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ディズニーの「安心感」と、「変化を感じさせる過激さ」、ヴィラン=悪役映画として両方備えた『クルエラ』

斉藤博昭映画ジャーナリスト
黒と白のツートンカラーの髪。外見のインパクトは絶大のクルエラ。

ディズニーの新たなヴィラン=悪役映画は、どこまで過激になっているのか? あるいはディズニーなので過激さは抑えられたのか? 『101匹わんちゃん』でダルメシアンのかわいい子犬たちを誘拐し、あの白と黒のブチの皮でコートを作ろうとしたクルエラ。ディズニーの歴史でも、悪役キャラとして人々の記憶に強烈に残る彼女の「過去」、つまり悪になるまでの物語とあって、どこまでハードになるか楽しみにして観たところ、「ちょうどいい」仕上がりになっていた。

これは、ディズニーというブランドが、作品のバラエティを広げる昨今の動きの結果という気もする。

『スター・ウォーズ』も、『アベンジャーズ』を中心としたマーベル・シネマティック・ユニバースも、ディズニーの下で配給されることになって、何か大きな変化は起こったのか? 細部はともかく全体的には世界観は崩されず、なおかつ、どんな世代にも受け入れられやすい、いわゆるディズニーらしさは維持されたのではないか。

スター・ウォーズもアベンジャーズも、もともとそこまで過激さへの振れ幅が強い世界観ではない。しかし20世紀フォックスがディズニーの傘下に入ったことで、より多様な作品を受け入れる状況へとシフトした。中でも注目されたのが『デッドプール』で、マーベル作品とはいえ、おふざけ、過激、さらにシモネタ乱発、バイオレンスは血みどろという持ち味の、R15+作品(15歳未満鑑賞禁止)が、夢と魔法の王国、ディズニーの下で変化を強いられる心配もされたが、『デッドプール』はそのままの世界がキープされることが確約された。

同じヴィランの『マレフィセント』は、最後は「いい話」に

ここで期待されたのが、今後のディズニー本体の作品への影響である。ヴィラン映画の『クルエラ』も、どこまで過激さが伴われるのか。振り返れば、2014年に『マレフィセント』という作品があった。やはりディズニーの人気ヴィランが主人公。『眠れる森の美女』を“眠らせた”魔女がアンジェリーナ・ジョリーというパーフェクトなキャスティングで映画化され、たしかに邪悪なパワーは描かれた。しかし最後は、マレフィセントが「いい人」になって終わってしまった感がある。やはりディズニー。ヴィランを描くとしても、子供にも共感させる必要があったのだろう。その意味では物足りなさが感じられたのも事実だ。『マレフィセント』のレイティングは「G」。誰でも観られる区分けである。

しかし近年、ヴィラン映画に求められるものは変わってきている。2019年、日本でも大ヒットした『ジョーカー』が示すように、主人公に共感させる必要がない、いやむしろ、共感できないタイプの悪役が観客の本能を刺激するようになった。もちろんこのようなタイプの映画は、歴史をさかのぼってたくさん存在するが、悪役を主人公にしたフランチャイズ(大規模公開のスタジオ映画)の作品で、その者に共感させず、多くの人の心をざわめかせながら人気を得る、というパターンは、近年のトレンドになりつつある。

そこで、今回の『クルエラ』である。ヴィランが完成するまでの物語という、『ジョーカー』との共通項もありながら、性別は女性。しかもディズニー作品という前提なので、ある程度、過激さ、過剰さは抑えられている予感が漂う。しかも舞台は1970年代、ロンドンのファッション業界ということで、見た目の華やかさは確約されている。

クルエラの運命を大きく変え、その邪悪な変貌に関わる、カリスマデザイナーのバロネス。傲慢この上ない彼女の存在が、作品の方向性を決定することに。エマ・トンプソンの演技も的確。
クルエラの運命を大きく変え、その邪悪な変貌に関わる、カリスマデザイナーのバロネス。傲慢この上ない彼女の存在が、作品の方向性を決定することに。エマ・トンプソンの演技も的確。写真:Splash/アフロ

しかし結果は、いい方向に裏切られたと言える。クルエラになる前、エステラという名前の少女が、犯罪仲間に加わり、ファッション界で働き始めてからも、観ているこちらはあまり感情移入できない。この感覚は『ジョーカー』にちょっと近いのだ。さらに中盤から、エステラ=クルエラが、社会を騒然とさせるために繰り出す仕掛けは、いい意味で異様レベルである、われわれはヴィラン映画に立ち会っている陶酔を味わうことになる。

悪に共感させる巧みな仕掛けと、最適な監督

一方で、徹底した“悪”にまで突き落とされないのは、感覚的にクルエラを上回る邪悪な存在が登場するから。このあたりが、ディズニーらしいと言えなくもない。ヴィランとしての拒絶反応を喚起させつつ、無意識なレベルでクルエラに共感させる余地を用意する。ストーリーの巧みさを感じられるのだ。もちろん先述したとおり、華やかな映像、さらに音楽によるポップな味つけも、過剰なヴィラン映画に振り切れないような効果を生んでいる。

人間の悪の本能を刺激する陶酔感。そしてメインキャラの邪悪さを増長させる存在という点は、監督の得意テイストでもある。前作『アイ,トーニャ 史上最大のスキャンダル』で、フィギュアスケートの黒歴史を作ったトーニャ・ハーディングと、その鬼母を描いたクレイグ・ギレスピーの抜擢は大正解だった。

『クルエラ』の全米でのレイティングはPG-13、つまり13歳以下は保護者の指導が必要という、『マレフィセント』よりワンラックアップの、適度な過激さ。

『ジョーカー』のようなヴィラン映画の本格的ざわめきも漂わせながら、ある程度の口当たりの良さもうまく加味した『クルエラ』は、ディズニーブランドを信頼する人と、ディズニーの過激さへのシフトに期待する人、その両方を満足させる可能性が高いと感じる。

『ラ・ラ・ランド』でオスカー女優となったエマ・ストーンは、エステラ/クルエラに「共感させない」という高難度の演技に挑み、さすがの一言。LAでのプレミアより。
『ラ・ラ・ランド』でオスカー女優となったエマ・ストーンは、エステラ/クルエラに「共感させない」という高難度の演技に挑み、さすがの一言。LAでのプレミアより。写真:ロイター/アフロ

『クルエラ』

5月27日(木)映画館&5月28日(金)ディズニープラス プレミアアクセス同時公開

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映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、スクリーン、キネマ旬報、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。連絡先 irishgreenday@gmail.com

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