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一休寺で頂く「一休善哉」と京田辺市エリアを歩く

山村純也京都の魅力を発信する「らくたび」代表
近鉄電車の新田辺駅前の一休さんの銅像(※以下の写真も全て筆者が撮影)

 まずスタートはJR東西線の京田辺駅。近鉄電車の新田辺駅前同様に、こちらの駅前でも一休さんの銅像が迎えてくれる。その後、西へ向かって最初に訪れたのが棚倉孫神社。推古31(623)年に創建された古社で、天照大神の曾孫にあたる高倉下命(たかくらじのみこと)を祀っている。

 神社の門前を天井川が横切っており、一旦登って下って境内に到着。社殿が整然と並んでいるのが印象的で、本殿は安土桃山時代、拝殿は江戸後期の造立と考えられる。かつての神宮寺である松寿院が現在は社務所になっていた。

 見所は10月に行われる例祭で用いられる瑞饋(ずいき)神輿。こちらは常設展示されているのが嬉しい。絵馬もたくさん奉納されており、岸岱作の虎の絵が、レプリカながら堂々とした姿を見せてくれていた。

天井川から棚倉彦神社の境内を見下ろす
天井川から棚倉彦神社の境内を見下ろす

 神社を出て「とんちロード」と名付けられた道を600mほど歩くと一休寺に到着する。当日は駐車場に入るための車の列ができていた。

 もう18回目となったこの一休善哉の行事は、まず堂内に通されて、受付で配布された絵馬に願いを記入し、さらに別の札にも名前と願いを書く。時間が来て方丈に呼ばれると、簡単な法話と般若心経、さらに参加者の名前が一人一人読み上げられ、絵馬とともに御祈祷を受ける。この間約15分、最後に一休禅師の木像に手を合わせて退出する。

 その後は石川丈山、松花堂昭乗、佐川田喜六の合作とされる方丈庭園を拝観し、庫裡へと進む。希望者はここで授与品や、一休禅師が考案した伝統の一休寺納豆も求めることができる。

 さらに時間のある参加者は、本堂や資料館にも足を延ばし、そして絵馬掛け所で絵馬を奉納、最後に一休善哉を頂くという流れだ。

垣根の向こうの真ん中の屋根の建物は、一休禅師の墓所となっている
垣根の向こうの真ん中の屋根の建物は、一休禅師の墓所となっている

 一休善哉は筆者が食べてきた善哉の中でも一番おいしいといっていい。甘味が濃く、大粒の小豆が入った善哉で、焼かれたお餅の香ばしい味がお椀の中で絶妙の調和を生んでいる。さらに口直しの一休寺納豆は完全に甘さを打ち消してくれる。そして仕上げにほうじ茶と完全な世界観を構成しているので、まだ経験のない方はぜひ味わいに来てほしい。

 昨年はコロナ明けで200名ほどの参加者だったが、今年は15時の時点で700名を超えていたようだ。それにしてもこれだけ盛りだくさんで1000円(普段の拝観料は500円)というからまた驚き。18年間値段は変わっていない。

コロナ対策で器も使い捨てを使用。とにかく甘くて絶品
コロナ対策で器も使い捨てを使用。とにかく甘くて絶品

 一休寺の門前と、西側に鎮座する薪(たきぎ)神社は、どちらも能楽発祥の地としても知られ、石碑も建っている。金春座にいた金春禅竹が一休禅師を慕ってこの地に住み、一休禅師を前に能を披露し、大いに交流したという逸話も残っている。

薪神社境内にある能楽発祥の石碑
薪神社境内にある能楽発祥の石碑

 帰りに立ち寄りたいのが甘南備寺(かんなびじ)だ。かつては近くの甘南備山(標高221m)の山頂付近に創建されたが、江戸前期に現在の場所へと降りてきた。その際に真言宗から黄檗宗へと変わったという。

 本尊は慈覚大師が彫ったという薬師如来坐像。日光菩薩、月光菩薩との三尊形式で伝わっている。今昔物語にも出てくるお薬師さんは、耳の悪い人を治すご利益があるとされ、願いがかなった人が穴の開いた石を奉納してきたため、現在も本堂脇に穴の開いた石が吊るされているのも面白い。

本堂の左脇に吊るされているので見逃さないようにしたい
本堂の左脇に吊るされているので見逃さないようにしたい

 最後は再び天井川の横を通りながら京田辺駅へと戻る。次回は古来より信仰を集める甘南備山の登山へもトライしてみたい。

京都の魅力を発信する「らくたび」代表

1973年、京都生まれ。立命館大学在学中にプロの観光ガイドとして京都・奈良を案内。卒業後は大手旅行会社に勤務。2006年4月、京都観光を総合的にプロデュースする「(株)らくたび」を創立。以後、ツアープロデューサー、ツアー講師として活躍。2007年3月に「らくたび文庫」を創刊。現在、NHK文化センター、大阪シティーアカデミー、ウェーブ産経、サンケイリビング新聞社の講師、京都商工会議所の京都検定講師も務める。著書・執筆に『幕末 龍馬の京都案内』、『京都・国宝の美』、『見る 歩く 学ぶ 京都御所』(コトコト)など。京都検定1級取得。

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