【深掘り「鎌倉殿の13人」】徳川家康は、鎌倉幕府の正史『吾妻鏡』を読んでいたのか
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は最終回。ドラマの冒頭では、来年の大河ドラマ「どうする家康」の主人公を演じる松本潤さんが登場し、『吾妻鏡』を読んでいた。その点を詳しく掘り下げてみよう。
そもそも『吾妻鏡』とは、いかなる書物なのだろうか。鎌倉幕府の正史とされる『吾妻鏡』は、作者不詳。作成には北条氏が関与したと考えられる。編纂の時期は、おおむね13世紀後半から14世紀前半といわれている。同時代史料ではなく、後世に成った二次史料であることに注意しおきたい。
編纂の材料になったのは、幕府が保存していた史料、御家人が提出した史料、京都の公家の日記などだった。記述内容は幕府と御家人が中心であり、それ以外の出来事はあまり記録されていない。
記述されている期間は、治承4年(1180)の以仁王の挙兵から筆を起こし、文永3年(1266)における将軍の宗尊親王の上洛までである。その間、何らかの事情で記事が欠落した年がある。
いかに鎌倉幕府を語るうえでの重要史料とはいえ、北条氏にとって不都合なことが書かれていなかったり、あるいは話を捻じ曲げていたりする可能性があるので、すべてを事実とみなすわけにはいかないだろう。
徳川家康は好学の士として知られ、『吾妻鏡』を愛読していた。『吾妻鏡』以外でも、『論語』『中庸』『史記』『貞観政要』『延喜式』『吾妻鏡』を好んで読んでいた。つまり、冒頭のシーンは、あながち間違いではないのである。
天正18年(1590)に小田原北条氏が滅亡した際、北条氏は黒田官兵衛に『吾妻鏡』を贈った。慶長9年(1604)、長政(官兵衛の子)は家康にその『吾妻鏡』を献上した。
この『吾妻鏡』こそ、「北条本」と呼ばれる古写本なのである。現在、「北条本」の『吾妻鏡』は国立公文書館に所蔵され、重要文化財に指定されている。家康も「鎌倉殿の13人」に一役買っていたわけなのだ。