「難民は数ではない。顔や名前を持った人間だ」「壁ではなく、橋を架けよう」ローマ法王の言葉の重み
難民拘束センターを訪れた法王
16日、トルコからゴムボートで渡ってきた難民が拘束されているギリシャ・レスボス島の「モリア難民拘束センター」を訪れたローマ・カトリック教会のフランシスコ法王は次のようにツイートしました。
「難民は数字ではありません。彼らは顔や名前、それぞれの物語を持った人間なのです。だからそのように待遇される必要があります」
その言葉には難民に門戸を閉ざした欧州連合(EU)への批判が込められています。ローマ法王フランシスコのツイッターのフォロワーは910万9275人です。大きな影響力があります。
3月19日には写真や動画の共有アプリ、インスタグラムに公式アカウントを開設(フォロワーは230万人)しており、そこにもレスボス島訪問の写真を投稿しました。バチカン放送などの報道をもとにレスボス島でのフランシスコの言動を追ってみました。
トルコ対岸のレスボス島は難民の上陸地になっており、昨年から今年にかけて50万~60万人の難民が押し寄せました。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、EUとトルコの難民対策合意に基づき4142人がレスボス島で足止めを食っています。
難民12人をバチカンに連れ帰る
トルコからギリシャに渡った難民は強制的にトルコに送還するというEU・トルコ合意が3月20日に発効し、実際に4月4日から強制送還が始まりました。ゴムボートでトルコからギリシャに渡る難民は確かに減りましたが、それでも同月14日には106人の難民がギリシャ側に上陸しています。
モリア難民拘束センターはもともと難民申請を受け付ける施設だったので「難民管理センター」と呼ばれていました。が、3月20日以降にレスボス島に上陸した難民はすべてここに放り込まれて拘束されています。これを受けて、「難民拘束センター」と報道されるようになった経緯があります。
フランシスコは、内戦の砲撃で家が破壊されたシリアの首都ダマスカスや北東部の都市デリゾールから逃れてきた子供6人を含む3家族計12人をバチカンに連れて帰りました。6時間のレスボス島訪問を終えてバチカンに帰る機中、フランシスコは30分間、記者団の質問に応じています。
――欧州が難民の流入を防ぐため国境を封鎖したことは欧州の夢の終わりを意味すると思いますか
「(難民を受け入れることを)怖れる政府や人々がいることは分かりますが、私たちには受け入れる責任があります」
「私は常々言っています。壁を作ることが解決策ではありません。私たちは前世紀、壁を見てきました。壁が解決したものは何一つありません。私たちは橋を架けなければなりません。知性と対話、統合とともに橋は架けられるのです」
フランシスコがモリア難民拘束センターを訪問している時、子供たちが絵を渡しました。その中で子供たちは平和を求め、他の子供たちが溺れているような恐ろしい出来事を見た後の痛みや恐怖を表現していました。
「兵器の製造者をレスボス島のキャンプで1日過ごさせるために招待したいと思います。必ず良い効果をもたらすと信じています」
足元で泣き出す少女も
モリア難民拘束センターを訪れたフランシスコは集まった難民たちに「あなたたちは1人ぼっちではありません。決して希望を失わないように」「私たちがお互いに分かち合える最大の贈り物は愛です」と呼びかけました。
法王の足元にひざまずいて泣き出す少女もいたそうです。フランシスコはモリア難民拘束センターのコンテナの中で8人の難民と食事をともにしました。食事は簡素なものでした。
財政危機に苦しんでいるにもかかわらず、「難民に対し心と門戸を開いている」ギリシャの人々にフランシスコは敬意を表するとともに、「この悲劇的な状況を目の当たりにして責任と結束を心から誓います」と改めて述べました。
ギリシャの首相チプラスと会談し、「難民危機は欧州の法律や国際法を順守した包括的な対応が求められる欧州や国際社会の問題です」という考え方を強調しました。宗教的権威であるローマ法王には政治的中立が求められていますが、壁を築き、門戸を閉ざすEUの政治指導者に苦言を呈したかたちです。
正教会の第一人者であるヴァルソロメオス1世 (コンスタンディヌーポリ総主教) と、ギリシャ正教会の首座主教であるアテネ大主教、イエロニモス2世とともにこう表明しました。
「難民や政治亡命申請者、移民、そして私たちの社会から疎外された多くの人びとの基本的な人権を守ることによって世界に貢献するという教会の使命を果すことを目指します」
法王の言葉
気さくで誠実な人柄でカトリックへの信頼を呼び戻したフランシスコは実践する宗教者です。貧富の格差、強欲資本主義、難民問題、戦争と平和についても積極的に発言してきました。これまでの言葉を拾ってみましょう。
「本当の危険は人間によって引き起こされます」(先月の国連演説、パウロ6世の言葉を引用して)
「神の名のもとに嫌悪してはいけません。戦争もまた神の名前のもとに行ってはいけません」(バチカンのサン・ピエトロ広場での演説で)
「私にははっきり見えます。今日、教会に求められているものは傷を癒やし、信仰心を育む能力を持つことです。私には教会は戦闘のあとの野戦病院に見えます」(米雑誌のインタビューに)
「もしあなたが贅沢を好むのなら、世界でどれだけ多くの子供たちが飢えて死んでいくのかを考えてみなさい」(フランシスコはバチカン宮殿の中に住まうのを嫌い、もっと慎み深い住宅に住むのを選んだ)
「私たちは地中海が広大な墓場になるのを許してはなりません」(安全な暮らしを求めて中東・北アフリカから欧州を目指す大量の難民がボートの沈没などで命を落としていることについて)
「暴力的に反応してはいけないというのは真実です。しかし、誰かの母親を罵ったら、言った人は殴られることも覚悟すべきでしょう。それが自然です」「挑発はいけません。他の人の信仰を侮辱してはいけません。信仰を笑いのネタにしてもいけません。表現の自由にも自ずと制約が伴います」(イスラム教を題材にした風刺画を掲載し続けてきた風刺週刊紙「シャルリエブド」が襲撃され、編集長を含む12人が殺害された事件で)
「良きカトリックになるために、私たちはうさぎのようにならないといけないと考える人がいます。それは違います。親であるということは責任を持つということです。これは明白です」(養える以上に子供をもうけることについて聞かれ、神から子供を産む権利を授かったとはいえ、そこに制約がないわけでは必ずしもないという見解を示したもの)
「私たちは疲れ果て、年をとっていくという印象を受けます。欧州はもはや創造力と活気を失ったおばあさんです」(欧州議会での演説)
「もし同性愛者が神を求め、良き意思を持っているなら、彼を判断するのは私なんでしょうか」(フランシスコは何度も同性愛者同士の結婚について反対を表明してきたが、態度を保留した)
「教会における女性の存在は、司教や聖職者よりも大切です」(ローマに向かう途中のインタビューで)
「男も女も利益と消費の偶像の犠牲になっています。それは浪費という文化です。もしコンピューターが壊れたら悲劇です。しかし貧困や欠乏、悲劇はなくなるでしょう」(サン・ピエトロ広場で)
「おそらくあなたはおかしくなって皿を投げつけたかも知れません。しかし思い起こしてください。平和を達成することなく、太陽を沈めてはいけません。絶対に、絶対に、絶対に」(サン・ピエトロ広場での演説)
「真実の愛とは愛し、愛されることです。愛する以上に愛されることは難しいものです」(マニラでの演説)
「歓迎し、玄関を開いているだけの教会であるよりも、新しい道を見つける教会になりましょう。カトリックであることをやめたり無関心であったりする人たちに向けて」(米雑誌へのインタビュー)
(おわり)