半魚人を愛せるならデート向けかも。アカデミー作品賞『シェイプ・オブ・ウォーター』(ネタバレあり)
「オタクたちは我われに居場所を与えてくれた!」と、ギジェルモ・デル・トロ監督は言っていた。昨年のシッチェス映画祭のオープニング作品、初日限定上映であるゆえに『シェイプ・オブ・ウォーター』を見逃していたが、監督本人は盟友サンティアゴ・セグラに与えられたタイムマシン賞の授賞式に現れ祝辞を述べた。
サンティアゴ・セグラはスペインで知らぬ者がいない俳優・監督で、『ブレイド2』や『パシフィック・リム』などのデル・トロ作品にチョイ役で出ている。受賞記念として上映されたのが、その名も『変態』というセグラの監督デビュー作で、これが凄かった。『アルプスの少女ハイジ』の一場面を勝手に使って、訴えられたとかのいわく付のエログロ&スプラッターで、一般上映は絶対不可能なしろものだった。
『君の名は。』が長編アニメとして2016年最優秀賞を獲ったことでイメージが変わってしまったが、もともとシッチェスはこっち側、マニア向けのホラー、SF、エログロ、スプラッター満載の映画祭である。その常連にしてオタクを自認するデル・トロだけに、『シェイプ・オブ・ウォーター』は一筋縄ではいかない作りだった。
リアルとファンタジーが混在する
この作品がデート向けかどうかは、半魚人を受け入れられるかで決まるだろう。リアルな造形の両生類に、あなたもしくはあなたの彼女は恋愛できるか? 主人公に感情移入して「素敵だわ」とうっとりできるかどうか?
この人間とモンスターの異種間恋愛は、ファンタジーとして描かれているが同時にファンタジーではない。
政府の機密研究所なのにセキュリティがスカスカだとか、サスペンスがなくドキドキもしない救出劇だとかは「ファンタジーだから」「お伽話だから」というエクスキューズで免罪できる。だが、ファンタジーならあのリアルな両生類ぶりはない。まぶたの下に眼球を水から保護する、瞬膜まで付けることはない。もっと可愛く、カッコ良く造形することもできた。そうすれば、“彼”に恋をするという設定もよりすんなり受け入れられただろう。
だけど、デル・トロはそこはリアルにこだわった。現実に両生類人間がいたとすればどんな形になるかにこだわった。リアルであればグロテスクな姿になるだろうし、ヒロインが美人というわけではないのもまたリアルなのだろう。
異種間恋愛における性のタブー
もう一つデル・トロらしいのは、性描写を入れたこと。私はスペインで見たので検閲はなかったがボカシを入れたシーンもあるらしく、その結果R‐15指定となってモンスターが出て来る恋愛物なのに小中学生が締め出されてしまった。
もちろん、これは狙ってやったことだろう。日本でボカシが入ったろうと想像するカットに、物語上の必然性があったわけではない。そのカットがなくても何をやっているかは十分伝わる。でも、カメラは見える角度からとらえている、わざと。
過去の異種間恋愛物では性はタブーとなっていた。『スプラッシュ』でも『キングコング』でも『美女と野獣』でも基本的にはプラトニックだった。しかし、恋愛のリアルを追求するならキスや愛撫で終わり、というのは嘘だ、とデル・トロは考えたのだろう。
性は、この物語の中では孤独から連帯へのシンボルとして描かれている。だから、わざとはっきりと描写し、「どうやったんだろう?」という我われの素朴な疑問に答えるカットを入れるサービスまでしている。ファンタジーではある。だが、そこから子供向けのイメージを払しょくするためには、“大人の行為”は避けては通れなかったのだ。
身分差や階級差、人種の違いどころか、種族まで超えたラブストーリーというのはある意味、究極であろう。誰もが指摘していることであるが、半魚人というこれ以上ないマイノリティーを頂点に、偏見や差別にさらされる者たち、社会的弱者たちへの温かい視線も心地良い。しかしその一方で、R-15指定にふさわしい毒も盛り込まれ、「あなたは人ではない生物を愛せるか?」という決して低くないハードルも設置されている。“大人のファンタジー”という印象だけでデートコースに入れたりすると、後悔するかもしれない。もっとも、サプライズこそ映画の醍醐味なのだが。