【アニメ美術監督・河野次郎氏】あなたに最高の嘘を!アニメキャラクターの住処をつくるお仕事とは?
とつぜんですが、あなたは今まで夢中になったアニメはありますか?
いまや文化のひとつとして、幼少から人々の人生とともにあるアニメ。 そこに登場するキャラクターが暮らす街や家、泣いたり笑ったりしながら成長する世界は、どのように作られているか、ご存知でしょうか。
この記事では、日本アニメ界のなかでも創設期ともいえる時代から、今なお第一線で活躍し続けている、美術監督の河野次郎(こうの・じろう)さんにインタビュー。
一般人では耳にすることのできない、貴重なお話の数々をお伺いしました。
【河野次郎】1949年、広島県生まれ。アニメーション美術監督。日本のカラーアニメ創世期より、多くのアニメ作品の背景美術を手掛ける。
スタジオユニに所属後、自身の美術制作会社「イメージルーム ジロー」を設立。現在も第一線で活躍する一方、バンダイナムコ主催の美術塾にて主任講師を務め、若手の育成を担っている。
【ホンモノの建物をつくるように】
── 次郎さんは50年以上、アニメのお仕事をされていらっしゃいますが、いちばん最初に携わった作品は何でしょうか?
河野: 入社してすぐにムーミン(通称:旧ムーミン/昭和ムーミン)をやりました。1970年ですから、かれこれ54年目でしょうか。
── 半世紀以上。もうアニメの歴史そのものでいらっしゃいますね。そういえば私の実家にも、小さい頃に妹が遊んでいた、ムーミンハウスのおもちゃがあります。
河野: ああ、ムーミン屋敷ね。そういえば、あれもデザインしたね。なつかしい。
── ムーミンハウスは、次郎さんがデザインされたのですか?てっきりフィンランドの原作に、描かれているものだと思っていました
河野: 原作には、じつはムーミンハウスの挿絵はありません。ただ小説の中に文章での記述はありましたから、そこからイメージを膨らませて、アニメ用に描かせていただきました。
──逆輸入だったとは知りませんでした。具体的に、デザインはどのようにして完成していったのでしょうか?
河野: たとえば、フィンランドの気候を思い浮かべると、雪がたくさん降り積もりますよね?だから埋もれないように土台を高くして、たて長の形にしました。 あとは北欧の風景をもとに、板張りの壁や屋根のカタチなんかも考えて。あと屋根ウラ部屋なんかもあれば、ムーミン達が遊べるかな・・なんていう風にね。
── なんだか、本当のたてもの設計の話をしているみたいです
河野: ムーミンに限らず、どの作品もそうですよ。どのくらいの高さの、どんな工法で建てられているのか、とかもね。
── そこまで考えるのは、リアリティの追求のためでしょうか?
河野: それもありますけど、アニメ演出のために必要な空間を、最初にきちんと作り上げておくことが、ぼくたちには求められます。 たとえば、部屋で思いきり走り回るシーンが、あるとするじゃないですか。ちゃんとした広さにしておかないと、表現できないでしょう?
── たしかに。はじめに何も考えずに設定をしたら、走るスペースが無いなど、見た目のサイズ感もおかしなことになりかねませんね
河野: あとは家だけじゃなくて、周りの町やフィールドも同じですね。そして、それぞれの登場キャラクターたちは、どんな所で何を思って、どんな1日を過ごしているのか・・とか。そういうのも、すべて考えたうえで描いていきます。
【美術監督はセカイの創造主?】
── そこまで作り込まれているからこそ、作品にリアリティを感じて没入できるわけですね。なんだか世界の創造主みたいですね
河野: なるほど。そんな風にも言えるかも知れないですね。ぼくたちは仕事の依頼がくると、アニメ監督から作品の内容を伝えられます。そうしたら、その世界観やイメージを、まず線画で描き起こします。
そして、それらをカラーで表現した“美術ボード”というものを・・1本の作品で250枚くらいかな、ぼくたちが描いて行くわけですね。
── ちなみにそうした世界の姿は、どのようなきっかけで浮かんでくるのでしょうか?
河野: これはね、作品内容を伝えられたときや、台本を読んだときなんかにね。頭の中にビジョンが、どんどん浮かんできます。でも、アニメにはキャラクターの髪や、衣服の配色があるでしょう?背景によってはそれが目立たなくなってしまう。
だから、とくに場面ごとに注目してほしいキャラクターには、さりげなくスポットライトを当てるように、周りの色合いを考えなければいけません。そういうのも含めて、思い浮かべるんですよ。
── 劇団でいう裏方のお仕事も、かねているのですね。ひとたび思い浮かべば、あとは完成まで一直線でしょうか?
河野: それがねえ、やっぱり悩むときもありますよ。イメージはあるんだけど、その通りに描けないときもあります。どうも色が違う、形が違うなあとか、それがいちばん大変なところですね。
── そうなると、手が止まってしまうこともありますか?
河野: 止まりますねえ、時間もかかってしまうし。あと、もう一つ大変なのが、ぼくとアニメ監督のイメージが、ちがう場合があるんですよ。「これじゃない」って言われて返されるときもあります。そうなるとまた、1からやり直しになってしまいます。
── 行き詰まったとき、流れを変えるコツなどはあるのでしょうか?
河野: そういうときは、気分転換をかねて楽器(ドラムやギター)をやったり、音楽をかけたり・・ あとは作品に関連するいろいろな写真を眺めて、そうして沸いて出て来るものを待つといいますか。いろいろ試しながら、何とかやっています。
── 一見して関係ないような趣味も、大切な要素なのですね
河野: そうそう。この仕事でやって行くには、いろいろな遊びや趣味があった方が、絶対いいと思います。 そうでないと、表現の幅も広がらない気がしますね。
【セカイが描かれる瞬間】
インタビューの途中には制作の一場面も、見せて頂くことができました。 次郎さんがもっとも得意とするのは、筆と絵の具を使用してのアナログ絵です。
はじめはこのような下書きから始まります。湖に浮かぶ小島のような場所に、樹が立っている景色です。それが、すすっと次郎さんの筆がすすむたびに、美しく色づいて行きます。
ちなみに絵の具は受け皿を使わず、 ちょくせつ作業テーブル上で混ぜ合わせるのが、次郎さん流。 作業で使う色の種類は、素人では思いもよらないほど膨大です。 そのためパレットや皿を使っていては、すぐ足りなくなってしまうそうです。
まっ白だった紙に、みるみる心洗われるような素敵な世界が。 この1枚だけでも、部屋に飾っておきたくなるようなイラストです。
こうして描かれる絵の中で、色々なキャラクターが動き、物語がつくられる。 それを何万、あるいは何億もの人が、目の当たりにしていくことになります。それを思うと何とも不思議で、また感慨深い気持ちになりました。
【最高の嘘と、ついてはいけない嘘】
── ところで、アニメでは実在する場所や、そのイメージに近い舞台の作品もあります。 そのようなときは現地に、ロケハンへ行かれるのでしょうか?
河野: 昔はよくやっていたんですよ。雪の女王(NHKアニメ/2005年放送)のときには、デンマークに行きました。
── 昔は・・というと。今はあまり?
河野: 海外となると、今はなかなか行けません。最近は、コロナの事もありましたし。でも国内は、けっこう行きますね。例えば異世界居酒屋のぶを手がけた時は、プロデューサーの弟がやってる店に行ってね。
やっぱり居酒屋がメインの物語だから、ちゃんと描かないと。アニメの中に一軒、飲み屋を作っちゃった感じですけど(笑)
── この作品は料理がリアルで、見ているだけでよだれが出そうになってしまいます。あの料理も、美術の方が描いているのでしょうか?
河野: 料理はキャラクターのデザインを担当する人が、描いていますね。あれは本当に素晴らしい仕事をしています。 でも、その元絵に質感を出すテクスチャは、ぼくたち美術担当がやりましたね。 ちなみに、おでんから立つ湯気や、お刺身の光(テカり)なんかは、撮影担当の人が入れています。
── ひとつの描写にも、本当にいろいろな方が関わって出来ているのですね。ちなみに、この作品は異世界モノで、中世ドイツっぽい街も描かれていますね
河野: そうそう、異世界でね。ピンクっぽい月と青い月が、ふたつ浮かんでいる設定で。 あれは描くときに、すごく苦労しました。ほら、青と赤が混じったら、ムラサキ色になるじゃないですか。
それなら、月明かりは何色になるの?って。ムラサキの月明かりじゃ絵にならないから、どうしようかなって。
── 言われてみれば。原作のマンガでは、月明かりまでは設定されていないのですね
河野: そうそう、原作ではそこまでは考えない。なんとか試行錯誤した末に、夜のシーンはややムラサキ寄りの、青い月明かりにしましたけどね。
── 1視聴者にとっては、思いもよりませんでした。やはりファンタジーであっても、矛盾した表現はできないというポリシーでしょうか?
河野: ええ、やっぱりそういうところで、ウソはつけないですから。でも、もちろんアニメ自体は、もともと架空の話ですよね。そういう“物語をつくる”という面においては、本当にそういう世界がありそうな、リアリティを感じてもらいたいなと。言ってみれば“最高の嘘”を、描いて行きたいですね。
【ファイルの中の宝物】
河野: とにかくアニメって、ひとつの作品の裏に人がいっぱいいるんです。作画から始まって、美術担当、キャラクターの色を指定する人、それを塗る人。全体を調整する制作進行。それから撮影の人だって何人もいるし、音楽をつくる人も、声優さんも・・。
みんな、それぞれに工夫して模索して、いろいろな事を乗り越えて。そのどれが欠けても、成り立たないんですよ。
── 大勢の努力や想いが合わさって、はじめて作品は完成するのですね。ちなみに、ご自身が関わった作品を視聴するときは、やはり特別な感情が湧きますか?
河野: いやあ、最近のはともかく、あんまり昔の作品となると正直、見たくないこともあるかな。未熟で恥ずかしい部分があって、それが気になってしまってね。でも、時々なにかのきっかけで見返すと「あの時はがんばって描き上げたな」と、感慨深い気持ちもありますね。おお、ここは何とか上手くやったじゃないかと、自画自賛したりね(笑)
── あらためて。この仕事場も本当に、たくさんの美術ボード・ファイルがあります
河野: これらはぜんぶ手書きなんですよ。最近はほとんどデジタルで描くようになって、データしか残らないから増えなくなっちゃった。 ただ設定の最初の原画なんかは、今でもアナログで描きますね。絵として仕上げたものは、これ以上は増えていかない。 ちょっと寂しいけどね。
── このファイルの中に数えきれないキャラクターが、泣いたり笑ったり懸命に生きた物語の“素”が、収められているわけですね
河野: うん、これらは特別だからね。ぜったい処分することはないですね。
── きっと、次郎さんにとって言葉では表現しきれないほどの、宝物ですね。今日は貴重なお話を惜しみなく、ありがとうございました。
【編集後記】
「みんな与えられた条件下で、最高を目指して作っている」「アニメ制作は大勢の人間が、支えている」。次郎さんの語られた言葉は、アニメ業界の未来を左右する、核心が秘められているようにも感じました。
デジタルやAIなど、どれほど制作ツールが進化したとしても、誰がどのような想いを込めて作るのか、それが大勢の心を惹きつけられるか否かの、鍵をにぎります。
魂を込めて制作に臨む人材が集まるかどうかで、アニメ業界の将来は大きく変わり、だからこそ次郎さんも後進の育成を、手がけられているのだと感じました。
私も1視聴者として、先々のアニメ作品を楽しみにするとともに、 素晴らしい担い手の方が増えますようにと、願いました。これからも世界に冠たる日本アニメ界を、心から応援して行きたい思いです 。