「歴史の証人」400年生のスギを伐る意味を考える
神宮外苑の樹木伐採反対の声がかまびすしい。100年前から人が植えて育てた木を伐るなんて、とユネスコ諮問機関のイコモスまで動かしてしまった。
そんなときに、こんな話題はいかが。
吉野林業発祥の地とされる奈良県吉野郡川上村。そこに「歴史の証人」と名付けられた村有林がある。
ここには樹齢400年超えのスギが3本のほか、300年生前後のスギやヒノキは数十本生えている。最大最長寿のものは、410年生のスギ(高さ55メートル、胸高直径172センチ)である。この木々の特徴は、いずれも人が植えたものであること。
吉野林業は、約500年の歴史があるが、木を人が植えて育てて行う日本最古の育成林業地である。つまり「歴史の証人」は、吉野で人がつくった、もっとも古い森なのだ。言い換えると、日本最古の育成林業の証人なのである。
そして日本遺産や林業遺産、そしてふるさと文化財の森にも選定されている。
2021年12月、この森のうちの1本、400年生のスギが伐採された。伐ったのは、もちろん村。伐採後は葉枯らし乾燥を経て、今年3月にヘリコプターで出材した。現在は製材中だ。
この木材は、村で建設中の義務教育学校「かわかみ源流学園」と保育園に使われる予定だ。校舎は木造3階建てだが、その玄関周りの壁などに400年の木目を見せるという。なお、この学校に使われる木材は、すべて川上村産である。
しかし「歴史の証人」と名付けて保護していたはずの木をなぜ伐ったのか。林業遺産、日本遺産などから外される心配はなかったのか。
村長によれば「歴史の証人の木は村の宝。そして未来を担う子供たちも村の宝です。400年生のスギの使い道としては、これを置いてない」。
ちなみに歴史の証人の木を伐るのは、今回が初めてではない。2005年にも300年生のスギを4本伐採していた。その理由は「木々の樹冠が重なってきたから」。
そのままでは、下になった木の樹勢が落ちる。だから混んだところの木を抜いて、日射が林内に入るようにしたのだそうだ。だからこれは300年生の木の間伐!(今回の伐採は、400年生の間伐でもある。)
もともと「吉野林業は間伐にあり」と言われてきた。密植して、少しずつ間伐を繰り返すことで大径木を育てるのだ。もちろん間伐した木も使い尽くす。
どの木を、いつ伐ると森にとって、そして林業にとってベストなのかを決めるのは、林業家の腕の見せ所である。
林業の目的は、森をつくるだけではない。その木を伐って利用して初めて完結する。古木だから、大木だからと保存一辺倒なのではなく、400年間育てた木を伐って使ってみせることは、吉野林業の矜持なのである。
だから今回のように400年生の木も、必要とあれば躊躇なく伐る。そして次の世代に引き継ぐ。
この勇気。いや潔さ。
私は、その潔い現場を確認するために川上村の奥山を登って「歴史の証人」の森を訪ねた。周辺はまだ若い木が多く薄暗いが、森についたとたん、森の中に光が差し込み、林立している大木群が浮かび上がった。
くだんの木の切り株は、直径140センチ以上あった。年輪は、あまりに細かすぎて読み取れない。幅は0.5ミリ、いやそれ以下だ。この木で作られた壁には、どんな景色が映るだろう。木が歩んだ400年の歴史を想像してみてもよい。
古い木、大きな木を保護したくなる気持ちはわからないでもない。だが、通常のスギの寿命は500年が限界とされる。その前に病虫害や風水害、雷……などに遇って倒れるかもしれない。だが、伐って使えばさらに何百年も延ばすことも可能だ。
その樹齢にふさわしい使い道を見つけるべきだろう。
木を育てること。その木を伐って使うこと。その意味するところは何か。人の営みを森からの視点で熟考したい。