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バッハよ!日本人は東京五輪を恐れているのではない、無謀を許せないだけだ

田中良紹ジャーナリスト

フーテン老人世直し録(594)

文月某日

 8日に来日したバッハIOC(国際五輪委員会)会長は、翌9日からのホテルでの3日間の隔離期間を終えて活動を開始した。13日には橋本聖子東京五輪組織委会長を表敬訪問したが、その際「日本国民」と言うべきところを「中国国民」と言い間違えて批判にさらされている。

 おそらくバッハ会長の頭の中は次の北京五輪のことで一杯なのだろう。東京五輪は「無観客」という不完全な形になったが、それでも何とか開催にこぎつけた。しかし北京五輪を巡っては、米国政界の中枢に外交的ボイコットを叫ぶペロシ下院議長のような大物がいる。

 米中対立の推移いかんでは、不完全な東京五輪に負けずとも劣らぬ惨憺たる五輪になる可能性がある。開催は来年の2月4日だから東京パラリンピックが終われば残り5か月しかない。それが頭の中を渦巻いている。

 フーテンはそう思うからバッハが「中国国民」と言い間違えたことをあげつらうつもりはない。ただ可哀そうにと思うだけだ。IOC会長に就任して最初の東京五輪で異例の「無観客」となり、続く北京五輪では西側諸国の外交的ボイコットに揺さぶられるのが目に見える。史上最低のIOC会長の烙印を押されかねない。

 しかしそれは自業自得だ。新型コロナウイルスのパンデミックに遭遇した時、当初IOCはWHO(世界保健機構)の指示に従い、科学的根拠に基づいて開催するかどうかを決めると言っていた。ところがそれを言わなくなった。

 その頃のフーテンの目には、IOCより日本の安倍政権が自らの政治的思惑のため、新型コロナウイルスの影響を軽視する傾向があるように見えた。新天皇を桜の花の咲くころに習近平国家主席に会わせる計画のせいか、春節を迎えた中国人を例年以上に数多く日本に入国させ、水際対策を徹底しなかった。

 中国政府が習近平国家主席の訪日を延期すると発表してから、ようやくウイルス対策に本腰を入れ始めたようにフーテンには見えた。そして次に東京五輪開催をどうするかが俎上に上る。奇妙だったのはそれまで中国人が春節に多数訪れた東京と大阪の感染者数がほとんど報告されず、北海道の感染者数だけが群を抜いていたことだ。

 そして3月に入り、東京五輪組織委の幹部が米国の「ウォール・ストリート・ジャーナル」紙に東京五輪開催の「2年延期」を表明した。国内には秋への延期や4年後への延期、あるいは中止など様々な意見があった。フーテンは未知のウイルスに対応するにはしかるべき時間が必要だと思い、2年延期が最短だと心の中では考えていた。

 ところが3月24日、安倍前総理は森喜朗前東京五輪組織委会長、小池百合子東京都知事、橋本聖子五輪担当大臣らと共にバッハ会長と電話会談を行い、1年延期を提案した。バッハ会長はこれに同意し、東京五輪を中止にしないことを確認し合った。

 この時、安倍前総理は記者団に「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証しとして完全な形で東京大会を開催するためバッハ会長と緊密に連携していくことで一致した」と語った。

 すると不思議なことに東京と大阪での感染者数が一気に増え始める。それまでメディアの前に姿を見せなかった小池都知事が連日テレビで会見を中継させるようになり、安倍総理も緊急事態宣言を発出して全国の学校を一斉休校にした。

 一方で森喜朗前東京五輪組織委会長は、「2年でなくて大丈夫かと思った」と語り、大会組織委の中では「2年延期」だったのが、安倍前総理の決断で「1年延期」になり、同時に「2年延期の場合、安倍総裁の任期をさらに延長する必要があり、その準備を考えていた」と語って、安倍氏は自分の総裁任期を考え「1年延期」にしたことを示唆した。

 そしてIOCはそれまでの「WHOの指示に従う」を言わなくなった。ここに「無観客」という異形な五輪の出発点がある。科学的根拠に基づいて大会の開催を決めるのではなく、何が何でも1年後には開催すると決めたからだ。

 安倍前総理がそう思うのは理解できる。祖父の岸信介が招致に成功した前の東京五輪を岸は総理として迎えることができなかった。60年安保闘争の高まりで、それが反米運動になることを恐れた米国によって岸は切られた。退陣せざるを得なくなり開催時の総理は池田勇人に交代する。

 だから安倍前総理は何としても自分の任期中の開催を目指した。総裁任期を延長するという森前会長の構想は「モリカケ桜」で追及されている自身の立場からすれば苦しすぎる。黒川弘務東京高検検事長の定年問題で検察を怒らせ、河井克之・案里夫妻の捜査が厳しい展開を迎えていることも危機感をつのらせた。

 一方のIOCにはやはりカネの問題があると思う。米NBCテレビとの巨額な複数年契約を考えれば中止は考えられない。2年延期では同じアスリートが出場できる可能性は低くなる。また2年延期では北京五輪と同じ年の開催になり、これまでの2年ごとの五輪開催という慣例を変更しなければならない。

 そこで両者は手を握った。表向きはアスリートのためである。しかし内実は双方の欲望がそうさせている。その結果、無理をしてでも1年延期で開催を強行することにした。しかし1年延期を提案した安倍前総理はその手前で政権を投げ出す。そして難局を菅官房長官に委ね、その先で再起を期すことにした。

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ジャーナリスト

1969年TBS入社。ドキュメンタリー・ディレクターや放送記者としてロッキード事件、田中角栄、日米摩擦などを取材。90年 米国の政治専門テレビC-SPANの配給権を取得。日本に米議会情報を紹介しながら国会の映像公開を提案。98年CS放送で「国会TV」を開局。07年退職し現在はブログ執筆と政治塾を主宰■オンライン「田中塾」の次回日時:11月24日(日)午後3時から4時半まで。パソコンかスマホでご覧いただけます。世界と日本の政治の動きを講義し、皆様からの質問を受け付けます。参加ご希望の方は https://bit.ly/2WUhRgg までお申し込みください。

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