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【京都市】伝統芸能である能の観世流の拠点地であった『観世稲荷社』

高津商会RICALIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

室町時代に能楽を大成した観阿弥・世阿弥父子が、室町幕府三代将軍足利義満公から拝領した地と伝わるのがここ大宮通五辻下ル西側の一帯である。以降、観世大夫が住まい、大夫が江戸へ移ってからも,観世屋敷は京都さらには関西での観世流の拠点として受け継がれた。今も町名に観世町の名を残す。屋敷の跡地に建つ西陣中央小学校の南に隣接して鎮座する観世稲荷社は、往時、観世屋敷内にあった観世家の鎮守社で、観世龍王と一足稲荷大明神を祀っている。また傍らには「観世井」と称する井戸があり、〝一天俄かにかき曇ると龍が天降り、井戸に飛び入った〟との話が伝わる。この水面は常に波動し水紋を描いていたところから観世水と呼ばれる紋様が生まれ、扇や謡本に観世流の紋様として描かれているのをはじめ、一般にも意匠として汎く用いられている。毎年春に、観世宗家はじめ関係者が集い、例大祭が執り行われている。(HPより)

この地には、かつて能楽シテ方、観世家の屋敷があり、当社はその鎮守社だったそうです。

今では、 京都市立西陣中央小学校の片隅に祀られています。

観世家は大和猿楽の結崎(ゆうざき)座の大夫でしたが,新日吉社(新熊野神社説もあり)で舞った観阿弥の猿楽舞に感嘆した足利将軍義満の保護を得ることによって能楽が成立するきっかけとなりました。傍らの観世水の井戸は,名水としても知られますが,地下水の合流点であったために,井戸の底にはいつも渦が巻いていたことから,この波紋を観世水といい,能楽観世流の紋様となっています。(HPより)

伝えによれば室町幕府の三代将軍足利義満から大和猿楽の観世(結崎)三郎清次こと観阿弥(世阿弥の父)が拝領した土地ということです。

観世流(かんぜ-りゅう)とは能楽における能の流派の一つで、 シテ方観世流は大和猿楽四座のひとつ結崎座に由来する能の流儀。観阿弥を流祖とし,足利義満の後援を得て発展したと言われています。

足利義満は、南北朝合一を果たし、有力守護大名の勢力を押さえて幕府権力を確立させ、鹿苑寺(金閣)を建立して北山文化を開花させるなど、室町時代の政治、経済、文化の最盛期を築いた。義満が邸宅を北小路室町へ移したことにより、義満は「室町殿」とも呼ばれた。後に足利将軍を指す呼称となり、政庁を兼ねた将軍邸は後に歴史用語として「室町幕府」と呼ばれることになった。(wikiより)

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京都はちょっとしたところに、歴史が詰まっているので小道をそぞろ歩きするのも面白いですね。

観世稲荷社
京都市上京区元北小路町151

LIFE&文化芸術☆プロデューサー/ジャーナリスト(京都市)

京都で生まれ育つ。世界各地を周遊、欧米中心に20年ほど滞在し京都に帰還。日本のコアな伝統文化や芸能、神社仏閣や裏歴史、催事らを国内外の旅サイト・雑誌・新聞で執筆。経験に基づく“陰謀説”の電子書籍出版あり。フォトジャーナリスト、写真映像家、音楽・イベントプロデューサー、特殊ツアープロデュース・ガイドから日本庭園庭師までマルチに活躍。日本映画の発祥時より美術に携わってきた”ジャパニーズハリウッド”京都太秦にある老舗『髙津商会』にて映画・美術装飾・アート&エンタメ、海外事業に携わりつつ伝統文化・芸能などに関わる史実や古美術らについて勉強中。『京愛』や『日本愛』を深め世界進出を夢見る毎日。

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