島袋投手。対決が持ち越されたのは、まだ早い、場所が違う、という神様の意図なのかもしれません。その舞台がいつ、どこになるのか。当人同士も楽しみにしていることでしょう。神様、どうか甲子園にしてください!

フリーアナウンサー、フリーライター

兵庫県加古川市出身。MBSラジオのプロ野球ナイター中継や『太田幸司のスポーツナウ』など、スポーツ番組にレギュラー出演したことが縁で阪神タイガースと関わって約40年。GAORAのウエスタンリーグ中継では実況にも挑戦。それからタイガースのファームを取材するようになり、はや30年が経ちました。2005年からスポニチのウェブサイトで連載していた『岡本育子の小虎日記』を新装開店。「ファームの母」と言われて数十年、母ではもう厚かましい年齢になってしまいましたが…1軍で活躍する選手の“小虎時代”や、これから1軍を目指す若虎、さらには退団後の元小虎たちの近況などもお伝えします。まだまだ母のつもりで!

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